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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社34

桜井の別れ

楠木正成の(向かって右)死を覚悟の兵庫出陣に当り桜井の駅(三島郡島本町)において十一歳の我が子正行公(向かって左)との別れに「父の死後は足利氏の天下になるだろうがどこまでも正統の天皇を御守りせよそれが父への孝行となるのだ」と論し天皇から賜った短刀を与え身も心も我が子に伝へて出陣された。

忠孝両全 忠 忠義、孝 孝行、両全 両方共に完全であること

【参考】
桜井の別れ



楠公慰霊塔と説明板。


楠公慰霊塔 平成三年九月十五日移設

豊中市の杉野製作所の杉野社長の買収した或る山林に人知れずあったもの 台座には次の如く誌されている

楠正成公勤王の志し厚く正中元弘
建武延元此の四代の○○○○
桜井に我が子と別れ延元三年 月 日
当寺に宿泊
兵庫に於いて自弑し給ふ

元中三年七月○日
大河内内守 義弘
     安楽寺

武士の堅き心は桜はな
  ちりて後ぞ人や知るらん
     四十三歳 正成



七五三祝袋を持ったぺこちゃん人形。


四條畷神社を後にする。

注連石の右と左に文字が刻まれている。
「有孚 顒若」。

ネット検索すると、下記のサイトに
菅原神社

「有 孚 顒 若」という深い文字が刻み込まれている。
この四字は「ゆうふぎょうじょく」と読み、その意味は、「孚」は(まこと=信)であり「顒若」は(おごそかなさま)・(厳正な状態)を示す語である。
また、この場合の「若」は(わかい)という意味ではなく、(状態を表すことば)である。
従って全体の意味は、(信実の心を持っている者は、その態度も厳正である)という意である。

つづく。



2月7日(水)16:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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