山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年10月6日を表示

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)30

分岐。東海自然歩道は左へ。右は民家へと続くようだ。


このような狭い道を歩く。一瞬、違うのではないかと思ったくらい。


道は下り坂となる。


集落の中なので分岐が多いが、道標が完備されているので迷うことはない。


北山道標36の道標。


10月6日(火)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)29

城跡への道標。静原神社境内の裏から静原城跡(通称城山)480mへと続く踏み跡。


城跡への分岐から京都トレイル(東海自然歩道)方向を撮影。


静原集落の石垣も大変立派。


これは白色のハギだろう。


東海自然歩道の道標。この区間は京都トレイルと重複している。薬王坂まで1.3km。


10月6日(火)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)28

狛犬。吽形。目だけ青色というのはどうも不自然。


陰陽石っぽい。


この日は何人かのグループが、私達と同じように京都トレイルを歩かれていた。


ご神木の前、拝殿に腰を下ろして昼食タイムとなった。


昼食後、静原神社を後にする。隣の児童公園には新しいトイレが設置されていた。


10月6日(火)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)27

児童公園のイチョウの巨樹。枝から垂れ下がるように下に伸びた棒状の突起物を“乳根”(ちちね)と呼ぶらしい。因みにイチョウは雄雌異株あるが、雄株でも見られるそうだ―笑。


まずは神社へお参りする。


ご神木の杉。


静原社由緒。
社伝によれば、成務天十二年三月午日に山城国愛宕郡志津原に鎮座す。伊奘諾尊が高天原に坐し。瓊瓊杵尊が日向の高千穂に天降り、はじめは静原楢小川の上流「河合谷意美和良川」鎮まられた。古来、御本社に伊奘諾尊、奥御前に瓊瓊杵尊をまつったが、そのため合わせて「二宮社」と呼ばれる。また、天武天皇が逆徒に襲われ此所に臨幸され、玉体安らかに御心も静にあそばされた為、静原と称す。そして、刀・弓・矛等を奉納されたため江州浅井郡の地三三0石を御寄付され、和銅四年三月三日より祭祀を始める。現社地を「真路山」、御旅所を「天皇社山」と称す。天正検地で三三0石没収されるも、秀吉公より下鴨社領として三0石が定められ明治に至る。そのため、静原沙汰人と称して、下鴨社の御蔭祭に奉仕する例が現在も続いている。静原神社。



狛犬。阿形。目が青色。元々青色だったのだろうか。


10月6日(火)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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