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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


西国街道19

萱野家と三平に関する詳しい説明板。


こちらが涓泉亭(けんせんてい)の建物。


萱野三平旧邸を後にする。


西国街道を歩き、道標に見える「勝尾寺大鳥居」へ向う。


西国街道沿いの旧家。


6月26日(木)22:17 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

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コメント

 1: 晴れゆくや 日頃こころの 花曇り

忠と考の狭間で自刃した涓泉。
四十八番目の赤穂浪士と今も尚語り継がれているのですね。
時代とは言え28歳の若者が命を絶って、本当に心の花曇りは
晴れたのでしょうか…閉ざされた未来を来世に繋がねば救われない気持ち。

ただ歩くだけでなく、此処を紹介してくれてありがとう。
重く受け止めました。


 by 夢子 | 6月27日(金)21:48

 2: 幻の桜

> 28歳の若者が命を絶って、本当に心の花曇りは晴れたのでしょうか

「晴れゆくや」と云うのは、三平自身の日頃の心の葛藤、鬱屈が今ぞ消滅すると云う意味のみではなく、主君長矩の無念の思いが晴らされることを、ひたすらに願う意味でもあると、解釈されている方もおられるようです。
奥が深いと言うか、どこまでも出来た人。
「幻の桜-萱野三平自刃」 http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/minoh/maborosi.htm

> ただ歩くだけでなく、此処を紹介してくれてありがとう。

残念ながら、当日は、ただ歩くだけでした。
萱野三平のことは、ブログにアップしている中で知ったのです。
「切腹の間」のことも、その時は知りませんでした。
何故、人形が置いてあるのかと思った程度。
横に「萱野三平、切腹の間」と、立て札があったのですが、墨が滲んで読めなかった。

西国街道を歩く中で、何箇所も気になるところがありました。
道標やお堂などの遺物です。しかし、立ち寄ることなく通過しました。
これがもし、郷土の観光ボランティアの方の案内だと、このようにはならなかったでしょう。
例えば、この日の参加者は100名を越えていたと思うけど、20人程度のグループに分けて、小グループで案内方々歩くことも可能です。
100名を越える団体が、旧道の狭い辻で、たむろしていたら、周囲に迷惑がかかります。
この日は、ウォーキング協会の主催なので、案内する人がおられないし、遺物を観るのが目的ではなく、歩くことが目的なのでしょう。

画像は中庭に設置されていた「義士萱野三平之舊跡」と彫られた石碑です。


 by oka-nara | 6月28日(土)10:41


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