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上町台地から天王寺七坂めぐり5

石碑の正面。「越中井 / 細川忠興夫人秀林院 / 殉節之遺址」と彫られていた。


史蹟 越中井由来

ガラシャ夫人の名だけ聞いてもどんな人なのか知らない人が多いのではないでしょうか
ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリシタン信者でありました 慶長五年(一六〇〇年) 忠興公が徳川家康に従って会津上杉を征伐に出陣した留守中 反家康の石田三成が大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたがガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取囲まれぜひもなく 家来に首を打たせ家屋敷に火を放ちいさぎよく火中に果てました 
この越中井はその屋敷の台所にあったと古くから伝えられています 昭和九年(一九三四年) 当時地元の越中町内会の人々相寄りガラシャ夫人の徳をしのび顕彰碑を建立したものです 
碑の正面表題の文字は徳富蘇峯先生の筆で側面(左側)の由来説明は京都帝大文学部長新村出先生の文です 
改めてそれを読みながらガラシャ夫人の壮烈な最後を想い起こしてください
  牧村史陽識
  越中町会
     細川ガラシャ夫人顕彰
            頌徳会


細川ガラシャ



先の説明板にあった越中井。

大阪市イベント・観光 52.越中井(えっちゅうい)大阪府史跡
によると、かつて、この付近は細川越中守忠興の邸跡で、画像の井戸(越中井)はその邸内にあったものといわれている。



「越中井」を後にする。画像はコブシだろう。


石碑が見えたので立ち寄る。

青刻昆布発祥の地 

昆布加工品の原点である青刻昆布の主産地大阪における創始は一七二一年(享保六年)頃と伝えられる。文化年間に清国(中国)に試売し、一八二〇年頃から販路を拡張、専ら大阪上町台地において製造していた。一九〇〇年(明治三十三年)には、大阪の刻昆布が国の重要物産品に指定されている。
今日大阪の昆布加工品は、なにわ名物として広く認められ、大阪の食文化に大きく寄与しており、一九九八年(平成十年)には大阪特産物品として国により認証された。
大阪昆布商工同業会(起源は明治三十四年認可の大阪刻昆布製造同業組合)は、平成十三年に百周年を向かえたのを記念してこの碑を建之する。

  平成十三年三月建立 
  大阪昆布商工同業会



3月31日(木)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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