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住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社24

境王子跡

境王子は大鳥王子とともに堺市域にあったとされる熊野九十九王子社の一つです。
熊野九十九王子社とは上皇や女院の熊野詣が盛んであった平安時代中期から鎌倉時代中期にかけて、大坂から熊野三山にいたる熊野街道ぞいに設けられた熊野権現の末社のことです。
京から熊野に詣でる人々は、船で淀川を下り大坂窪津王子(現大阪市中央区石町二丁目)の辺りに上陸します。
そして陸路熊野街道(西熊野街道)を南下し、坂口、阿倍野などの王子を経て境王子へと至るのです。
熊野街道が市内をどのように通っていたのかは定かではありませんが、南下し大鳥王子、篠田王子(現和泉市)を経て、熊野三山へと向かいます。
熊野に詣でる人々は王子社で休憩して旅の疲れを癒したり、身を清めて遠く熊野を遥拝したりしたのです。
また王子は熊野街道の路程表示や駅逓の役割も果たしていました。
江戸時代中期以降、熊野詣での衰退に伴って、王子社のり大部分はさびれてしまい、社殿が失われた王子社も少なくありません。
境王子も現在ではその痕跡も留めておりませんが、『堺市史』では王子ケ飢公園付近を境王子跡に比定しています。
なお、碑の建立あたり、碑の原石は熊野三山のひとつ熊野本宮が所在する和歌山県本宮町より寄贈をうけました。
碑文は、堺美術協会会長辻川穆堂氏に揮毫していただきました。
  平成四年 堺市教育委員会



石仏が二体あるが、左は上部が欠損。
右のお地蔵さんも足元をセメントで修復しているようだ。



左は石造物を構成する一つだろう。
台石のようにも見える。



境王子跡を後にして南へ歩く。


堺市のマンホールの蓋。
下記、堺市上下水道局のサイトによると、
堺市上下水道局

日本最古の木造洋式灯台(大浜北町5丁地先)をデザインした蓋。

つづく。



1月7日(日)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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