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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


大阪市渡船場巡り_なみはや大橋9

「浪花 天保山風景」のオブジェ。

   浪花 天保山風景 歌川貞升 画

 天保山は当時、生駒、金剛、比叡などの山々や四国、淡路島など四方の眺望に恵まれた景勝の地でした。
 松や桜を植え、掛茶屋、見晴堂などもでき、庶民憩いの場として大いに賑わいました。
 「浪花天保山風景」は、パノラマ風にその賑わいを描いたもので、天保山で遊ぶ人々の様子など細かく描かれ、休憩所や石垣で囲まれた船泊りなども良く分かります。



現代風な灯籠と「お龍+龍馬」のポスター。
日本初の新婚旅行は、ここ天保山から出発した。



日中友好の碑

  彰往察来
        2005年6月

 先の戦争において、たとえ戦時下という異常な状況の中とはいえ、多くの中国人が日本国内の鉱山や港湾などにおいて、厳しい労務の中で多くの苦難を与えられました。
 ここ大阪においても、「日本へ強制連行され、大阪で港の荷役を強いられた。」といった体験者の証言もあり、また、「華人労務者就労事情調査報告書」(外務省報告書)において、千人を超える中国人のうち八十人を超える方が、港湾荷役労務などの中で、再び祖国へ帰ることなく亡くなっていることが明らかになりました。
 われわれが心に深く刻み付けて忘れてはならないことは、過去の歴史を教訓として学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 この歴史的事実を厳粛に受け止めて、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを超えた相互理解と友好を深め、永遠の世界平和を心から願う気持ちを込めて、ここに日中友好の記念碑を設置します。
  彰往察来とは「過去をあきらかにし、未来を察する」ということ
   2005年6月



「明治天皇観艦之所」の碑。
裏には「大阪市青年聯合團建之」、下に碑文が彫られていた。



大勲位戴仁親王殿下御題字

 明治元年三月 明治天皇大阪ニ行幸アラセラレ天保山ニ上リテ親シク軍艦ノ操練ヲ閲シ給フ本邦海軍興隆ノ運實ニ是ニ開ク此地即チ王躅ヲ留メ給ヒシ所ナリ後年ソノ迹ノ湮滅セムコトヲ慮リ 大正天皇銀婚式記念トシテ建碑ノ議起リ昭和四年五月工ヲ起シ同十月ニ至リテ成ヲ告ク乃チソノ所由ヲ記シテ不朽ニ傳フト云爾
 昭和四年十月
   大阪市青年聯合團長 關 一 謹誌



4月28日(木)18:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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