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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)56

墨染(すみぞめ)駅を右(北)に見て、京阪本線の踏切を横断。


鴨川運河(琵琶湖疎水)に架かる墨染橋(すみぞめばし)を渡ると、左手(南)に墨染寺(ぼくせんじ)の山門が現れる。


石柱の側面に「墨染櫻寺」(ぼくぜんおうじ)と彫られているのが見てとれた。


壽碑

惟(おもんみ)るに当寺は清和天皇の勅創たる貞観寺の旧跡なり
堀川左大臣藤原基経昭宣公 薨(こう)じて遺骨を此の地に殯(かりもがり)したもうや
上野峯雄哀傷(あいしょう)の情を和歌に託して曰く
「深草の 野辺の桜之 心有らば 今年ばかりは 墨染に咲け」と
此の地の墨染の称は(或いは此の地を墨染と称するは)蓋(がい)し此の歌詞に因(よ)るなり
後に大僧都日秀上人道譽頗る崇し
豊公(秀吉)深く之を信じ挙げて此の地を上人寄附して本宗(ほんしゅう)に属し
銘を墨染桜寺(ぼくぜんおうじ)と改む殿堂高閣にして輪煥(りんかん)の美備わる
爾来星霜数百年寺運振わず塚を破り碑を断ち累々として
四方(あたり)に狼藉する荒涼の状轉(じょうたた)感慨の情堪えざるなり
爰(ここ)に第三十七世学妙上人先に宇治直行寺(じきぎょうじ)に住し次いで
梅津本福寺に転ずるも夙(つと)に当山の廃類せるを慨(なげき)き意(こころ)に回復の事を期し
入りて此寺に主となるや乾乾赬尾寒暑(けんけんていびかんしょ)にして虚日(きょぢつ)なく
復興に是務む 依って聊(いささ)か師恩に酬(むく)いんがために寿碑を寺の側に建て
日常の微事(びじ)を勒(きざ)みて之を伝へて不朽ならしめんと欲し文を余に微す
余と上人とは同じく達門(だつもん)の流類(るるい)なり敢(かんし)て辞せず乃ち
上人の行跡を按じて其の梗概(きょうがい)の系(つなぎ)を叙(じょ)し以て銘じて曰く
   千歳跡遠く 廟影(ろうけい)空しく 傾く
   乾(ここ)に力を致して 忽ち法城を現す
   顕徳測がたし 誠の点睛を積むは
   維(こ)れ労維(ろうこ)れ績(いさを) 勒(きざ)んで永く 彰旌(あらわす)
          平成十六年十二月吉祥



鬼瓦だろう。


3月9日(水)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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