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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2022年3月18日を表示

No.5金龍寺跡_若山神社_水無瀬の滝_小倉神社

横断歩道を渡らずに右折。


この先、左折するので、皆さん、ゾロゾロと左側へ渡っている。


金龍寺跡の説明板が立っている。
その右に「金竜寺跡1.2km」の道標。



金龍寺跡(こんりゅうじあと)

金龍寺は、ここより北北東約2kmの地にあり、邂逅山(たまさかやま)紫雲院と号して天台宗に属し、普賢菩薩を本尊としたが、昭和58年、心ないハイカーの火の不始末により焼失した。
寺伝によれば、延暦9年(790)、のちの参議阿部朝臣兄雄が創建し、安満寺と称した。
一時衰退したが、康保元年(964)、千観が入って再建、金龍寺に改称したという。
千観は、延喜18年(918)に生まれ、園城寺で天台密教を修行。
内供に選ばれて、 宮中での仏事に携わるなど栄達の道を歩んでいた。
しかし、市聖として民衆に慕われていた空也上人と出会ってのち、仏法の民衆化を志して金龍寺に入山。
日想観(落日のかなたに西方極楽浄土を想う信仰)に適したこの地で、阿弥陀経を七・五調に和訳した「極楽国弥陀和讃」をつくり、浄土信仰の広がりに大きな役割を果たした。
その後、天正年間に高山氏の兵火で焼失。
慶長年間に豊臣氏の加護で再建され、江戸時代には、千観や能因法師ゆかりの地、 桜や松茸狩りの名所として親しまれた。
明治時代以降は、本堂の移転や無住化による荒廃、火災などによって当時の隆盛は偲び難く、現在では、今も残る石垣や礎石に往事を想うばかりである。
平成元年8月 高槻市教育委員会



「安満山古墳群」を右方向に見送り、「春日神社」方面へ直進。

つづく。



3月18日(金)06:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.4金龍寺跡_若山神社_水無瀬の滝_小倉神社

北面には「右 そうじ寺」。
これは茨木市の“総持寺”だろう。



南面は「大坂月参講」。
“参”の漢字の下の部首は“水”。(上からム大水)
東面は「施主?」。
ペンキのようなものが塗られていて不明。



名神高速道路の高架下を潜る。


9時45分高槻市営バス・磐手橋バス停前を通過。


次の交差点で右折。
高槻市立葬祭センター方面へ。

つづく。



3月18日(金)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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