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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


NO.29天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

唐古池と復元楼閣。
逆光での撮影となったので重苦しい雰囲気になった。



唐古池の発掘

唐古・鍵遺跡は古くから知られた遺跡である。
昭和のはじめには、唐古の飯田松治郎・恒男親子や桜井市大泉の森本六爾(もりもと ろくじ)らが、唐戸池周辺で採集した遺物を学界に紹介している。
昭和11年、国道24号線敷設工事に伴い、唐古池の土砂が採取された。
これにあわせて末永雅雄博士らが発掘を行い、調査では大量の土器や石器、木製農具などが出土した。
この成果によって弥生時代の文化が総合的に認識され、農耕の時代であることを位置づけた。
さらに、このとき出土した土器を分類し、その変遷から時代のものさしとなる編年を確立したことも大きな成果であった。



唐古池

奈良盆地には、数多くの潅漑用溜め池があり、「大和の皿池」として有名である。
唐古池もその中の一つで、江戸時代に潅漑用としてつくられた。
日本書紀にみられる「韓人池」に比定する説もあったが、昭和58年に発見された唐古池と鍵池の絵図により、元禄16年(1703年)に普請されたことが明らかになった。
その後、唐古池の堤防付近の発掘により、唐古池が方1町の池として造られた後、2回にわたって北側に拡張されたことが判明した。
溜め池は、周囲の水田に給水するため、平地の中でも高い部分に造られている。
唐古池も微高地を中心に営まれた弥生集落に重複する形で造られている。

※方1町=一町四方 109m×109m=11,881㎡



唐古・鍵ムラの弥生人

昭和60年12月、唐古池の東側堤防の改修に伴い唐古・鍵遺跡第23次発掘調査が行われた。
この調査において、弥生時代前期の木棺墓2基が検出された。
この木棺は、放射性炭素年代法から約2100年前と測定された。
埋葬されていた人骨は、分析の結果、1号墓が20代後半~30代前半で160cmの男性、2号墓が20代前半の男性と推定されている。
また、頭骨の左半分が残存していた1号墓の人物は渡来系弥生人の特徴が強く、復顔でよみがえった顔は細面の現代風の顔立ちであった。



唐古・鍵遺跡

唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央に位置する、弥生時代(BC3世紀~AD3世紀)の集落遺跡である。
昭和52年以降、継続的な調査が行われ、遺跡範囲が30haに及ぶ巨大環濠集落であることが判明した。
ムラの周囲には幅5~10mの環濠が幾重にも巡り、敵からの防御や運河の機能を担っていた。
集落の内部では石器・木器の生産や青銅器の鋳造も行い、物資の流通の中心となっていた。
また、岡山から静岡までの広い地域の人々と交流しており、近畿の中心的な集落と目されている。
また、絵画土器の点数は百数十を数え、これは全国の1/3を占める。
中でも、楼閣の描かれた土器は有名である。

つづく。



6月30日(火)04:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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