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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂19

常夜燈には“春日社”と刻まれている。(赤矢印)
かつてはそう呼ばれていたようだが、現在は“春日大社”となっている。

右の三基は火袋が木製。(赤四角)
「御間型燈籠」(おあいがたとうろう)と呼ばれているもの。
(→この燈籠については後述)



大蛇?の次はマンモス?級の巨樹が現れる。


駒札によると、

若宮大楠(わかみやのおおくす)
 樹高 二四、〇m
 幹周 一一、四六m
県下で、一、二位を争う巨樹であるこのクスノキは、もとは三本の苗木が成長に伴って合着したものといわれており、神功皇后お手植えと伝えられている。
記録によれば享保四年(1719)の大雪で幹上部が折損し、そのため低い樹形になったとされる。
  春日大社



近づいてよく観ると、大蛇がとぐろを巻いているように見える。
アナコンダ?



ここ御間道(おあいみち)は日本で最初に燈籠が並べられた参道
古来、燈籠とは社寺において神仏に火を供えるために、御本殿や御堂の前に一基が建てられました。
春日大社では親神様の御本社(大宮)と子神様の若宮を繋ぐ参道の御間道を御神前のように考えて燈籠が奉納され、鎌倉時代末より並び始め、次第に境内全域に広がりました。
春日大社から始まった参道に燈籠を並べる風習は、江戸時代には全国の社寺に広がりました。
当社には全国に存在する室町時代の灯籠の六割以上あり、それ以前の燈籠は全国に数十基しかありません。
現在、境内には石燈籠は二千基、釣燈籠は千基あり、日本一の数とされています。

御間型燈籠(おあいがたとうろう)
戦国時代のルイス・フロイスによって書かれた『日本史』には春日大社の燈籠のことを「とても精巧に造られた石柱が並び、方形の石の上に立っていて、大変よく出来ている・・・木製の火袋は漆で黒く塗られ、鍍金した真鍮の枠がはめられ、豪華な透かし細工や浮き彫りの飾りが付き、その上には石の笠が載って風雨でも灯明は消えないようになっている」とあります。
鎌倉時代後期より並び始めた方形の御問型燈籠の火袋は木製のため、今も十年に一度の交換が必要であり、三歳の徳川頼宣による一基を除き、五百年の間に漆や飾り金具は全て失われ白木となりました。
今回、小西美術工藝社が戦国時代の記述通りに復元した火袋一臺を天文十八年(1549)の燈籠へ奉納されました。

つづく。



4月27日(土)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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