山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年8月13日を表示

矢田山磨崖仏_金勝寺38

元山上口駅は駅名の通り、元山上・千光寺の最寄り駅。


近鉄電車で王寺駅へ出て、王将・王寺店で反省会となった。


終了後、王寺駅から生駒駅へ出て、近鉄奈良線に乗って帰宅した。おしまい。


8月13日(水)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

矢田山磨崖仏_金勝寺37

本堂(金堂)の右手に祀られている鎮守社。


金勝寺を後にする。来た道を戻り、近鉄生駒線の踏み切りを横断。生駒線は単線。


竜田川に架ける綱架けの神事。


勧請綱の説明板。3で龍神信仰との関わりを説明している。


元山上口駅に到着。


8月13日(水)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

矢田山磨崖仏_金勝寺36

磨崖石仏群。中央に二体。右上と右下にもある。
※金勝寺のHPによると、「右上部の石仏に続いて室町時代から江戸時代にかけて追刻された石仏群。 中央に見える矢田寺型地蔵には「康正二年丙子六月日(1456年)」の造立年号がある。」



「線刻不動明王」。
※金勝寺のHPによると、「岩壁に刻まれた不動明王像は、自然の風化や苔などで姿が分かりにくいが右手に剣、左手に羂索縄(けんさくなわ)を持って岩座に立つ。右下方に「僧快慶」の銘がある。鎌倉時代、二度にわたる元寇を迎えた鎌倉幕府の命により全国各地の寺社で『敵国調伏』を願って不動像の造立が盛んに行われた。この不動明王像もそのひとつで、当時この磨崖仏の前に護摩壇が組まれ祈祷が行われた。」
※金勝寺のサイト 「線刻不動明王」の拓本 不動明王図。
http://kinsyouji.or.jp/img/treasure/p09_b.jpg



弁財天だが、池に水はない。
※金勝寺のHPによると、「当地は古くから龍神信仰があり、山門の前を流れる竜田川には大正時代まで龍穴があった。1200余年前に行基菩薩がこの地に寺院を建立したのはこの地に龍が住むと信じられていたからだと寺伝にある。龍穴は大正時代に鉄道建設のためダイナマイトで爆破されたが、今も毎年一月三日に龍神の化身である雌雄二体の綱を打ち、竜田川に架ける綱架けの神事が残っている。無量寿殿の裏の小さな池にある弁才天の祠は、鎮守社に祀られている清瀧権現とともに、古くからの龍神信仰として大切にお祀りしている。」
龍穴、ダイナマイトで爆破とは。感無量。



十三重石塔。
※金勝寺のHPによると、「層塔は三重以上の層が多い物で十三重塔まで奇数を持って造立される。仏塔は釈迦如来の舎利を納める為に造られた塔である。下から基礎・塔身(初重軸部)・屋根・相輪で構成される。この塔は高さ3メートル、塔身の四方に月輪を刻み、金剛界四仏の種子を薬研彫する。最上部の相輪が欠損している。鎌倉後期。」



境内で暫く休憩。


8月13日(水)17:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

矢田山磨崖仏_金勝寺35

総門を潜ると正面に本堂への石段がある。右の建物は社務所。


金堂(本堂)。ややこじんまりとした印象。
※金勝寺のHPによると、聖武天皇の御代、天平十八年(746年)、行基菩薩の発願のより創建。創建当初は十間四面であったが戦国時代の焼き討ちで焼失し、寛文五年(1666年)に仮堂として半分の規模の五間四面の大きさで再建され、現在に至っている。本尊は薬師如来。



本堂の左手、磨崖石仏群を拝見する。画像は磨崖仏「茶々逆修(の石仏)」と説明板。


「茶々逆修の石仏」。
※金勝寺のHPによると、「不動磨崖仏の下方に船形に彫り込んで像高70cmの矢田寺型地蔵が彫られている。像の脇に「茶々逆修」「天正十四年丙戌卯月二十四日(1586年)」の刻銘がある。興福寺の『多門院日記』によると戦国時代に平群谷を支配した驍将 嶋左近の妻「ちゃちゃ」の逆修供養の仏として造立されたものという。逆修とは生前にあらかじめ自分のために仏事を修して死後の冥福を祈ることをいう。」



向って左に「薬師如来坐像」。
※金勝寺のHPによると、「方形の彫り込みの中に像高56cmの薬師像を浮き彫りしている。彫り込みの上にある横穴の柄穴(ほぞあな)には当初は笠石のような雨よけがあったと思われる。」
その右に「宝筐印塔」。
※金勝寺のHPによると、「宝筐印塔は一切の災難から助かることを願い、塔身部に宝筐印陀羅尼経という経典を納めたことからこの名がある。高さ88cm。相輪部に別の宝珠を載せる。」



8月13日(水)17:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

矢田山磨崖仏_金勝寺34

同じく入口付近の磨崖仏。苔生している。手入れがされておらず、みすぼらしく見える。


「おっ、こんなところにも磨崖仏があるやん」とY氏。F氏が指差す方向は磨崖仏とは違うようだ。


正面に見えるお寺が金勝寺。


近鉄生駒線の踏み切りを横断。すぐに竜田川に架かる橋を渡る。


真言宗 室生寺派 金勝寺。このお寺を訪れるのはこれが初めて。


8月13日(水)17:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

矢田山磨崖仏_金勝寺33

砂埃を浴び、今にも埋もれそうな石仏。


金勝寺墓地を後にする。西へ向うと、左手に立派な建物があったが、「かんぽの宿・大和平群」。金勝寺へは右折。


民家の横を通る。前方、右方向には金勝寺墓地への旧道があるらしい。


旧道を様子見されたK氏。藪っぽかったとかで、すぐに引き返してきた。


旧道の入口付近にあった五輪板碑?


8月13日(水)17:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

矢田山磨崖仏_金勝寺32

金剛界四仏の一体。
※ネット検索すると阿弥陀。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7460/nara-sideharaboti.htm
※goo辞書によると、「薬研彫とは金石類に文字などを彫るのに、薬研の形状、すなわち断面がV字形になるように彫ること。また、そのもの。」更に薬研とは「漢方医などが生薬を粉末にするのに用いる金属製の器具。細長い舟形で、中央がV字形にくぼんでいるもの。中に生薬を入れ、円板形の車に通した軸を両手でつかみ、前後に回転させて押し砕く。くすりおろし。」



無縁墓に置かれていた地蔵菩薩。


こちらの石仏は細目でクールに見える。


双石仏。地蔵石仏(向かって左側)。阿弥陀仏(向かって右側)だろう。


墓地の南側入口付近。石仏が無造作に置かれていた。


8月13日(水)17:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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