追分梅林 |
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| 2019年2月13日(水)は自宅付近をウォーキングした。 観梅にはまだ少し早かったが、奈良市の追分梅林の様子を見に行った。
<概要> 追分梅林は奈良市中町(なかまち)にある。 “中町”は奈良市の南西部に位置している。 画像の通り広大な範囲で、一体何時頃から“中町”と呼ばれるようになったのか知らないが、ごく最近だろう。
“追分”は旧称で暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)にあって、由緒ある名前が住所表示から消えるのは、如何なものかと思う。 新興住宅地には“さつき台”やら“ヒノキ台”、“若草台”など、歴史とまったく関係のない名前が付けられるが、過去の歴史など顧みる必要がないと云うことはないだろう。
それは兎も角、追分梅林は30年くらい前からウメの花見として訪れていた。 ところが、3年くらい前だったか、久しぶりに訪問したら、畑の回りに塀が築かれ、外から中の様子が見えないようにしてあって驚いた。 僅かな隙間から覗くと、ウメ畑が宅地造成されつつあるように見えた。 一体、何故!? こんなところに住宅?
この疑問はずっと解決しなかったが、この日地元の人から、事情を聞くことが出来た。 私はてっきり、ウメの木を枯らすウイルスに感染したのかと思っていたがそうではなかった。 時期的にも少し違っている気もしていた。
地元の人の話では、ウメ畑が水没したという。 山から流れる水の方向が変わったと話された。 どの程度水没したのか知らないが、かなりの傾斜地にウメ畑がある。 水没した時の光景が目に浮かばないが、大雨だったのかもしれない。
水没をきっかけに、今後どうするか皆から意見を聞き、多数決でウメ畑を再生することにしたという。 元のウメ畑に戻るには30年くらいか、もっとかかるだろう。 10年くらいで、チラホラ花が見られるかもしれない。 しかし、気の長い話だ。
画像は奈良市中町の範囲を示している。
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| <コース> 自宅11:53_蛙股池_奈良西警察署前_学園大和第3号街区公園前_阪奈道路の高架下を潜る_奈良市立富雄南中学校前_杣川に架かる橋を渡り右岸へ_県道7号線に架かる歩道橋を渡る_富雄川に架かる橋を渡る_奈良市立富雄南小学校前_石仏_石仏_大日寺_五輪塔_中町笹谷共同墓地_第二阪奈有料道路に架かる跨道橋を渡る_追分梅林_奈良市指定文化財村井家住宅前_道標(右 こをりやま 左 なら はせ いせ 道 / 左 なら はせ いせ 道)_記念碑(追分梅林 記念碑)_奈良市企業局 大和田配水池前_分岐で若草台方面を右に見送り左折_第二阪奈有料道路の高架下(高さ制限2.5M)を潜る_R308_住所表示板(中町山ノ上)_山上庵前_道標(→矢田× / 大阪 深× / ?宿坊)・石柱(一〇七一二号)・常夜燈(木嶋社 / 闇夜燈 / 往来安全 / 天保七年 / 取次 山上×兵衛)_体験農園場 大和の里前_富雄川に架かる下鳥見橋を渡る_富雄村道路元標_間男(まおとこ)地蔵_砂茶屋交差点で県道7号線を横断_la Brique(ラ・ブリク れん瓦窯焼パン工房)入口_赤膚焼窯元大塩昭山前_第二阪奈有料道路の高架下を潜る_瓢箪池を左に見て新池の手前で左折・祠(双石仏他石仏数体)_奈良市立伏見南小学校前_蓬莱神社前_14:17自宅
<メモ> ・コース歩行 (自宅~自宅までの所要時間と距離) 歩行距離: 約10.1km。 所要時間: 2時間24分。 ・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離) 推測距離: 約9.7km。(0.67m×14,473歩=9,696m) 歩行時間: 2時間8分。 歩数: 1万4千歩。
画像は自宅から追分梅林まで、時計回りと逆方向に周回したGPSログを表示。
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| 辻に祀られていた石仏。 この場所に祀られている限りは安泰かもしれない。 しかし、道幅を広める為、水路を塞ぐことになれば、どこかへ移動することになるかも。
奈良市中町、中町公民館南側の辻にて。
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| すぐ近くに、もう一体の石仏が見えたので、少しだけ寄り道して立ち寄った。 石仏は古いが台座など、花立や周辺の石造物は新しい。 大切にされていることが窺える。
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| 石造物群。箱石仏が多い。 奈良市中町、大日寺の境内にて。
つづく。
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3月9日(土)18:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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