太子道(筋違道)41 |
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| 境内に置かれていた道標。安政五戊午年の銘あり。この場所へ移動されたのだろう。東面、「左 堂川多法里うし(たつたほうりゅうじ) ならこほり山(ならこおりやま) 道」。“堂・川・多・里”などは変体仮名の基になっている「字母」。 ※変体仮名-古文書解読の一助に- http://www.benricho.org/kana/
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| 西面にも彫られている。「すく 田原本 三輪 多武峯 ?? 道」。多武峯の下の文字がわかりにくい。
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| 伴堂の「杵築神社」を後にする。このあたり「迷路」となっているようだ。
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| 「郷神(ごうしん)さん」。今でも、このような伝統行事が続いているのだろう。
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| これが太神宮碑。火袋の扉が新しく取り付けられている。伊勢講とは直接関係ないようだ。
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7月16日(木)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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