山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

大阪市渡船場八ヶ所巡り18

画像の手前が下船した大正区船町側。
木津川運河を挟んで対岸は乗船した大正区鶴町側。(赤四角)



船町側渡船場の入口。


船町渡船場から南へ通じる道路を歩く。
右手に日立造船築港工場を見ながら道なりに左折。
暫く船町通を東に歩く。
中船町バス停前を通過。
右手に新木津川大橋の巨大なループ橋が見えてくる。



バス停前を過ぎて次の交差点を右折すると正面に木津川渡船場が現れる。


最終便は20時30分と掲示。

つづく。



12月27日(水)07:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り17

こちらも日中は一時間に3便となっている。


渡船に乗り込む。
この日四回目の乗船となるので、かなり慣れてきた。
船の揺れはほとんどない。
運河なので波も静か。



画像は運河の東方向を撮影。


この後、接岸。


船から先に降りた乗務員が接岸して地上の入口の扉を開き、後に降りた乗務員が渡船の扉を開く。
扉は乗務員以外開閉禁止。

つづく。



12月27日(水)07:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り16

昼食後、大正通を南へ。
鶴町南公園前の交差点に到着。



交差点で府道5号線を横断。


鶴町南公園を右に見て歩き、突き当たりの三叉路を左折。(東)


更に右折(南)すると、正面に船町渡船場が見えて来た。


画像の手前がこれから乗船する大正区鶴町側。
木津川運河を挟んで対岸は大正区船町側。

つづく。



12月27日(水)07:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り15

まもなく渡船は大正区鶴町側に接岸。


鶴町側の渡船場と、右上は千歳橋。


千歳橋(ちとせばし)

千歳の名は、江戸時代、弘化二年(一八四五)から開発された千歳新田に因む。
明治以降の近代化の中、この地も市街化が進み、大正十一年に旧「千歳橋」が千歳堀に架けられ、市電も通って重要な交通路を担っていた。
当初は木橋であったが、昭和十五年には鉄の桁橋に架けかえられている。
戦後、大正区においても復興事業が進められ、大正内港が整備されるに伴って、この橋は昭和三十二年に撤去されたが、地域における交通路の必要性は高く、架橋が待たれていた。
新たな橋の建設は、大正地区復興土地区画整理事業の協力も得て進むこととなり、平成十五年に完成した。
この「千歳橋」は、規模や形こそ異なるが旧「千歳橋」の役割を半世紀ぶりに復活したものと言える。
  平成十五年四月 大阪市



千歳渡船場を後にして、昼食地の鶴町中央公園へ向かう。
市立鶴町小学校前を通過。
公園は小学校の西側に位置していた。



公園のベンチに腰を掛けてゆっくり昼食タイム。
食後、公園などでよく見る棚が藤棚ではなく、ノウゼンカズラ(凌霄花)なので驚いた。
私はノウゼンカズラの棚を、ほとんど見たことがないと思う。
ノウゼンカズラ

つづく。



12月27日(水)07:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り14

やがて巨大な千歳橋が頭上に迫ってくる。
この橋は大正区北恩加島(きたおかじま)と同区鶴町を結んでいる。
【参考】
千歳橋(ちとせばし)



正面に千歳渡船場の看板が見える。


こちらは日中一時間に3便。


ここも自転車に乗る人が多い。
尚、バイクは乗船出来ない。



渡船から西方向に見えた大きな橋は、府道5号大阪港八尾線に架かる「なみはや大橋」。
この橋を歩いて渡ったことがある。

つづく。



12月27日(水)07:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り13

大正区側乗り場に展示されていた昔の甚兵衛渡船場の絵。
「浪花百景」の一枚。
ウルシ(漆)の葉の紅葉が印象的。

【参考:大阪市立図書館デジタルアーカイブ】
大阪安治川口細見

【参考:今も残る私たちの足 「渡船」 - 大阪市】
今も残る私たちの足 「渡船」 - 大阪市



大正区側の甚兵衛渡船場、入口付近。


次に乗船する千歳(ちとせ)渡船は南方向に位置している。
丁度、交差点で「千歳渡船場→」の案内板を見て右折。



大浪通を南西に向かって歩く。
新千歳バス停前を通過。



「千歳渡船場→」の案内板をチェック。
引き続き大浪通を歩く。

つづく。



12月26日(火)06:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り12

渡船は直に対岸に進むのではない。
一旦、尻無川の上流に進み、右に旋回して対岸に向かった。
画像は旋回してから港区側の乗り場を撮影。
画像の右上にGPSログを表示した。



大正区側に渡船を接岸。


徒歩で渡船する地元の人は少ない。
自転車を押す人が多い。



時刻表。
こちらは日中一時間に4便。
天保山渡船の2便と較べると2倍の運航回数。
しかも、平日の朝は臨時運航となっている。
これは乗客が集まり次第出航するということだろう。(ピストン運航)
その為に、渡船が三隻も停泊していた。



下船した大正区側乗り場。
対岸は港区側乗り場。

つづく。



12月26日(火)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り11

尻無川(しりなしがわ)を挟んで、対岸に大正区側の渡船場が見える。
川幅は安治川と較べると狭い。
そして渡船が三隻も停泊している。
これは乗客が多いので運航回数が多いということだろう。



渡船は何の合図もなく出航する。
旅行気分を期待する方がおかしい―笑。



程なく渡船が着岸。
大正区側は“泉尾”。(=大正区泉尾)
港区側は“福崎”と表示されている。(=港区福崎)



渡船を利用する人たちにとっては道路代わり。


離岸した港区側を撮影。

つづく。



12月26日(火)06:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り10

池島公園の中を右へ通り抜ける。


ここで、後続の人達を待った。
道を歩くのとは違い、公園の中を通り抜けるのは、迷いやすいので。
ところが、5分以上待っても姿が見えない。
後でわかったが、公園内のトイレを利用していたとのこと。

後続の人達を見て、北東方向に歩く。



右側にゴルフセンターを見て歩く。
画像の突き当たりを右折。(南東)



オンワードの倉庫を右に見て進む。


そのまま直進すると、正面に甚兵衛渡船場の看板が見えた。

つづく。



12月26日(火)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り9

御座候の110円と較べると価格相応。


明石焼をメインに商売しているお店らしい。


八幡屋商店街を東へ歩き、次のポイントである甚兵衛(じんべえ)渡船場へ向かう。
ところが、予めルートが定まっていなかったようで迷走してしまう。
画像は池島交番前。



その後、スマホを取り出し、行先を甚兵衛渡船場に設定してルート案内を開始。
画像の池島小学校前を左折して北東方向へ歩く。



池島公園の中に入る。

つづく。



12月26日(火)06:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り8

車道を横断。
歩く方向が北東から東南に変わるが、次のポイントである八幡屋商店街を目指して、再び北東方向へ歩く。



市立港晴小学校前を通過。


目当ての「八幡屋」の看板とアーケードがあった。


ここだけ雰囲気が違っている。
アーケードがあるからだろう。
屋台もチラホラ見える。



Tリーダーが奢ってくれることに。
一個80円で良心的な値段。
最近、関西で各地に出店している「御座候」の価格は110円。
御座候

つづく。



12月25日(月)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り7

路上にイチョウの銀杏が沢山落ちていた。


天保山運河に架かる千舟橋の歩道を歩く。
画像は運河に停泊中の船。



広い歩道が設けられており歩きやすい。


阪神高速天保山入口付近。
引き続き歩道橋を北東方向へ歩き、その後地上に降り立つ。



歩道橋には「ゆうやけばし」の名前が付けられていた。

つづく。



12月25日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り6

天保山公園では、丁度、イチョウの黄葉が見られた。
長い階段を降りる。



石に取り付けられた「天保山公園」の銘板。


水上消防署前を通過。
先ほど、船上でオレンジ色の服を着た人が訓練らしきをしていたが、水上消防署の訓練だったようだ。



これは落書きとは思えないが・・。
右の動物はイルカ?



海岸通を南へ歩く。
前方の高架橋は大阪メトロ中央線。
この区間は地上を走っている。
コースは次の交差点を左折。(北東)

つづく。



12月25日(月)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り5

天保山渡船場(築港乗り場)を振り返って撮影。


ここへ来たら、当然?ながら“日本一低い山”(但し、標石をもつ山の中では)天保山に登る?


二等三角点が埋められていた。
標高4.53メートル。



天保山大観覧車を正面に見て西方向、天保山公園を歩く。


天保山跡の石碑。
下記サイトによると、
天保山(てんぽうざん)跡

天保2年(1831)安治川とその港口を浚渫(しゅんせつ)したとき、その土砂を積み上げてできた山。
工事は市民のきょ金と、連日数千人の人海戦術とで2年近い期間を要した。
出入船の目標となったところから、目印(めじるし)山ともよばれた。
完成後は桜を植えるなど行楽地となっていたが、安政元年(1854)ロシア軍艦が沖合に現われ、それ以来砲台の築造が行われ、風致は失われた。
また明治元年、わが国初めての観艦式の行なわれたところである。

つづく。



12月25日(月)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り4

乗船中の様子。
この時間帯、此花区側(桜島)から港区側に乗船する外国人はいなかった。
退社時間帯は多いのだろう。



安治川の川幅はびっくりするほど広い。
頭上の道路は阪神高速5号湾岸線。
左に見える茶色の建物は「リーベルホテル・アット・ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」。



港区側(築港乗り場)に到着。


天保山台場跡 (港区築港3丁目)

嘉永6(1853)年のペリーの浦賀来航以後、幕府は天保山台場を中心とした大阪湾岸の防備が大坂市内や京都御所を守衛する上からも重要と考え、安政3(1856)年7月に、この地の砲台建造に着手した。
 大阪市教育委員会



前方の船でオレンジ色の服を着た人が何か訓練をしている様子で、緊迫した状況が漂っていた。

つづく。



12月25日(月)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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