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No.9長野神社_烏帽子形山城跡_高向神社_金剛寺

緩やかな坂道の別久坂(ひっくざか)を登り詰めると、右手に石垣が続き常夜燈が見える。


常夜燈の横に「烏帽子形神社」と記された社標。
更にその右には「↑烏帽子形八幡神社本殿 高野街道」と「↑烏帽子形城跡」の道標が立ち並んでいる。



歴史街道「烏帽子形城跡」の説明板。

高野街道は、現在の河内長野駅から南へ向かって、通称「別久坂」または「ビック坂」と呼ばれる旧坂を上り、途中国道371号線を横断して坂を上りきり、烏帽子形山の東側山麓を進んでいます。
この山の山頂にあった「烏帽子形城」は、築城された年代は不明であすが、伝説では楠木正成が築いた城の一つといわれています。
もっとも、文献に現れるのは室町時代から安土桃山時代です。
中世の城は、防衛や見張りのため、ほとんどが急峻な山の上に造られました。
この烏帽子形城も山の上に築かれており、防衛戦略上や経済的な理由から、高野街道を山裾に取り込んだものと考えられます。
頻繁に往来する旅人には、高野聖などの僧や参詣人だけでなく、数多くの商人や運送業者がいました。
当時、旅をする一般庶民は、気軽に街道を通るのではなく、通行税を払ったり、尋問を受けたりしなければなりませんでした。
これらの人から通行税をとれば、重要な収入になります。
情報網が少なかった当時、通行人を把握することで、いろいろな情報を知ることができました。
また、この烏帽子形城跡の東山腹には、烏帽子形八幡神社があり、高野街道を見下ろすように鎮座している本殿は重要文化財に指定されています。
発見された棟札によると、文明12年(1480)に石川八郎が建立したことがわかっています。
河内長野市



手摺が完備された参道。


スロープが終わると石段を登る。
石段の耳石に“氏子中”と彫られていた。

つづく。



12月26日(日)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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