山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年8月16日を表示

石鳥居_九輪草群生地_つつじヶ丘_梅谷尾根

2019年5月12日(日)は山を登る会の第1,039回例会に単独で参加した。
山域は京都北山(東部)。

<概要>
スタートは京阪本線出町柳駅、ゴールは叡山電鉄修学院駅。
この日の目当ては、音羽川のクリンソウ群生地と、つつじヶ丘(比叡山人工スキー場跡近く)のツツジ群生地。
結果、どちらも期待以上で、特にクリンソウの群生地は息を飲む程の美しい光景が観られた。
この群生地を訪問したのは初めてで、群生地があること自体知らなかった。

コースは「京都一周トレイル北山東部」をベースに歩いた。
このコースは、何回も歩いており、お馴染みなので詳細については省略する。

下山時、梅谷尾根と呼ばれる梅谷道の北側の尾根を初めて歩いた。
踏み跡があることは知っていたものの、今まで踏み込めずにいた。
落葉が積もってやや歩き難くかったが、比叡山方面に向かうには、梅谷道を歩くより近道だろう。
地図では梅谷尾根から谷を下って梅谷道に出るルートが記されているが、歩いている時にはこの分岐には気付かなかった。

<コース>
8:55京阪本線出町柳駅9:17_<今出川通りを東へ>_<左折し志賀越道(しがごえみち)を東へ>_子安観世音_国旗掲揚台?(小倉町 久保田町 西部公同組合)_白川通を横断_薬師璃璃光如来_祠(双石仏?)_北白川天神宮前_石人・石造物_京都一周トレイル53_道標(左 勝軍地蔵× 白幽子遺× / 右 阪本道)・道標(小澤蘆庵翁墓 / 明治二十八年)_北白川仕伏町バス停前_京都一周トレイル55_Y字形分岐で日本バプテスト病院を左に見送り 右、案内板(北白川史跡と自然の道)方向へ_道標(←トレイルコース)_京都一周トレイル58_京都一周トレイル59_ケルン_鉄板を喰(は)む木_京都一周トレイル60・分岐で水飲対陣碑 比叡山方向へ右折_京都一周トレイル61・分岐で白鳥山方面を右に見送り 水飲対陣碑 比叡山方向へ直進_京都一周トレイル63・分岐で比叡アルプス 一本杉 地蔵谷不動尊を右に見送り 水飲対陣碑 比叡山方向へ直進_Y字形分岐で曼殊院方面下山道を左に見送り 右へ_Y字形分岐で右へ_京都一周トレイル66・分岐でてんこ山を左に見送り 直進_石鳥居_ベンチ_クリンソウ群生地_京都一周トレイル67・分岐で比叡山ドライブウェイ直進を見送り 水飲対陣跡碑・比叡山方面へ左折_沢を渡渉(3回)_水飲対陣跡碑・分岐で比叡山方面へ_眺望地_淨刹結界跡碑_京都一周トレイル70・分岐で左折を見送り 比叡山方面へ直進_京都一周トレイル71・眺望地_京都一周トレイル72・分岐で千種忠顕碑を左に見送り 比叡山方面へ直進_京都一周トレイル73-1・分岐で左折を見送り 行者道方面へ右折_京都一周トレイル73-3・分岐でケーブル比叡駅方面へ左折_電波塔_やどり地蔵前_ケーブル比叡駅前_京都一周トレイル北山1・根本中堂 釈迦堂方面へ_比叡ロープウェイの下を潜る_案内図(京都一周トレイル北山東部コース案内図)_比叡山人工スキー場跡を横断_道標(→つつじヶ丘)_つつじヶ丘ツツジ群生地_12:12北方面眺望地・昼食12:44_来た道をケーブル比叡駅まで戻る_京都一周トレイル74・分岐でケーブル線に沿って続く石段を降りる_京都一周トレイル73-1・分岐で千種忠顕碑方面へ_京都一周トレイル71・眺望地_京都一周トレイル70・分岐でトレイルを離れ右へ_<梅谷尾根>_梅谷道に合流・看板(ケガ事故のない楽しい山登りを 火の用心)_道標(梅谷登り口)_石柱(赤山明神)_住宅地の排水溝側面に祀られた石仏_石鳥居(赤山大明神)_五島園芸前_道標(左 赤山道)・石仏_鷺森神社御旅所_道標(石川丈山先生舊蹟詩仙堂)_道標(←修学院離宮6分 赤山禅院9分 →叡電修学院駅10分)_修学院犬塚第二公園前_14:07叡山電鉄修学院駅

<メモ>
・参加者: 90名。
・リーダー: T氏
・コース歩行 (出町柳駅~修学院駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約15.8km。
 所要時間: 4時間44分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 30,231歩。
 推測距離: 約20.2km。(0.67m×30,231歩=20,254m)
 歩行時間: 4時間55分。

画像は出町柳駅から修学院駅まで歩いたGPSログを表示。



今出川通りと志賀越道(旧道)の分岐に立つ子安観世音。
説明書きによると、
「ここは昔から白川の村の入口に当り、東は山を越えて近江へ向い、洛中へは斜めに荒神口に通じていた。
また出町から百万遍をへて浄土寺へ向う細道との交差点でもあった。
この堂々たる鎌倉期の石仏は「拾遺都名所図会」に希代の大像として描かれている弥陀像であるが長い年月の間にかなりの風化が見られる。
古来子安観世音として町の人々の信仰があつく今も白川女は必ずここに花を供えて商いに出る。」



手前、石人と石造物。
民家の庭に置かれており、敷地の中には入らなかったので詳しくは観ていない。
石人の後に立つ石造物は、弾丸のような形だが、中ほどに人の顔らしきが彫られている。



志賀越道、分岐に立つ道標。
右の道標は「左 勝軍地蔵× 白幽子遺× / 右 阪本道」。
“阪本”は比叡山坂本を指しているようだ。
左の道標は「小澤蘆庵翁墓 / 明治二十八年」。



鉄板を喰(は)む木。
京都一周トレイル60・分岐付近にて。

つづく。



8月16日(金)05:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


(1/1ページ)