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No.13木津川源流2(新田辺から木津へ)

コンクリート製の標石。
三川の合流点から15.0kmと表示。



車通行止のゲート。
右側に石碑らしきが立っている。



石碑「飯岡(いのおか)の渡し場跡」。
下記、京田辺市観光協会のサイトによると、
飯岡の渡し場跡

『昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会 玉水橋下流、飯岡の入口付近の木津川べりに千貫岩という大きな岩が露出している。
ここから対岸の玉水に渡った。この渡し場は、月の名所でも有名である。
玉水橋から堤防を北に入っていくと豊田翁の碑に隣接してある。』



「飯岡の渡し場跡」の石碑に隣接している「豊田翁の碑」。
左の石柱には「水路開掘 祖贈従五位豊田義憲翁旧跡」と彫られている。
同じく、京田辺市観光協会のサイトによると、
豊田翁の碑

『飯岡は木津川の千貫岬に大岩があるため、村人は旱天に悩み、洪水に苦しんでいた。
豊田武兵衛はこれを憂い、宝暦13(1763)年に用水路計画に着手した。
千貫岩は安永元(1772)年に打ち抜かれ、ここに万年樋が完成。
残る工事は平坦部だけとなったが、永年の工事で私財を使い果たし、また幾多の妨害を受け八幡伝法院に身を寄せることを余儀なくされた。
村人は万年樋に水を流すため、残っているわずかの工事を完成させ、武兵衛に帰村を乞うたが彼は固持して受けず、寛政6(1794)年に伝法院の一室で77歳の生涯を閉じた。
天保3(1832)年になって万年樋の上に碑が建てられた。』



傍らに日本遺産の案内板が立っていた。
「玉露の郷 飯岡」。
飯岡は手摘み玉露の産地。

つづく。



5月5日(水)05:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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