山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年1月を表示

高槻初詣と摂津峡24

祥風苑の送迎バス。“美人湯”と聞けば、男性でも一度は入ってみたくなるような―笑。


芥川に架かる塚脇橋を渡る。画像は上流方向(北北東)。


「料理旅館かじか荘」の看板が見えるが、現在は営業を停止していると聞いた。


「名勝摂津峡」の石標が立つ。名勝は“大阪府名勝”。右の車道沿い左に歩道がある。


歩道はすぐに階段となりこれを登る。


1月19日(火)19:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊勢古道_塩見峠

2016年1月17日(日)に、おおばこの会で伊勢表街道パート2として、近鉄大阪線美旗駅から伊賀上津駅までを歩いたが、これの続きパート3は特に予定していないとのことだった。

そんな折、M氏より阿保頓宮跡(近鉄大阪線・青山町駅近く)から伊賀市霧生上出(きりゅうかみで)を経て、布引山地の塩見峠を越え、津市白山町城立(はくさんちょうじょうりゅう)から、河口頓宮跡(JR名松線・関ノ宮駅近く)へと至る、「伊勢古道」と呼ばれる古道の存在を知った。

この古道を歩くキーとなるのは、「関西山越の古道(下)」(中庄谷直著 ナカニシヤ出版)で、「伊勢古道」として記載されている。

この道は、表街道に対しての、裏街道といった趣きの伊勢参りの間道であったとみられ、いかにも“通好み”の古道のように見える。

いずれにせよ、“塩見峠”は初耳だったので、本日、この本を図書館で借りてきたので、読んでみることにした。



1月19日(火)14:59 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡23

摂津峡公園周辺案内図。今日はこの後、桜広場で昼食。渓谷コースを歩いて白滝をピストン。屏風岩、百畳岩を経て芥川漁協前の三叉路を左へ向かう。


三好長慶ゆかりの芥川山城の説明板。【一部割愛】

 芥川山城は、摂津峡東岸にそびえる山塊上約500m四方に展開する戦国時代屈指城郭です。けわしい地形を巧みに利用して土橋や土塁・石垣を随所に構築し、最高所に主郭、防御正面に追手を配置した壮大なつくりになっています。三島平野の最奥部に位置し、芥川越しに淀川流域を一望できる城構えは、実践に対応する山城の面目躍如たるものがあります。
 16世紀前半(永正年間)に、室町幕府の管領、細川高国配下の能勢氏が西国勢と北摂武士団への備えとして築いた城砦にはじまるとされますが、本格的な山城となったのは、天文22年(1553)、阿波徳島から攻め上がってきた三好長慶が管領細川晴元を擁し入城したときといわれています。その後、長慶は晴元を追放、永禄3年(1560)に、河内飯盛城(四条畷市・大東市)に移るまで、この地を本拠に畿内近国八か国を支配しました。
 長慶は、芥川の灌漑用水整備など領地支配にも力を注ぎ、真上・群家の「水論裁決状」や「井出絵図」は市の有形文化財に指定されています。また連歌や茶の湯を愉しみ、堺の文化人と交わる一方、キリシタン布教を認め、家臣が集団で洗礼を受けています。
 長慶の後、その子義興が城主になりますが、永禄6年(1563)に死去。永禄11年(1568)の織田信長の摂津進攻により三好一族は放逐され、和田惟政が城主となりますが、翌年高槻城へ移り、芥川山城は廃されました。
 主郭の発掘調査では、礎石を配した立派な建物跡を検出したのをはじめ、陶磁器、銅銭、碁石などが出土しています。【以下割愛】
 平成16年3月 高槻市教育委員会



芥川山城と周辺の散策路(左)及び芥川山城跡遺構概念図(右)。


手持ちの地図に三好山と記載されている山は別名芥川山城と呼ばれていた。前方、摂津峡の東岸。


やがて左手に美人湯祥風苑が現れる。


1月18日(月)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡22

大阪府、京都府、兵庫県の寒天水産組合が建立した宮田半平(はんべい)翁碑。


芥川の支流東山川沿いに暫く歩いて大きな車道に出合い、これの歩道を歩く。


摂津峡公園へ向かう。ここは直進。
服部連塚(はっとりむらじづか)には立ち寄らず。



大きな車道は「摂津峡大通り」の名前がついていた。


摂津峡の案内板が見えたので立ち寄る。


1月18日(月)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

第1回六甲全山縦走

2015年の京都トレイルに続き、2016年は六甲全山縦走路を歩くが、第1回の日取りが決まった。

1月24日(日)で、時節柄、積雪は十分に予想できる。この為、アイゼンは必携。

六甲全山縦走は六甲連山50数kmを1日で歩き通すというものだが、私達は4回に分割して、逆方向(宝塚)から歩く試みとしている。

この日のコースは宝塚駅から六甲山最高峰まで(4時間5分+バス停まで35分)を予定。添付コース予定表。

当初、六甲全山縦走路はJR山陽本線・塩屋駅がスタートだったが、今は山陽電鉄須磨浦公園駅がスタート地点となっている。

これは塩屋駅付近にお住まいの人たちから、早朝から騒がしいと、クレームがあった為、須磨浦公園駅に変更されたと聞く。
今回は当初の通り、塩屋駅をゴール(スタート)としている。

住宅地の歩行は早朝に限らず、静かに歩きたいものだ。



1月18日(月)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

阿保越②(美旗駅_伊賀上津駅)

2016年1月17日(日)は、おおばこの会に参加した。伊勢表街道パート2で、前回の阿保越①(赤目口駅_美旗駅)の続き近鉄大阪線美旗駅から伊賀上津駅までを歩いた。

伊勢表街道は、別名、初瀬街道又は阿保越(あおごえ)、青山越、更には参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれる。

一体、これだけ名前があると混乱してしまう。名前の意味が成さない―笑。

古代には壬申の乱の際、大海人皇子が名張に至った道で、また天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えた斎王が伊勢へと赴いた道である。


※みえ歴史街道より。

この日は天気予報通り曇で少し風があった。この時期、伊勢表街道を歩く人は私達以外誰も見なかった。

コース概略
近鉄大阪線・美旗駅_美旗古墳群_真性寺_新田用水_伊賀鉄道の線路跡_滝川氏城跡_姥ヶ芝池_新田池_馬場池_田圃の畦道・昼食_磨崖仏_七見峠入口_コメリ(トイレ)_安楽寺_大村神社_宝巌寺_伊賀上津駅

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。



1月18日(月)08:40 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡21

神服神社、中門。


本殿。


神服神社を後にする。住所表示は宮之川原元町10となっていた。
カイヅカイブキ(と思う)の巨樹に出会う。刈り込みされており、よく手入れされている。



高槻文化教室の前を通り、「聞力寺」に到着。“もんりきじ”と読む。


「聞力寺」のご由緒。

聞力寺は、安養山と号して、真宗大谷派に属する。阿彌陀如来を本尊とし、慶長十七年(一六一二)の創建と伝えられる。
 境内に立つ石碑は、天明年間(一七八七前後)に京都の伏見で寒天づくりを学び、城山で試作に成功した宮田半平翁を顕彰して、大阪府等二府一県の寒天水産組合が建立した。翁の功績により、高槻の寒天づくりは飛躍的に発展し、海外へも輸出するほどであった。
 しかし、時代とともに生産は減少し、現在では市内で数軒となっている。
 昭和六十三年二月 高槻市教育委員会



1月16日(土)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡20

「西方浄土極楽入口」からは急坂となり大きく下る。クルマでお参りする時はこの道を登ることになる。この日は霞んでおり遠望は利かず。


高槻市のマンホールの蓋。

日本マンホール蓋学会高槻市のマンホールのサイトによると、

高槻市の木、ケヤキと市の花、ウノハナ、摂津峡をデザイン。



神服(しんぷく)神社に到着。


神服神社のご由緒。

平安時代以来の延喜式内の古社素盞鳴命・火之速日命・麻羅宿禰の三神を祭る。
この地和名抄にいわゆる「服部郷」で諸国の織部の部民を統括した服部連の居住地である。傳承では允恭天皇の時麻羅宿禰が織部司に任ぜられたというから八・九世紀のころ服部氏の氏の神を勧請しあわせて民族の始祖をその本貫の地に祀ったのが創祀である。当時は「服部神」と呼ばれのち、醍醐天皇の延喜年間(一〇世紀初頭)神服神社と定められ現在に至っている。
維新以前、神佛混交の時代には安岡寺の社僧が執務したが、明治初年これを廃し同五年には郷社に列した。
また近世には農耕・養蚕の神として村民の信仰厚く、社前の鳥居は延宝六年(一六七八)雨乞いの祈願成就の折建立されたもの。祭礼は毎年五月五日古くは棒振りの神事があり、神輿は阿久刀神社までお渡りがあった。
氏地は広く、塚脇、宮の川原、浦堂、大蔵司、西の川原を含む旧服部村一円にわたっている。



拝殿。


1月16日(土)21:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡19

由来にある「金銅聖観世音菩薩立像」。


中央におわすのは、阿弥陀如来坐像だろう。


安岡寺のご由緒。

安岡寺は、南山と号する天台宗系の単立寺院で、如意輪観音を本尊とする。宝亀6年(775)に光仁天皇の子、開成皇子が建立したと伝えられ、本堂の背後の岡に、大般若教600巻を一石に一字書写して安置したことから、安岡寺般若院と称するようになったという。
 戦国時代には、三好氏や高山氏の兵火にあい荒廃したが、江戸時代の寛文年間(17世紀後半)に良盛が再建、大日坊など4塔頭をかぞえ、大いに栄えた。しかし明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、現在は、本堂や鐘楼堂、院号の由来となった般若塚、青梅観音堂などとなっている。
 本堂には、本尊のほか愛染明王坐像、不動明王像、地蔵菩薩像などが安置され、青梅観音堂には、千手観音坐像が祀られている。この観音坐像は、青梅観音ともいわれ、真上(まかみ)にあった安正寺の本尊であったが、廃寺に伴って当寺に移された。檜の一本造りで漆箔がほどこされ、像高137cm、平安時代初期の作とみられ、昭和49年6月に国の重要文化財に指定されている。
 当寺で毎年2月1日に行われる大護摩供では、大峰山の行者や訪れた人々らが焼けた丸太の上を素足で歩き、無病息災や交通安全などを願う。
 平成20年3月 高槻市教育委員会



境内の様子。正面に鐘楼。右奥が青梅観音堂。


安岡寺を後にする。大きなワンちゃんが「西方浄土極楽入口」でお見送り―笑。


1月16日(土)21:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡18

本堂の拝観は後にして、まずは本堂の左(西)、青梅観音堂へと向う。


ここには重要文化財の「十一面千手観音菩薩坐像」が祀られていた。平安時代初期の作とされており十一面千手観音菩薩坐像としては珍しく大きい坐像といわれている。一時、京都国立博物館に保管されていたが、「青梅観音堂」の新築に伴い、ここに移された。撮影は自由。


「かのう観音」の幟が見えたので立ち寄る。
画像の左は西山門で、門柱の境内側に「西方浄土極楽入口」と彫られている。この門の向こう側は、西なので方向としては西方浄土の入口なのだろう。しかし、現実的には西方浄土極楽には見えない風景が広がっていた。



「かのう観音」が祀られている「叶観音堂」。


「叶観音由来」。

要約すると「叶観音堂」には大阪の篤志家が奉納した「金銅聖観世音菩薩立像」が祀られている。この仏像には人々の願いを叶える霊験があるとして「叶観音さん」と呼ばれ信仰をあつめている。



1月15日(金)21:40 | トラックバック(0) | コメント(3) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡17

総門を潜る。
リーダーから総門から先は自由に境内を観てもらってよいとのこと。



元々、こういうデザインなのだろう。竿と呼ばれる部分に石仏が彫られている。石仏の上に彫られている文字のようなものは不明。


暫く坂道となる。植畑さんを除く先頭グループ4人が先を争う?ように歩く―笑。


「女坂」分岐を左に見送る。急登を避けるやさしい坂道。


急登を歩き息せき切って本堂に到着。


1月15日(金)21:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡16

この民家の玄関先の石段は三段になっている。元は二段だったようだ。


長屋門に見えるが違っているかもしれない。


前方に安岡寺(あんこうじ)の寺標が現れる。表参道と記されている。


表参道の割にはすぐ近くに住宅が建っているが、昔は住宅などまったくなく、後の時代になってから建設されたと聞いた。


奈良などのお寺ではあまり見かけないものだが勧請掛で、ここでは大阪の商人たちが注連縄のぶら下がり具合で米相場を占ったという。


1月15日(金)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道④奈良・宇治街道(追分_宇治)

2016年1月14日(木)は、京の古道を歩くシリーズの④として、奈良街道から宇治街道を歩いた。スタート地点は京阪追分駅、ゴールは京都京阪バス宇治橋西詰バス停。帰路はバスで近鉄大久保駅へ。
参加者は主催のN氏と前回と同じ顔ぶれ。T氏とM氏、そして私の4人。尚、M氏は途中から独自コースを歩かれた。

コース概略
京阪京津線・追分駅_髭茶屋跡_音羽病院前_皇塚(おうつか)_宝迎寺(ほうこうじ)前_マツヤスーパー(トイレ)_一里塚_小野榧(おののかや)_隋心院前_醍醐天皇陵_長尾天満宮_醍醐寺境内_手打ち蕎麦しも村・昼食_宇治陵35号墳_宇治陵1号墳総拝所_万福寺前_隼上り2号墳_厳嶋神社_宇治上神社_放生院_通圓(茶だんご)_宇治橋_宇治橋西詰バス停_<京都京阪バス>_近鉄京都線・大久保駅 反省会は特になし

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。



1月14日(木)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡15

服部図書館前に到着。これを左に見て車道を横断。住所表示は浦堂本町1となっていた。


道路は旧道らしく、くねっており、板壁の民家が見える。ここから古い集落に入っていく。


覆堂らしき建物がある。覆堂の横に植栽されているのはカイヅカイブキだろう。樹形がユニーク。


急いで覆堂に近寄り中を見た。お地蔵さんを祀っているようだ。それにしても立派な建物。まだ新しい。


外壁に焼き杉を使った民家。


1月13日(水)21:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡14

平成5年に行われた大阪府植樹祭記念植樹の標柱。


この時にヤマモミジが植樹されたと聞いた。一見して23年も経っているようには見えないが、ヤマモミジは成長が遅い。


緑が丘公園を後にする。前方の山の稜線の更に奥に見える山が竜王山と聞いた。何回か登ったことがあるが、眺める角度が違うと、まったく別の山に見えてしまう。
教えてもらうまで竜王山とは気付かず。



里道のような道を歩く。抜け道、近道なのだろう。


マルチシートに植えられていたのはイチゴで、何と実が赤々と生っていた。


1月13日(水)21:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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