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大木の里から犬鳴山の道11

井川越しに慈眼院(じげんいん)の国宝・多宝塔を眺める。三間二層、全高10メートル余。我が国最小の塔と知られ、日本三名塔と称されている。


撮影場所を変え改めて多宝塔を眺める。
※「いずみさのなんでも百科」によると、石山寺、高野山金剛三昧院と並ぶ日本三名塔の一つ。1271(文永8)年に再建されたものといわれ、現存の多宝塔の中でも小形ながら優美な作として有名。国宝建築物に指定されている。 高さ10.5メートル、下層の方形と上層の円形の対比がすぐれ、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)で相輪(そうりん)がたっている。



大阪府天然記念物に指定されている「弘法慈眼院の姥桜」(こうぼうじげんいんのうばざくら)。(昭和36年3月指定)
※「いずみさのなんでも百科」によると、慈眼院の本堂横、日根神社の参道にある早咲きの桜の老樹。弘法大師が立てた杖が成長して桜になったという伝説がある。江戸時代には、泉南の名所として多くの花見客で賑わったといわれており、『和泉名所図会』にも紹介されている。主木はすでに枯れ、その根元から「ひこばえ」が三本生えて成長しており、美しい花を咲かせている。府の天然記念物に指定されている。



慈眼院の入口方向へ回ってみる。


慈眼院は拝観料が必要で、時間もあまりなく、この日は拝観せず。
※「いずみさのなんでも百科」によると、日根野東上にあり、日根神社の幾つかあった神宮寺の一つ。673(白鳳2)年の開創と伝えられる古刹。真言宗仁和寺の末寺。後聖武天皇の時、勅願寺となり、817(弘仁8)年弘法大師が来住して多宝塔・金堂などの諸堂を建立したといわれています。 古くは中之坊と呼ばれていましたが、1665年(寛文5年)に慈眼院の院号を得るなどして有力な神宮寺になっていきました。 天正年間、織田信長の根来寺攻めの時に兵火にみまわれたと伝えられ、わずかに多宝塔と金堂のみが残されました。その後豊臣秀頼により修復され、江戸時代には岸和田藩主岡部侯の祈願所ともなりました。国宝の多宝塔や重要文化財の金堂をはじめとする多くの文化財が残され、弘法慈眼院の姥桜などの伝説も伝えられています。



7月23日(木)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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