伊賀街道①(笠置_月ヶ瀬口)27 |
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| 境内で植栽されていた「タラヨウ」。 葉っぱがハガキの名前の所以となった木として知られる。
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| 本日の反省会の話になった時、エースN氏が本日バースデイで不参加と知り、皆さんにお披露目の司会役を買って出たY氏。 オメデトウございます。パチパチ。
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| 中壇からの石段を降りる。 石垣の雑草取りは順調に進んでいた。
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| 昼食後、恋志谷神社を後にしょうとしたが、右隣にお寺が見えた。
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| 恋志谷神社に隣接する峰栄山 真輪院。 説明板によると、真輪院は十輪寺跡(柳生友矩の墓)に建立された寺院らしい。
十輪寺跡(柳生友矩の墓) 大字南大河原
十輪寺は、柳生宗冬(柳生家三代藩主)が父宗矩の死後4千石を領したとき、その領地に含まれていた南大河原村に兄友矩の菩堤を弔うために建立したという。 柳生友矩は宗矩の次男として生まれる。母は京都の烏丸家の出であり、慶長8年の生まれ、幼名を左門と称し、文武両道に優れ容姿端麗で15歳で将軍家に仕え、寛永11年(1634年)6月、22歳で徒士頭、同8月刑部少輔友矩となった。その年11月2千石を受け、高尾・大河原を治めた。家光の側近の一人として破格の出世をするが、あまりに家光に近付きすぎたため父の怒りにふれ柳生の里に謹慎、病臥につく。その後寛永16年6月に27歳の若さで没した。現在の真輪院の東側に石碑も残っている。 南山城村教育委員会
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6月1日(水)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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