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瓜生山_雲母坂梅谷道40

この先、参拝者入口。曼殊院門跡の「門跡(もんぜき)」だが、寺院の格を表す呼び名で、貴族や皇室が住職を務めるお寺のこと。


京都市が設置した説明板。
※京都観光NaviのHPによると、「天台宗の門跡寺院である。最澄の開基で、はじめ比叡山西塔にあって東尾(とうび)坊と称し、天暦元年(947)是算(ぜさん)の時、北野天満宮が造営されるとその別当寺となり明治に至った。天仁年間(1108~1110)忠尋が曼殊院と名を改めた。その後、場所は移転したが、文明年間(1480年頃)伏見宮貞常親王の子慈雲が入寺して以後、門跡寺院となり、明暦2年(1656)良尚法親王の時、この地に移り、現在の建物や庭園が整えられた。良尚法親王は桂離宮を造った八条宮智仁親王の子で、父宮に似て、茶、華、書道などにひいで、当寺の建物も桂離宮に通じるものがある。本堂(重要文化財)は大書院ともいい、寄棟造柿(こけら)ぶきで、本尊阿弥陀如来を安置する。欄間や金具にも意匠をこらした数奇屋風の書院造である。書院(重要文化財)は閑静亭(かんじょうてい)と号し、本堂と同形式、門跡の私堂として工夫をこらしている。茶室八窓軒(はっそうけん)(重要文化財)は八つの窓を持つ明るい茶席で遠州流の名席、庭園(名勝)は枯山水の優雅な庭である。当寺の建物と庭はよくまとまった江戸初期の重要な文化遺産となっている」



この日は参拝せず曼殊院門跡を後にする。苔生した庭が美しい。壁に白い線が五本入っているが、この線は定規筋と呼ぶらしい。そして定規筋がある壁を筋壁と呼ぶ。この線もお寺の格を表していて、天皇の血筋を受けている皇族が、出家居している寺、つまり"門跡"を表していると聞く。


手持ちの地図を見て詩仙堂へと向かう。


石材店で見たもの。石仏を作る行程を表しているようだ。


3月2日(月)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

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