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京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)52

少しだけ境内に立ち寄る。
「盥漱(かんそう)水」と彫られた手水舎。右は「華榮井」だろうか。



嘉祥寺の駒札。

嘉祥寺(かしょうじ) 
 嘉祥四年(八五一)二月、文徳天皇は先帝、仁明天皇の菩提を弔うために、その陵の傍らに清涼殿の建物を移して寺とし、年号をとって嘉祥寺とした。開山は真雅。元慶二年(八七八)には定額寺となって官寺の扱いを得、寺域も広大な大寺であったが、平安時代の後期には衰徴して仁和寺別院となり、更に室町時代の応仁、文明の大乱により焼亡した。
 しかし、寛文年間(一六六一~一六七三)に、かつて深草十二帝陵の管理に当たっていた安楽行院を空心律師が再興し、その際、同院境内に聖天尊を祀って嘉祥寺も再興され、更に元禄十二年(一六九九)、勅許を得て本堂が上棟された。
 ただし、再興された嘉祥寺は位置も旧寺域とは離れているため、その名を継ぐだけとなっている。なお、堂内には十一面観音や不動明王像が安置されている。
 俗に深草聖天と呼ばれ、開運招福祈願の信仰がある。
               京都市



嘉祥寺を後にし、深草北陵(十二帝陵)に到着。


この陵には歴代十二代の天皇が祀られている。
一つの天皇陵に一人の被葬者とは限らないようだ。

深草十二帝陵



JR奈良線の踏切を横断。


3月8日(火)18:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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