山陰道(丹波口駅_亀岡駅)51 |
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| 境内北方にある「旗立楊」の説明板。
※Wikipediaによると 挙兵した高氏が味方武将に所在を知らせるため、元弘3年4月27日から5月7日までの間「二引両」の家紋入りの旗を掲げたという楊(やなぎ。柳とは樹種が異なる)が立っている。この楊は『梅松論』にも記載がある。現在の木は昭和初期に挿し木したもので、高氏の時代より6・7代を経て引き継がれてきたものになる。(境内の説明板)
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| 「尊氏公旗立柳」の石碑が立つ。高氏の時代より6・7代を経て引き継がれてきたもの。
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| 旗立楊。説明文にあるように、柳とは樹種が異なる。
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| 旗立楊より北方向の展望。唐櫃(からと)越えの稜線。最高地点が、みすぎ山430m。
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| 篠(村)八幡宮を後にする。この後、馬堀駅へ向うか、亀岡駅まで足を伸ばすか迷ったが、この街道を再び歩くことは、もうないだろうとの意見が出て、亀岡駅へ向った。時間は4時少し前。一方、馬堀駅へ向う道は「異人街道」※と呼ばれている。この日はこの道を歩かず。
※保津川下りのサイトによると「異人街道」とは、 保津川下りは多くの人々に知られたことはいうまでもないが、中でも大正時代から昭和の初期にかけて、外人客に歓迎され京の町から二人力の人力車にゆられて老の坂を越え、舟下りを楽しむ青い目のお客が多かったことは、今も物語として伝えられ、山本浜の乗船場に通じる道に異人街道という異名がついたほどであった。
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1月4日(月)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)50 |
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| 参道を直進すると左側に境内があって、右側には篠村幼稚園があった。 画像の左奥、正面が拝殿でその奥が本殿。参道の右側は手水舎。
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| 篠八幡宮 (篠町篠) 【一部割愛】
創建は不明であるが鎌倉初期をあまり降らない頃と思われる。社伝によると延久三年(一〇七一)後三条天皇の勅命により河内の誉田から神霊を遷したといい、室町時代は将軍足利家の庇護をうけ醍醐三宝院門跡をして当社の別当職を管掌せしめ社領を寄進され大いに栄えた。元弘三年(一三三三)足利尊氏は当社に願文を奉ると共に上差の鏑矢一筋を添えて奉納して京都六波羅北条仲時を討ち建武中興の先がけをなした。この時、尊氏の旗印「源氏の白旗」を掲げた楊の大木の二代目が「旗立の楊」として現存している。本殿は明智光秀の丹波攻めの兵火で焼かれたが、後亀山城主松平氏により再建された。【以下割愛】
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| 本殿と拝所、右に「足利高氏旗あげの地」の石碑。 足利尊氏は“高氏”から後に“尊氏”に改名。
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| 本殿の右に祀られている「乾疫神社」。
※Wikipediaによると 乾疫神社(いぬいやくじんじゃ) 祭神:建速須佐之男神、大己貴神、少彦名神 例祭:1月19日 奈良時代以来の御霊信仰に基づき、「乾(= 北西)」の方角の丹波国・山城国の国境に勅願で創建された疫神社とされる。当地に八幡神が勧請される以前からの神社という。(境内の説明板より)
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| 境内の配置図。この地図を見ると、ここまで歩いて来た道は、山陰道ではなかった。 旧山陰街道(古大道)は境内の北東にあることを知った。 尚、このあたりの住所表示は、「亀岡市篠町篠古大道」。
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1月4日(月)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)49 |
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| 愛宕山常夜燈。民家の敷地内に建てられていた。
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| 茅葺屋根に銅板を被せた家屋。
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| こちらの蔵は後から窓を設けたようだ。
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| やがて立派な常夜燈が現れ、篠村八幡宮に到着。 常夜燈の側面に「丹波國弓射家中」と彫られている。比較的新しい時代の常夜燈だろう。下の土台石はそれより古い時代のものに見える。
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| 住所表示は「亀岡市篠町」となっているが神社の名称は篠町ではなく篠村八幡宮で“篠村”が固有名称になっている。
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1月4日(月)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)48 |
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| 王子神社を後にする。舗装された山陰道(府道402号線)を歩く。道路幅が狭く通行速度は30km以下に制限されていた。 このあたりは一面に大根畑(かぶら?)が広がっていた。時間は3時半を過ぎており西日を浴びている。
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| 北西方向の展望。左奥に見える山は牛松山だろうか。
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| 左右に立派な屋敷を見ながら歩く。車道と歩道の区分がされており比較的歩きやすい。
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| とれたて野菜の無人販売が見えたので立ち寄る。オール100円。
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| 聖護院かぶら100円は激安では。しかし“重量級”なので買わず。
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1月2日(土)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)47 |
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| お店の隣が「王子神社」。珍しいことではないと思うが扁額に笠(屋根)がある。
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| 王子神社(篠町王子) 【一部割愛】
祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冊尊(いざなみみこと) 王子神社の創建由緒は詳らかでないが、鎌倉時代熊野信仰によって当地に熊野若一王寺を勧請し、この辺りを「王子」と呼ぶようになったという。社は「正一位王子大権現」や「位有宮(位のある宮)」と呼ばれ、また、かつて広い境内に巨樹が生い茂り境内が暗かったことから「闇宮(くらがりのみや)」とも言われた。本殿は、木階の高欄の擬宝珠銘などから安永八年(一七七九)に造営された大型の一間社流造、柿葺で、ゆったりとした落ち着いた印象を受ける建物である。当社は、山陰道沿いに立地していたため街道を往来する旅人等が旅の安全を祈願した。境内社天満宮は、宝暦元年(一七五一)に造営され、今も五穀豊穣・家内安全・学問の神として信仰を集め、「王子天満宮」と呼ばれている。【以下割愛】
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| 愛宕山と彫られている。常夜燈の一部“竿”と呼ばれる部分に見える。側面には「寛政××年」と彫られていた。
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| 本殿(左)と拝所(右)。
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| 境内の巨樹。ツブラジイ。亀岡の名木となっている。駒札に記されているが、スタジイとよく似ている。
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1月2日(土)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)46 |
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| 鵜ノ川は保津川(桂川)の支流。昔はここまで小船が入ってこれたのだろう。
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| 長閑な田園風景が広がる。春に歩けば気持ちよさそう。
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| 鵜の川遊歩道。時間の都合で散策せず。
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| この先少し登りとなる。
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| 府道402号線に出合う。 三叉路の角地に製造直売「京つけもの もり」のお店がある。
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1月2日(土)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)45 |
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| 左右に竹林を見て舗装された道を下って行くと右手に「占い石」の案内板があった。うっかりすると気付かずに通過してしまいそう。
往時山陰街道を行きかう旅人はこの石に座る辻占師に旅の吉凶を問うたと言われています
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| 傍らにあった巨樹。ケヤキだろうか。
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| 三軒屋と記された案内板。その昔、三軒の家屋が建っていたらしい。
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| 北東方向の眺め。位置としては前方に見える山の向こう側に唐櫃(からと)越えと呼ばれる古道がある。手前に見える河川は鵜ノ川。
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| 船着場跡に到着。
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12月31日(木)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)44 |
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| チェーンが掛かった道路は旧道だろう。暫くR9と平行して歩くがすぐにR9と離れる。この道路は舗装されているが、一般車は通行不可。入口こそ雑草が生えていたが、中は歩きやすい。
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| やがて前方が開け再びR9が現れる。旧道から見るとR9は右に旋回していた。 京都方向への渋滞はなおも続いていた。
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| 渋滞しているクルマの合間を通ってR9を横断。近くに信号機はなかった。少し京都寄りに歩くと、山陰古道入口の道標がある。これよりこの類の道標を見て歩く。
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| 左に家庭菜園らしき畑が広がっていて、作業をされている方もおられた。
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| 暫く道なりに歩くと分岐となり道標が設置されていた。道標を設置しているのは篠野自治会・街づくり推進会。
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12月31日(木)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)43 |
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| ここから先、舗装道路は大きく下る。
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| 前方に京都縦貫道が現れ、高架の下を潜る。
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| 高架下のトンネルは上下線がそれぞれ別々にあって、位置が少しずれている。なので少しの区間だけ、上下線を左右に見て、その間の車道を歩く。画像は歩いて来た方向を振り返って撮影。
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| 二つ目のトンネルを潜ると、すぐにR9が現れる。この日は事故があったようで、京都方面は大渋滞となっていた。その後、上空にはヘリコプターが旋回していた。
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| 山陰道はR9の手前、左側に車止めのチェーンが掛かった舗装道路を歩く。
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12月30日(水)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)42 |
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| 舗装された道路を下ると左手に道標らしきものがある。
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| これは“国分石”と呼ばれるもので「従是東山城國」と彫られていた。
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| “国分石”のすぐ上を見上げると、大暑山・小塩山方面を示す道標が潅木に掲げられていた。大枝の山・西山団地経由となっている。
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| 老ノ坂峠に建つ民家。人が住まわれている気配はない。
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| 民家の脇に建つ愛宕山と彫られた常夜燈。その右には「京都の自然二百選」老ノ坂峠(山陰道)と記された標柱が立っていた。
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12月30日(水)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)41 |
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| 例大祭は毎月四月十五日となっている。“大例祭”は誤りだろう。
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| 首塚大明神の由緒。
平安時代初期(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、京の都へ出て、金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので人々の心に大きな不安を与えていた。天子(天皇)、源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが相模の国の足柄山で、熊と相撲をとったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が急に持ち上がらなくなった。そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられる。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき今までの罪を悔い、これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。昭和六十一年三月 宗教法人 首塚大明神社務所
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| 社殿から作業小屋(休憩小屋だろうか)を眺める。社殿はこんもりとした高台にある。
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| 首塚大明神を後にする。
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| こちら側が参道だったようだ。
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12月28日(月)19:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)40 |
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| 切り通しの道となるが、果たしてこの道が山陰道だったのだろうか。道幅が狭いし街道としては険しい気がする。また前方に見える道は石畳ではなく、道崩れ防止の砂利を詰めた袋だった。
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| 峠に出たが、道路が通じている。道路の下を潜る。説明板にあるように西部クリーンセンターの関係車両が通行する道路となっている。分岐にもなっており、ここから右に上がると「洛西散策の森」に通じているらしい。
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| 峠からは下りとなるが、この道が街道とは思えない。
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| すぐに舗装道路となり、左手に作業小屋のような建物が見えた。
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| 作業小屋の右上が小さなコブになっていて登ると、首塚大明神の扁額が掲げられた鳥居と社殿が現れる。
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12月28日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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阿保越①(赤目口駅_美旗駅) |
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| 2015年12月27日(日)は、おおばこの会に参加した。題して「伊勢表街道(阿保越)パート1」。天気予報通り終日曇天で雨は降らなかったが風が冷たく感じた。尚、私の知る限り反省会は特になかったと思う。
コース概略 近鉄大阪線・赤目口駅_八幡神社_丈六寺_稲荷神社_鍛冶町橋_一の鳥居_はなびし庵_乱歩生誕地碑広場_名張藤堂家邸前_名張公民館(昼食)_春日神社_蔵持公民館_美波多神社_美旗駅
画像はこの日歩いたGPSログを表示している。
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12月27日(日)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)39 |
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| 「洛西散策の森」で少し休憩し、来た道を道標があった「洛西散策の森」分岐まで戻る。左に京都霊園、右に小畑川と京都縦貫道に挟まれた舗装道路を進む。出会う人はない。
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| 右側の京都縦貫道は「新老ノ坂トンネル」の入口となる。長さ1070mと表示。
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| トンネル入口を右に見送って進むと分岐。手持ちの資料を見てここは右へ。車止めのチェーンを跨ぐ。
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| 暫く歩くと車道は行き止りとなる。
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| ここでも手持ちの資料を見る。フェンスの右に山に入る道があるのでこれに取り付く。
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12月26日(土)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)38 |
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| 「洛西散策の森」の道標を見て立ち寄ることに。
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| 京都縦貫道のトンネルを潜る。
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| トイレがあったので利用した。
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| 「京都府立大学大枝演習林」となっていた。演習林の一部が森林散策のために「洛西散策の森」として一般開放されているらしい。
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| 「洛西散策の森」の案内板。
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12月26日(土)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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