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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.20岸和田城と周辺散策

岸和田市役所別館を右(東)に見て歩くと、別館前に「江戸時代の岸和田城下絵図」が置かれている。
地図によると現在地は紀州街道沿い▲の位置。
この地図は上が東南を指している。



紀州街道と、こなから坂との辻に道標や説明板が立つ。


紀州街道

紀州街道は大坂高麗橋から、住吉・堺・岸和田城下を通り、和歌山に至る街道である。
近世以前では熊野街道が泉州地域の主要幹線道であった。
しかし、海沿いの町が発展していくにつれ、慶長7年(1602)頃に沿岸部を結ぶ街道として成立したようである。
五街道などの主要街道ではなく、海運の発達した大坂湾岸での補助的な街道であった。
江戸時代初期、紀州徳川家は、大和街道を通り伊勢松阪を経由して参勤交代を行っていた。
しかし、第六代宗直以降は、紀州街道を通り大坂、京、東海道を抜け江戸へ向かう道程へと改めている。
これは第八代将軍徳川吉宗を出した紀州徳川家の家格に見合うように、行列の威容を道中で示すためであったと言われている。
このように参勤交代に使用されることで、いっそう街道の整備が進み、町場の発展とともに多くの商家や町屋が建ち並んだ。
また、堀の両端で鍵方型に曲がっているが、これは城下町でよく見られる遠見遮断によるものである。



岸和田市道路元標。
地面をコンクリートで固め大切に保管されていた。



「右 紀州街道 / 左 こなから坂 / 平成四年三月 岸和田市」と彫られた道標。

こなから坂(こなからざか)は、大阪府岸和田市にある坂。
漢字では「小半坂」と表記され、半分の半分、すなわち4分の1勾配の急な坂という意味を持つ。
岸和田だんじり祭では、城内に鎮座する岸城神社へ宮入するため、だんじりが勢いよく駆け上がる姿が見られる、名所の一つである。

つづく。



5月3日(日)04:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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