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上町台地から天王寺七坂めぐり38

源聖寺坂の登り口に到着。坂を振り返って撮影。
大阪市のHPによると、登り口から10mほどの石畳は、昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が転用されている。また、源聖寺坂の名は、昔、源聖寺の境内をけずって東西に抜ける道にしたことからこの名がついた。



源聖寺坂を下りきって左折。
再び松屋町筋を南へ歩く。

左(東)に金台寺(こんだいじ)の山門が現れ、山門前に寺標と石碑が立つ。
金台寺は「大坂三十三所観音めぐり 第二十八番札所」。
石碑にはご詠歌が彫ってある。
「なみのおと まつのひびきも なりあひの かぜふきわたす あまのはしだて」。

大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、金台寺は創建当時(慶長11年)の姿を誇り、本堂へと続く太鼓橋が美しい とのことだが、この日は境内に入らず。



続いて萬福寺。撮影した画像は思いっきり逆光になっている―笑。


二基の石碑と案内板が立っている。
左は「第★番 阿弥陀★」。その右は「新選組 大坂旅宿跡」と、その説明板となっていた。

萬福寺(万福寺) | SIGHTS and FACILITIES SEARCH 観光施設検索 によると、萬福寺は、文禄3年(1594)、前田利家の弟の前田次郎兵衛利信と僧開導によって開創され、阿弥陀如来を本尊として祀る。文久3年(1863)~慶応3年(1867)、新撰組の大坂駐屯地とされ、大坂相撲力士との乱闘、町奉行与力内山彦次郎暗殺などの事件はその間に起こった。当時、本堂裏にあった納屋は牢として使われ、慶応元年(1865)、漢詩人・藤井藍田を拷問の上、絶命させた場所である。その他、多くの志士が牢内に捕らえられていたという。現在、境内には四季の風情が楽しめる美しい庭園が広がり、芭蕉句碑がたたずむ。



庭には開花を待つサクラの古木も観られた。


4月12日(火)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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