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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)23

蓮華王院本堂(三十三間堂)

 現在は天台宗妙法院の管理になるお堂で、正式には蓮華王院と言い、長寛二年(一一六四)鳥部山麓(現・阿弥陀ヶ峯)にあった後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。一度、焼失したが、直に復興に着手し文永三年(一二六六)に再建。その後、四度の大修理を経て七百五十年間護持されている。
 長大なお堂は「和様入母屋本瓦葺」で、南北に百十八メートルあり、お堂正面の柱間が三十三あることから「三十三間堂」と呼ばれ、堂内には丈六の千手観音坐像(国宝)を中央に千一体もの観音像(重文)と共に風神・雷神、観音二十八部衆という三十体の仏像(国宝)が祀られている。境内の太閤塀と南大門は、豊臣秀吉ゆかりの建造物(重文)で、毎年正月に行われる「通し矢」にちなむ弓道大会は、京都の風物詩になっている。
         京都市



養源院・山門。


養源院

 豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の追善のため、文禄三年(一五九四)に政伯法印(長政の従弟)を開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。
 建立後、間もなく火災に遭ったため、元和七年(一六二一)に淀殿の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建し、以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
 本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の将士が自刃した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に、血天井として知られている。
 本堂の杉戸及び襖の絵(ともに重要文化財)は俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、白象、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜で新鮮味にあふれ、中学・高校の美術の教科書にも用いられている。
        京都市



この日は京都ウォーキング協会のウォーキングイベントがあった。題して、大坂の陣400年 豊臣家と徳川家その1「方広寺と二条城」で、説明文を持っているのはスタッフの人。ご苦労様です。
このイベント、NHK大河ドラマ「真田丸」に連動して行われている。



続いて法住寺の山門が現れる。


2月25日(木)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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