山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)37

人家の庭先に植えられていたキングサリ。


こちらはエゴノキ。若い実をつけている。


茶畑から展望が開ける。向こうに見えるのは童仙房の山々。
お茶の木が見事に刈り込みされている。ここまで綺麗に刈り込んだ茶畑は見たことがない。



日本遺産。「日本茶800年の歴史散歩」。
お茶のPRかと思ったが、今山地区が高山ダム建設に伴い、新しく開拓された先駆的地域であることと、「緑の絨毯」に例えられる景観地であることを紹介している。
お茶そのものもきっと素晴らしいのだろう。

日本遺産 - Wikipedia

「日本遺産(Japan Heritage)」について|文化庁

尚、「日本茶800年の歴史散歩」の対象地域は、京都府宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、宇治田原町、和束町、南山城村の8市町村。



分岐。道なりに直進。右は茶園。


6月4日(土)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)36

突然、茶畑が現れ、視界が開ける。


この先、分岐。
道標は無く、ここは道なりに右へ。



コアジサイ。植栽されたものではなく、山野に自然に生えている。まだ蕾。


ノイバラ。ピンボケになってしまった。


人家が現れる。里が近い。


6月4日(土)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)35

分岐に立つ道標。右は花鳥の郷。ここは左の今山へ向かう。
月ヶ瀬口駅は今山にある。



暫く歩くと分岐となる。押原分岐を左に見送る。
今山まで2.9kmと表示。



ここまで山林の中を歩いてきたが、ここで山林が途切れ、畑が現れる。
前方の施設は月ヶ瀬浄水場。
道路の左に見える小屋は鶴辺公衆トイレ。



新しい鶴辺公衆トイレと、東海自然歩道の案内図。


ここから先、今山へ向かい月ヶ瀬口駅が本日のゴール。


6月3日(金)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)34

「花鳥の郷へ」と記された案内板。
花鳥の郷には行かないが、方向として途中までこの案内板の道を歩く。
花鳥の郷は日本画家上村敦之氏が荒れた山を買い取って、その名の通り、花鳥の郷として再生されている。

1105 南山城村/上村 敦之さん|自然と暮らす|日本のまほろば奥大和総合情報サイト「まほなび」



ササユリだろう。


こちらはキンラン。花数が少なく貧弱。
赤テープでマーキングしている。絶滅危惧種。



右から、八幡大菩薩、天照大神宮、春日大明神、と彫られている。
三社託宣(さんじゃたくせん)碑と見られる。。

コトバンク によると、三社託宣とは、伊勢神宮のアマテラスオオミカミ、春日神社の春日大明神、石清水八幡宮の八幡大菩薩の託宣を一幅に書き記したもの。
正直、清浄、慈悲が説かれている。
神儒仏三教を融合するとともに、皇室、貴族、武士の信仰を1つにまとめている。


三社託宣 - 西野神社 社務日誌



やがて分岐となり、後続の人たちを待つ間、小休止となる。
この分岐は左へ。



6月3日(金)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)33

春光寺(しゅんこうじ)の本尊は薬師如来立像で重要文化財。平安時代前期。
事前に予約をしておけば拝観可能。
昭和28年の南山城水害で庫裡が流出したため、創建時期等については不詳。

観仏日々帖 古仏探訪~京都府相楽郡南山城村・春光寺の薬師如来立像



春光寺の隣に国津神社があったが立ち寄らず。再び歩き出す。

これは猫が上り下りする階段かな―笑。



少しの区間だが、いかにも街道沿いといった佇まいの民家。
馬を繋ぎ止めておく「馬繋ぎの横木」の名残だろう。
街道はR163の北側に続いている。



一旦、南側のR163に出て少し戻る。
画像は歩いて来たR163を振り返って撮影。



渋久川(しぶひさがわ)に架かる石橋を渡って再び街道に入る。


6月3日(金)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)32

暫くR163沿いに歩いたが、道が違っていたことに気付く。
橋を渡ってすぐを左折(北)するのが、次の訪問地、春光寺への道。
引き返して画像の交差点を右折。
童仙房山荘6.5kmの看板が掛かっていた。



伊賀街道(大和街道)は、この分岐を直進だが、春光寺に立ち寄る為左折。
分岐には高麗寺(こうらいじ)の看板が見える。
このお寺を訪れたことがあるが、日本のお寺ではなく、日本に住む韓国人、または在日二世、三世のお寺として、新しく建立された。
尚、童仙房は明治時代まで人は誰も住んでいない。

仙の森/高麗寺/歴史



関西本線の踏切を横断。


やがて前方に春光寺が現れる。画像は本堂。
案内板によると、本堂は鬼瓦銘から寛政十一年(1799)創建で京都府登録文化財。



境内に立つ「金毘羅大権現」と彫られた常夜燈。
その左に十三重石塔が見える。
新しい時代のものと思っていた。
後でわかったが、笠石は鎌倉時代のものらしい。
基礎と初軸、相輪は後年のものだろう。



6月2日(木)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)31

直売所の農産物は、新鮮で安心して買えるが、この直売所は価格的な魅力があまりないように思えた。
店ではサービスのほうじ茶を頂いた。



結局、何も買わずに店を出る。
童仙房高原の看板が掛かっている。
以前、童仙房高原の山々を登った時、このあたりからクルマで童仙房高原へ上がった。



「やまなみホール」。
有名な建築家の設計と聞く。



やがて前方に南山城村役場が見えてくる。


山城谷川に架かる橋を渡る。


6月2日(木)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)30

ここは暫くの間、クルマに注意しながらR163沿いを歩く。


南山城村観光案内図。
観光案内図とはまったく関係ないが、河内音頭で知られる河内家菊水丸は、ここ南山城村に在住している。



R163沿いにある農林特産物直売所へ立ち寄る。


国道沿いなので、クルマで立ち寄るお客さんも多いことだろう。


山城地域は日本遺産に認定されているらしい。
日本遺産という言葉を初めて聞いた。
横山由依(AKB48)は木津川市出身。

京都やましろ観光大使/京都やましろ観光

AKBゆいはん号、京都に 茶どころ巡るバス : 京都新聞



6月2日(木)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)29

木津川に架かる恋路橋。
先ほど飛鳥路で見た潜沈橋とよく似ている。
今度は対岸へ渡る。



歩いて渡る限りでは橋の幅は十分あるので恐怖感はまったくない。(幅3.6m)


恋路橋の途中から上流方向を眺める。
画像前方に見える白い建物が南山城村役場。
画像左の陸橋は大河原駅構内の跨線橋。



大河原駅前にやって来た。
ここから列車には乗らず、駅を左に見送る。



駅前に設置されていた案内板。
恋志谷(こいしや)神社はルビが欲しいところ。



6月1日(水)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)28

    十輪寺跡の十三重塔 大字南大河原

 花崗岩製十三重塔で基礎の側面四方は素面である。塔身は高さ28センチメートル、幅は29.8センチメートル、下端は29センチメートルで月輪内に種字でウーン(阿閦)、タラーク(宝生)、キリーク(弥陀)、アク(不空成就)の金剛界四仏種子を配している。この塔は軒反の萎縮等から考えて室町時代中期の造立と考えられる。

           南山城村教育委員会



傍らに置かれていた石仏。


こちらは真輪院の東側に置かれていた五輪塔。


真輪院を後にする。
画像は天満宮・恋志谷神社の境内を振り返って撮影。
境内には古木が多く見られた。



東海自然歩道は、この先、高山ダムへと続くが、この日のコースは、木津川に架かる恋路橋を渡って右岸(北)へ行く。
※この地図は上が南になっている。



6月1日(水)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)27

境内で植栽されていた「タラヨウ」。
葉っぱがハガキの名前の所以となった木として知られる。



本日の反省会の話になった時、エースN氏が本日バースデイで不参加と知り、皆さんにお披露目の司会役を買って出たY氏。
オメデトウございます。パチパチ。



中壇からの石段を降りる。
石垣の雑草取りは順調に進んでいた。



昼食後、恋志谷神社を後にしょうとしたが、右隣にお寺が見えた。


恋志谷神社に隣接する峰栄山 真輪院。
説明板によると、真輪院は十輪寺跡(柳生友矩の墓)に建立された寺院らしい。

十輪寺跡(柳生友矩の墓) 大字南大河原

 十輪寺は、柳生宗冬(柳生家三代藩主)が父宗矩の死後4千石を領したとき、その領地に含まれていた南大河原村に兄友矩の菩堤を弔うために建立したという。
 柳生友矩は宗矩の次男として生まれる。母は京都の烏丸家の出であり、慶長8年の生まれ、幼名を左門と称し、文武両道に優れ容姿端麗で15歳で将軍家に仕え、寛永11年(1634年)6月、22歳で徒士頭、同8月刑部少輔友矩となった。その年11月2千石を受け、高尾・大河原を治めた。家光の側近の一人として破格の出世をするが、あまりに家光に近付きすぎたため父の怒りにふれ柳生の里に謹慎、病臥につく。その後寛永16年6月に27歳の若さで没した。現在の真輪院の東側に石碑も残っている。 
           南山城村教育委員会



6月1日(水)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)26

松本恵美子という歌手が唄う「恋路橋」という曲があるらしい。
「恋路橋」は、恋志谷神社の北西、木津川に架かる潜沈橋。
YouTubeで、歌を聴いてみたが、この「恋路橋」のことを歌っているようには思えず。

京都寺社案内*天満宮社・恋志谷神社 によると、境内には国道163号線より木津川に渡る。川には恋路橋(こいじばし)という欄干のない低いコンクリート製の橋が架かり、天満宮社の参道になっている。1945年に架橋された。それ以前は、渡し船が北大河原と南大河原の集落を結んでいた。潜没橋(せんぼつきょう)と呼ばれ、川の増水時には陥没する。この付近には同様の橋がある。また、「沈み橋」、単に「石橋」とも呼ばれている。長さ95m、幅3.6m、花崗岩製。1996年、公募により新たな橋名として「恋路橋」と命名されている。



天満宮・恋志谷神社社務所が発行した説明文。

天満宮
 【一部割愛】
 天満宮は、江戸時代初期に柳生藩第3代藩主柳生宗冬公が勧請したと伝えています。そして、この石鳥居は正保4年(1647)建立寄進されたものです。

鳥居には銘文が刻まれています。
 正保四年奉建立天神寳前石鳥居柳生主膳正宗冬敬白亥丁六月二十五日

 父宗矩や2人の兄(長兄十兵衛・二兄友矩)の愛したこの土地の神社に、柳生の主人公として深いかかわりのしるしに寄進したものであり、歴代の藩主がこの地を重要視したあらわれです。【一部割愛】

 恋志谷神社
恋志谷神社は、昔から子授け・安産・婦人病平癒など女性の守り神として知られています。
 
 鎌倉時代末期、元弘元年(1331)倒幕の計画が知れた後醍醐天皇は、京都を脱出し笠置山に籠って挙兵した。それを天皇に想いをよせていた姫(妃)が聞きつけ、伊勢で病気療養中にもかかわらず駆けつけたが、時すでに遅し。天皇は追っ手から逃れるため、笠置山を後にしていた。姫は悲しみと長旅の疲れから持病が再発。「恋い焦がれ、病に苦しむような辛いことは自分一人で十分。人々の守り神になりたい」と言い遺し、この世を去った。

 これを哀れんだ人々が祠を建て、祀ったのが「恋志谷神社」の始まりだと言い伝えられています。最期まで「天皇が恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、いつしか親しみを込めて「恋志谷さん」と呼ばれるようになりました。

 もとは古森とよばれた地に祀られていたが、江戸時代元治元年(1864)天満宮社に合祀されました。【一部割愛】



拝殿付近で昼食。


拝殿は吹き抜けで、萱葺となっているが、トタンで覆っていた。


境内の巨樹。左はケヤキと見られる。
右はモミの木だろうか。



5月31日(火)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)25

境内に巨樹が見えた。何本かあるようだ。


「嗽泉」。“そうせん”と読むようだ。
“嗽ぐ”は“くちすすぐ”と読む。
なので、くちをすすぐ泉で、そのものズバリ。



盃状穴。


恋志谷(こいしや)神社。


社務所となっている。


5月31日(火)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)24

木津川左岸から北、国見岳方向の眺め。


南山城村南大河原小字西海道の集落に到着。


開花を待つシャクヤク。


昼食場所となる恋志谷神社(こいしやじんじゃ)に到着。
社標は恋志谷神社の他に天満宮社の二つが建っている。
その後に石鳥居。



境内へは正面の石段を登る。
地元の夫婦と見られるお二人が神社の手入れをされていた。(石垣に生えた雑草の除去)



5月31日(火)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)23

照明を当て、磨崖仏を浮かびあがらせると、観音様の有り難味も増す―笑。
頭上の十一面観音が磨耗し、相撲取りの曲げや、江戸時代の女性の結髪のように見える。



お慈悲の心に満ちた横顔。
案内板に書かれていた左右の銘文は判読出来た。



阿弥陀石仏。
お姿の全体が見えない。



再び歩き出す。
左下に木津川の流れ。



分岐。右折は高山ダムへの別ルート。
ここは直進して恋志谷神社へ向かう。距離0.9km。



5月30日(月)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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