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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


太子道(筋違道)5

何やらSさんが石灯籠の後に向かう。その後を追うF氏。


盃状穴(はいじょうけつ)。この石灯籠だけに見られた。他の石灯籠には確認出来ず。


この巨樹はケヤキに見えるが違っているかもしれない。


社殿は奈良県指定文化財になっている。


素盞嗚神社のご由緒。
※境内の案内より
重要文化財 興留 素盞嗚神社
 この社の主神は素盞嗚命(すさのおのみこと)を祀られ創紀由緒は不詳であるが「興留」地名の起こりとされる天智天皇(六七〇年頃) の頃の貴人・興間人王子(おきまびとのおうじ=後の天武天皇)の宮殿内(興留五丁目一・二・四付近)に祀られていた神々を遷座されて旧指定村社となっていたのが現在の神社と伝えられています。
 社殿は春日造一間社にして桧皮葺・向背付朱塗で様式上室町末期と推定され中世社殿の著例として昭和四十四年三月奈良県指定文化財に認定されています。
 尚 当神社には貴重なる文化財として語れるものがございます。
一、石燈籠 本殿右側の三社前に建つ
      貞享二年(一六八五年五代将軍綱吉が生類憐みの令発布) 壱基
      貞享三年(一六八六年) 壱基
二、獅子・狛犬
      横に広い顔・奥に引込んだ目・大きく深い彫りの巻毛・流れ毛は獅子(阿形)は前へ靡き、狛犬(吽形)は後ろへ靡く、力強く躍動的な姿体である。
      獅子台座正面の「奉」の右払いの先端は十四糎もの深い彫りである。
      裏面には「作師照信 花押」とあり、狛犬、台座の「献」も深いものである。
      裏面には「安政四年丁巳九月日」(一八五七-アメリカのハリスが下田に着任した頃)が刻まれている。
      作者は「村上照信」通称「丹波の佐吉」と言われ天才的技能に長じ、狛犬をはじめとし石灯籠・石仏・道標など多岐に及んでいる。
三、奉納絵馬
      拝殿に沢山掲げられている中に西南戦争(一八七七~)の薩摩軍の西郷隆盛と幹部の描かれた二枚の絵馬がある。



7月7日(火)20:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

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