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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年2月13日を表示

長尾街道4(當麻寺_忍海)23

先の説明書にあった竜山石(たつやまいし)を使用してつくられた蓋石(ふたいし)。


屋敷山古墳出土の竪穴式石室天井石

これは、屋敷山古墳の被葬者を長持形石棺に納め安置した、竪穴式石室の天井石の一つです。
大きさは、長さ3.4m、幅1.2m、厚さ30cmで、両端には各1個の縄掛突起がつくり出されています。
兵庫県高砂市で産出する、竜山石と呼ばれる凝灰岩で製作されています。葛城市教育委員会



縄を掛けた突起部分。


屋敷山公園を後にする。
画像の建物は葛城市民体育館。



県道30号線を横断する地下道を歩く。
地上は横断禁止。



2月13日(水)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道4(當麻寺_忍海)22

屋根のある休憩所があった。
昼食場所として適当かどうか様子を見に行く。



石の階段を登る。


休憩所には大勢が座れる場所があって、眺めもよかったので、ここで昼食となった。


歩いて来た方向を振り返って撮影。
右の建物は葛城市中央公民館。

昼食後、公園内を観て回る。



史跡 屋敷山古墳

葛城市内で最大の規模(全長 135m以上)をもつ前方後円墳です。
古墳の周囲には周濠がめぐらされ、墳丘上には埴輪が立ち並んでいたと考えられます。
出土した品々から、この古墳が造られたのは5世紀中ごろと推定されます。
埋葬施設は、竜山石(たつやまいし 兵庫県高砂市産)を使用してつくられた蓋石(ふたいし)をもつ竪穴式石室で、内部には竜山石でつくられた長持形石棺(葛城市歴史博物館にて展示)が安置されていました。
竜山石は、当時の大王など有力者のみが使用できた石材と考えられ、この古墳の埋葬者が葛城地域の有力な王であったことを想像させます。
『古事記』『日本書紀』にもその名を残し、天皇と親戚関係を結んで大きな権力をもった、古代の大豪族「葛城氏」にかかわる人物が、この古墳に葬られたと考えられます。
1972年(昭和47)に、国の史跡の指定を受けて、周辺も含め屋敷山公園として整備され、現在の姿になりました。葛城市教育委員会

屋敷山古墳 墳丘復元図
全 長:135m以上
後円部径:約77m
後円部高:約15m
前方部幅:約90m

その後の屋敷山古墳の利用(慶長八 (1603)年の絵図による)
平安時代から室町時代にかけて、葛城市南部を本拠とした布施氏の「里の館」として使用されました。
また、江戸時代初期には、新庄藩(2万石)を治めた桑山氏が「陣屋」として使用しました。
「屋敷山」の名称は、これらのことに由来しています。



2月13日(水)18:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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