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京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)64

桃陵市営住宅団地前に到着。

桃陵(とうりょう)団地の歴史

 伏見は平安時代には鳥羽と並ぶ貴族の別荘地帯であったが、都市として繁栄したのは、豊臣秀吉がこの地に伏見城を築き、城下町と伏見港を整備してからである。
 江戸時代には三代将軍徳川家光の時に豊臣ゆかりの伏見城を完全に壊し、寛永元年(1624)に富田信濃守の屋敷のあった場所に伏見奉行所を建設した。その場所は現在の桃陵団地の敷地で伏見城の跡地への入口と港を監視する位置にある。
 明治維新の時(1868)幕軍のたてこもる伏見奉行所は、官軍の攻撃により焼け落ちた。明治時代以降、陸軍の土地となり、工兵隊の基地になっていた。第二次世界大戦終了後、米軍に接収されていたが日本に返還された後、市営住宅が建設され、今日にいたっている。下の写真は奉行所の石垣と明治時代に陸軍が奉行所前の道路部分を西へ広げて建設した石垣である。また、この掲示板の上に使用されている笠石は陸軍時代の門に使用されていた石である。
  平成2年10月
                京都市



伏見奉行所跡の石碑。側面には昭和43年11月 京都市と彫られていた。
先の説明書きによると、明治維新の時、幕軍のたてこもる伏見奉行所は官軍の攻撃により焼け落ちた。



指月伏見城(しげつふしみじょう)をイメージしたデザインとなっている桃陵団地。


突き当たりの讃岐町の三叉路で左折。
近鉄京都線の高架下を歩く。



高架下に続く伏見桃山商店街。
この先50mほど歩いて桃山御陵前駅に到着。近鉄電車に乗って帰宅した。おしまい。



3月12日(土)20:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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