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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.18信貴山奥の院

説明板。

「日本最初 毘沙門天主出現霊場 當山縁起と焼米の由来」

當山に御安置申し奉ります御本尊毘沙門天王は、聖徳太子の御作で守屋大連討伐の御時、毘沙門天王が阪部大臣と化身して先鋒を振るわれましたので、御尊像に汗をかかれたと申します。
聖徳太子歓喜の余り此處に堂宇を建立し御安置申され、千四百有余年の今日に到る迄、汗かき毘沙門天と申し、御霊験極めてあらたかで有ります。
なかにも當山の浄域より不思議にも地中より焼米が湧出します。
この焼米の由来は毘沙門天王福徳無量にして、寶米積む事、山の如く聖徳太子守屋大連討伐の御時尊天より兵士への兵量として授かりましたが、有難きお米でありますのでその幾分をさいて焼米として後世迄も残し、尊天の御成徳を輝かし奉らんとこの浄域に納められました。
諸人是を拾えども更に尽きる事なく、故に山号を米尾山と申します。
信人堅固にして仁慈を行い毘沙門天に帰依して、この焼米を頂く者は如何なる病も立處に除き福壽増長して眞の寶米を得られると云う誠に有難い御寶米であります。

米尾山多聞院 信貴山奥之院



説明板に記載されている地中より焼米が湧出する“浄域”。


人造物ではなく自然石のように見えた。
人が立っているシルエットに見えなくもない。



境内の一番奥まったところにやって来た。
画像の左側は多聞天王像を真ん中にして、左に善膩師童子像、右に吉祥天女像が安置されている。
善膩師童子は聞き慣れないが、毘沙門天(別名:多聞天王)と吉祥天女の子供。



多聞天王像。

つづく。



3月23日(月)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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