沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳6 |
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| ここまで沼山古墳の道標や案内板がなく、一寸不安になる。 ・・・裏道から入って来たからかも!
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| 茂みの中に入ると、説明板らしきが立っていた。
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| そして、沼山古墳を示す道標があった。 道標や説明板を設置した頃から、周囲の潅木が生い茂り、遠目ではそれらが見えなくなっている。 よくあるパターン。 設置するのは有り難いが、その後のメンテがなされていないので、“用無し”になってしまっている。
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| 沼山古墳
昭和五十七年に公園整備に伴う発掘調査が実施されました。 径約十八m・高さ五・五mの円墳で、墳丘の中央に片袖の横穴式石室が南側に開口しています。 石室の規模は、玄室が長さ四・九五m・幅二・九五m・高さ四・二五mで、これに長さ四・五m・幅一・八m・高さ一・八mの片袖の羨道(せんどう)がとりつきます。 花崗岩の自然石を長手積にし、玄室内は高さ二mまで垂直に積み、それから上は四壁を内傾に積上げています。 そのため天井での面積は狭く二枚の天上石で覆っています。 玄門部には閉塞石(へいそくせき)が残っていました。 玄室内からは、銀製空玉・ガラス製小玉・トンボ玉・金環などの装身具、心葉形杏葉・辻金具、絞具や革帯金具、鞍金具などの馬具、鉄鏃、鎹(かすがい)、釘などの鉄製品、須恵器・土師器などの土器も出土しています。 とくに玄室中央から甕(かめ)・甑(こしき)・竈(かまど)のミニチュア炊飯具のセットが出土しています。 出土した土器から六世紀後半に築かれた古墳と推定されます。 本古墳は、渡来系の人々が住んだ身狭(むさ、見瀬)に位置し、渡来系の東漢氏の定住していたとされる桧前地域とも隣接しているなど、真弓鑵子塚古墳、乾城古墳、与楽鑵子塚古墳などと同様に玄室平面が正方形に近く、天井が高いドーム形に石積された古墳であることから、これらの人々の墓と思われます。 橿原市教育委員会
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| 沼山古墳、石室開口部。
つづく。
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3月8日(金)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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