No.5金龍寺跡_若山神社_水無瀬の滝_小倉神社 |
|
 |
| 横断歩道を渡らずに右折。
| |
 |
| この先、左折するので、皆さん、ゾロゾロと左側へ渡っている。
| |
 |
| 金龍寺跡の説明板が立っている。 その右に「金竜寺跡1.2km」の道標。
| |
 |
| 金龍寺跡(こんりゅうじあと)
金龍寺は、ここより北北東約2kmの地にあり、邂逅山(たまさかやま)紫雲院と号して天台宗に属し、普賢菩薩を本尊としたが、昭和58年、心ないハイカーの火の不始末により焼失した。 寺伝によれば、延暦9年(790)、のちの参議阿部朝臣兄雄が創建し、安満寺と称した。 一時衰退したが、康保元年(964)、千観が入って再建、金龍寺に改称したという。 千観は、延喜18年(918)に生まれ、園城寺で天台密教を修行。 内供に選ばれて、 宮中での仏事に携わるなど栄達の道を歩んでいた。 しかし、市聖として民衆に慕われていた空也上人と出会ってのち、仏法の民衆化を志して金龍寺に入山。 日想観(落日のかなたに西方極楽浄土を想う信仰)に適したこの地で、阿弥陀経を七・五調に和訳した「極楽国弥陀和讃」をつくり、浄土信仰の広がりに大きな役割を果たした。 その後、天正年間に高山氏の兵火で焼失。 慶長年間に豊臣氏の加護で再建され、江戸時代には、千観や能因法師ゆかりの地、 桜や松茸狩りの名所として親しまれた。 明治時代以降は、本堂の移転や無住化による荒廃、火災などによって当時の隆盛は偲び難く、現在では、今も残る石垣や礎石に往事を想うばかりである。 平成元年8月 高槻市教育委員会
| |
 |
| 「安満山古墳群」を右方向に見送り、「春日神社」方面へ直進。
つづく。
| |
|
Mar.18(Fri)06:39 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
|
No.4金龍寺跡_若山神社_水無瀬の滝_小倉神社 |
|
 |
| 北面には「右 そうじ寺」。 これは茨木市の“総持寺”だろう。
| |
 |
| 南面は「大坂月参講」。 “参”の漢字の下の部首は“水”。(上からム大水) 東面は「施主?」。 ペンキのようなものが塗られていて不明。
| |
 |
| 名神高速道路の高架下を潜る。
| |
 |
| 9時45分高槻市営バス・磐手橋バス停前を通過。
| |
 |
| 次の交差点で右折。 高槻市立葬祭センター方面へ。
つづく。
| |
|
Mar.18(Fri)06:36 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
|