山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

酒蔵みてある記(齋藤酒造)14

住所表示は、「伏見区桃山町金森出雲」となっていた。郵便局が設置した住所表示板を初めて見た。


程なく御香宮神社(ごこうぐうじんじゃ)に到着。北門から境内に入る。


境内の末社、松尾神社。


ヨウコウザクラだろう。


こちらはヤマザクラ。


4月14日(火)22:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)13

金礼宮を後にする。


伏見区役所の角で左折し酒工場を右に見て東へ歩く。後でわかったが、この工場は宝酒造伏見工場。


福智地蔵尊。盗難対策だろう。金網で囲われ鍵が掛けられていた。


側面に銀座三丁目と彫られている。
※京都伏見観光連携協議会のHPによると、「慶長6年(1601)に徳川家康が伏見に日本発の銀座を開いたとされる。」
全国に多々ある銀座の地名は東京の銀座が発祥地ではないらしい。
※京都観光Naviによると、銀座町は江戸時代のはじめ、徳川家康によってはじめて銀座がおかれたところである。銀座とは、鋳を加工して一定の品位をもつ丁銀、小玉銀などの銀貨とする独占鋳造所のことで、特権商人によって構成される。関ヶ原の戦が終った翌慶長6年(1601)5月、家康は後藤庄右衛門、末吉勘兵衛に銀座取立を命じ、この地に四町の屋敷を与えた。有力庄人の座人が集められ、早くから銀鋳造は特殊技術をもつ大黒常是(だいこくじょうぜ)が鋳造を担当し、銀座会所、座人屋敷が立ちならんだ。これが、江戸時代銀座のはじまりである。慶長13年(1608)、銀座は京都中京の両替町へ移され(のち江戸、大阪などにも設置)、伏見銀座は廃止されたが、銀座の地名を今にとどめている。



京阪電車の踏み切りを渡ってすぐを左折(東)し、近鉄電車の高架下を潜る。画像の左に道標が写っているが歩いている時は気付かなかった。


4月11日(土)22:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)12

右(西)に大黒寺を見て、左の金礼宮(きんさつぐう)の境内に入る。
※金礼宮のHPによると、「京都伏見の当社・金札宮は、伏見で最も古い神社のひとつで、祭祀を司る霊験あらたかな天太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀り、また観阿弥の謡曲「金札」や、ご神木で京都市指定天然記念物のクロガネモチの木でも知られ、開運と幸運を呼ぶ神社として永く人々の尊崇を集めています。」



ひときわ目立つご神木、クロガネモチの巨樹。


京都市が設置した金礼宮のクロガネモチ説明板。


境内に祀られていた末社。


拝殿。


4月11日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)11

ユキヤナギが満開。


こちらはハナモモだろう。


開花し始めたハナカイドウ。


京都市伏見板橋児童館前に立っていた道標。「南 右京大津みち」。


この日は板橋保育園の卒園式。


4月10日(金)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)10

住吉児童公園で見たコブシの花。かなりの大木。


小豆屋町の角で右折(西)するが、角に地蔵堂が見えたので立ち寄る。画像左。


見ての通り、女性の石仏なのだろう。それにしても、このあたりの石仏は、お化粧と云うかペンキで着色されている。この後も、いくつか石仏を見たが、いずれもこのように着色されていた。尚、地蔵尊と表示されていたので、お地蔵さんなのだろう。


枡形町に出て、濠川(ほりがわ)に架かる枡形橋を渡る。


濠川の流れ。水量は多い。


4月10日(金)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)9

右上に阪神高速8号京都線の高架を見て南へ歩き、城南宮東口バス停前を通過。


暫く歩いて左折(東)し、小さな公園の中を通る。


東高瀬川に架かる醍醐田橋を渡って、東高瀬川に沿って南へ歩く。


やがて東高瀬川と別れ、左折(東)して伏見駅方向へ歩く。


道が狭くなる手前で右折し、琶湖疏水に架かる西鍵屋橋を渡る。


4月10日(金)22:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)8

お化粧された?お地蔵さん。これには正直驚いた。


比較的新しい時代のものに見える。


境内の様子。


北向山不動院を後にする。


「伏見柳町傾城中」と彫られた常夜燈。“傾城”とは遊女の意。伏見柳町というのは中書島遊廓のことらしい。


4月7日(火)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)7

北向不動尊は平安時代後期のもので重要文化財。お堂の中に入ったが、本尊は拝めず秘仏になっていた。


護摩壇。


香炉。石仏が彫られている。


地蔵堂が見えたので立ち寄る。


献燈。


4月7日(火)21:52 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)6

冠石(かんむりいし)。
※京都市歴史資料館のHPによると、鳥羽天皇(1103~56)は譲位後、白河上皇(1053~1129)が創建した鳥羽離宮に入り、殿舎や仏殿を増築した。その際この石の上に冠を置き、これを中心に造営したと伝える。この石標は、鳥羽離宮の冠石を示すものである。



北向山(きたむきざん)不動院の境内に入る。


ここにも石仏が所狭しと置かれていた。


北向山不動院の説明板。


常夜燈。「文政四辛巳? 正月吉日」。?の文字は不明。


4月7日(火)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)5

ソメイヨシノとカエデの新芽の紅葉(右)。


安楽壽院が設置した本尊阿弥陀如来坐像の説明板。


鳥羽離宮跡とその庭園の説明板。
「白河天皇は、応徳3年(1086)から鳥羽離宮の造営に着手され、次いで鳥羽上皇も精力的に行われました。 離宮内には南殿、北殿、馬場殿、泉殿、東殿、田中殿などの御所や証金金剛院、勝光明院、成菩提院、安楽寿院、金剛心院などの御堂(寺院)が建立されました。これらの御所跡や御堂跡の発掘調査によって、南殿跡では御所跡や園池・遺水、北殿では勝光明院阿弥陀堂と推定される基壇や園池・中島を、東殿跡や安楽寿院旧境内では大規模な園池や中島を、田中殿や金剛心院境内では釈迦堂・九躰阿弥陀堂や園池を、馬場殿跡周辺部でも庭園の一部を発見しています。 調査で発見した景石は、その活用を目的に、安楽寿院収蔵庫の周囲に移築復元を行うことになりました。 移築に際しては調査当初の姿に戻すように心がけました。景石の大半は高野川流域から採取され、和歌山県周辺部から運ばれてきたと推定される和泉砂岩や緑色片岩も見うけられます。」



説明板にある鳥羽離宮跡配置図。


このあたりのソメイヨシノは七分咲き。


4月6日(月)23:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)4

手水舎。


ソメイヨシノにしては、ピンクが濃い。


こちらはソメイヨシノだろう。


三如来石仏。釈迦、弥陀、薬師の三尊。


こちらにも同じような三如来石仏が祀られていた。どちらも凝灰岩で作られているようだ。


4月5日(日)19:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)3

安楽壽院の説明板。
※Wikipediaによると、安楽壽院(あんらくじゅいん)は、京都市伏見区竹田にある真言宗智山派の寺院。本尊は阿弥陀如来。山号はなし。京都の南に位置した鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂を起源とする皇室ゆかりの寺院である。境内に接して鳥羽天皇と近衛天皇の陵がある。



境内にまとめて置かれていた石仏たち。


大師堂(正面)と阿弥陀堂(右)。


宝篋印塔。


「天下泰平 皆供成佛道 奉納大乗妙典日本廻國 江戸麻布 蓮貞 國土安全 為惣六部菩提 供養」と彫られた供養塔。上部に彫られているのは大日如来に見える。


4月5日(日)19:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)2

竹田駅から南方向へ歩く。日中の気温がグングンと上がりそうな予感がしたが、結果はその通りで、上着を脱いで歩くことになった。


暫く歩き右折すると、こんもりとした森が見える。


案内板によると、近衛天皇安楽壽院南陵。写真だけ撮影して通過した。


すぐ右手に安楽壽院の山門が現れる。


ソメイヨシノが開花しはじめており、天気も良くて最高の気分♪


4月5日(日)19:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(齋藤酒造)1

2015年3月28日(土)は、近鉄のハイキングイベント「酒蔵みてある記」にSさんとH氏の3人で参加した。酒蔵は京都伏見の齋藤酒造。代表銘柄は「英勲」(えいくん)。伏見で創業し来年が120年の蔵元。全国新酒鑑評会にて14年連続の金賞受賞は歴代一位。この日の参加者は1,098名。今回が大阪地区の最後のイベントとなった。甘酒のふるまいがあるとされていたが、先着700名で残念ながら飲めず。サクラが開花し始め、あちこちで見ることが出来た。

コース・タイム
10:20近鉄京都線竹田駅10:30_10:38近衛天皇安楽壽院南陵_10:39安楽壽院10:43_10:44北向山(きたむきざん)不動院10:59_11:03城南宮東口バス停前_11:11東高瀬川に架かる醍醐田橋を渡る_11:27琶湖疏水に架かる西鍵屋橋を渡る_11:32地蔵尊(小豆屋町)_11:36濠川(ほりがわ)に架かる枡形橋を渡る_11:42金礼宮11:44_11:49福智地蔵尊(銀座町三丁目)_11:56御香宮神社・昼食12:38_12:39桃山餅_12:56白菊水(しらぎくすい)13:02_13:04月の蔵人前_13:10月桂冠大倉記念館前_13:12宇治川派流に架かる弁天橋を渡る_13:14長建寺13:24_13:30宇治川派流に架かる蓬莱橋を渡る_13:31寺田屋前_13:40大手筋通り出合い_13:47新高瀬川に架かる新大手橋を渡る_13:48齋藤酒造14:07_14:15松本酒造前_14:25餃子の王将・大手筋店(反省会)16:20_16:28近鉄京都線桃山御陵前駅

画像はこの日歩いたGPSログ。近鉄京都線竹田駅から餃子の王将・大手筋店まで。



朝の蛙股池。中央に菖蒲池神社。水位も回復し春の様相。


菖蒲池駅に向かう途中で撮影。ソメイヨシノは蕾が膨らみかけていた。


近鉄京都線・竹田駅に到着。ところが改札口が北と南の二ヶ所あって、どちらが受付場所なのか一瞬迷った。駅ホームで係りの人の案内により、南改札口であることを知った。画像は受付の順番待ち。


竹田駅では初めて乗り降りしたが、地下鉄の駅も兼ねており、意外に大きな駅。


4月5日(日)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(長龍酒造)

2015年2月15日(日)は、近鉄恒例のハイキングイベント、酒蔵みてある記にH氏と一緒に参加した。酒蔵は広陵町の長龍酒造。所用があったYさんは、用事を済ませ、途中から参加された。出発地点は近鉄大阪線・五位堂駅10時。五位堂駅で乗り降りしたのはこれが初めて。コースは広陵町の古い町並みを歩き、馬見丘陵公園を散策しながら、長龍酒造に14時に到着。距離約9.3km。酒蔵見物を終えてから、反省会場の餃子の王将・王寺店まで歩いた。距離約5.8km。尚、参加者数は1,385人。

画像はこの日歩いたコースのGPSログ。



2月16日(月)22:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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