山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年11月を表示

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)17

「當村安全」と彫られていた。


側面には「文化五戊辰年 ×月日」。


二上山、雄岳の眺望。


画像に見られるように昔は稲刈りをした後、太陽と風を利用して天日乾燥していた。
今はコンバインで収穫して機械で乾かすのが当たり前になっているので、このような光景をあまり見ることがない。
しかし自然乾燥させた方が味が良くなるといわれている。
自宅で食べる米だけ、自然乾燥させているとは思えないが。



人家の中に続く狭い道を歩く。

この先に信号機が見える。



11月18日(日)19:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)16

植林された林の中、ゆるい坂道を登る。


坂道を登り詰めたところに人家が現れ、見通しが良くなる。


正面に二上山、雄岳の山塊が見える。


鳥居を振り返って撮影。

扁額には「大坂山口神社」と彫られている。



常夜燈と右は日露戦没記念碑。


11月18日(日)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大神神社_巻向山_初瀬山_長谷寺駅

2018年11月11日(日)は、山を登る会の第968回例会に単独で参加した。
山域は奈良中部・桜井。

<はじめに>
例会の通し番号が第968回となっているが、これは台風や雨で何回も順延されたため。
直近の通し番号は11月18日の例会が第1,018回。
この日のリーダーはT氏。
台風等の下見の必要性から通算10回程度一人で下見をされたという。
ご苦労様でした。

<概要>
スタートは近鉄大阪線桜井駅。ゴールは同線長谷寺駅。
この日歩いたコースは過去に何回か歩いており、私にとってお馴染みの山域で特に新鮮味はない。

桜井駅から山辺の道(=東海自然歩道)「仏教伝来の地 碑」へ向かう。
ここから山辺の道を北へ向かって歩く。
金屋の石仏、平等寺境内で旧千円札の聖徳太子像に立ち寄り、大神(おおみわ)神社へ。
檜原(ひばら)神社を経て、車谷(桜井市箸中)で、県道50号線に出合い、纏向(まきむく)川に沿って上流の辻方面へ歩く。

分岐で県道50号線から離れ、右折して奥不動寺へ向かってひたすら舗装道路を歩く。
奥不動寺前で小休止の後、白山方面を左(北西)に見送り、舗装された林道を北に向かって歩く。
台風の影響で道路は舗装が見えないほど、倒木や小枝、落葉が積もっていた。

巻向(まきむく)山(南東峰)三角点分岐で昼食、三角点をピストン。(往復6分程度)
食後は引き続き北方向へ歩く。
左に巻向山(本峰)分岐を見送り直進。
右下にリョウサン池と、高山神社の社を見て進む。

白河(しらが)方面分岐を右に見送って直進。
更にその先の分岐で“く”の字型に右(南東)方向へ。

その後も、いくつか現れる紛らわしい分岐や枝道を見送って初瀬山の北側直下に到着。
山頂に辿り着き、南東方向へ下る。

長谷寺手前の共同視聴アンテナまでは踏み跡が薄く、滑落注意の場所、分岐などをクリアして下る。
共同視聴アンテナから長谷寺境内へ降りる道を左に見送り、直進して初瀬共同墓地方向へ下る。

長谷寺参道に降り立ち、長谷寺駅へ向かう。
途中、Kマート長谷寺店(田畑商店)に立ち寄り、缶チューハイ(アサヒもぎたて 130円)を購入。
このところ恒例となった電車の車中で一人反省会。
お店はこの日が定休日だったが、Tリーダーの計らいで店を開けてもらっていた。

<コース・概略>
9:25近鉄大阪線桜井駅9:52_山辺の道(=東海自然歩道)に合流_仏教伝来の地 碑_金屋の石仏_平等寺(聖徳太子像)_大神(おおみわ)神社_檜原(ひばら)神社_<県道50号線>_奥不動寺_11:54巻向山(南東峰)分岐・昼食・巻向山(南東峰)ピストン12:13_初瀬山548m_共同視聴アンテナ_<長谷寺参道>_Kマート長谷寺店(田畑商店)_13:50近鉄大阪線長谷寺駅

<その他>
・参加者目測90名。
・リーダーT氏
・コース歩行距離約14km。
・実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万6千歩。

画像は近鉄大阪線桜井駅から同線長谷寺駅までのGPSログを表示。



旧千円札に使われた聖徳太子像。
平等寺境内にて。



巻向山(南東峰 三等三角点 点名:巻向山 566.87m)。
山頂からの展望なし。



初瀬山548m。
同じく展望なし。



画像はかつて眺望が得られた初瀬山山頂直下から東方向の眺望。
(2005年1月2日撮影)
現在は植林が成長して眺望はまったくない。

おしまい。



11月17日(土)17:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)15

古井戸の後に回り込むと線刻五輪塔らしき石造物。


その横には自然石に「檀特山」と彫られていた。


古井戸と人家の間に続く小道を歩く。


この先、丘のような小さなピークを越える。

香芝市穴虫(あなむし)にはこのような小山が多く点在するようだ。



池を右に見て進む。


11月16日(金)18:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)14

扁額には弘法大師と記されている。


お堂の中には弘法大師が祀られていた。


古井戸。

大きな杓が置かれており、この井戸水は今も使われていることがわかる。



画像ではわかりにくいが、水は澄んでおり、魚が泳いでいた。


M氏(左)とKさんのツーショット―笑。


11月16日(金)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)13

本殿。

先の案内板にあったように、平成元年三月に本殿屋根を銅板葺きに改修している。



狛犬。阿形。


台石に「石工大阪西横堀 小島屋半兵衛」と彫られている。

ネット検索すると、半兵衛は江戸時代後期の石工で当時人気の石工だったらしい。



本殿前から参道を振り返って撮影。

かなり急な階段になっている。



神社を後にして南へ向かうと、立派なお堂(左)と、古井戸がある。


11月16日(金)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)12

小さなピークを登り詰めたところに鎮座されており、石垣が強固に組まれている。


説明板。

大坂山口神社

祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)

式内社(しきだいしゃ)大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座(ちんざ)されます。
本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の銅板葺(ぶ)きで、文化十三年(一八一六)の再建とされますが、寛永ニ年(一六二五)以来の棟札(むねふだ)が残されています。それには、背後の山の石巌(せきがん)を掘削して神域を広げたことを記すもの、祇園宮寺(ぎおんぐうじ)とみえ、神宮寺の存在が確認できるものがあります。拝殿は間口五間、奥行ニ間の割拝殿で、棟札によると延享元年(一七四四)の再建になります。また、平成元年三月には、本殿屋根を銅板葺きに改修、あわせて拝殿脇殿、上段の塀、手水舎(ちょうずや)などが新築されています。
近世の『大和志(し)』には、「在穴蒸村 今称牛頭(ごず)天王」とみえ、牛頭天王社(祇園宮)と称されていたことがわかります。秋の大祭には、この牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝殿には、文久二年(一八六二)や明治十九年(一八八六)の奉納板番付があり、境内には馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷(さじき)席があり、近年まで土俵(どひょう)も残されていました。この馬場組をリードしたのは、大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大(おお)の松為次郎(一八五九~一九ニ一)で、大正四年(一九一五)境内で引退相撲を行ったあと、素人相撲の世話役として活躍されました。
また、近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園(たけぞの)日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では相撲が大変盛んであったことがわかります。
なお、式内社大坂山口神社は、当社とその北東約六〇〇mに位置する逢坂のニヶ所に所在し、ともに式内社と称しています。
 平成二十八年三月 香芝市



絵馬堂に奉納されていた絵馬。
鹿が描かれている。
安政六未年八月吉日の銘。
(安政六年=1859年)。今からおよそ160年前。



急な石段を登る。


石段から振り返って撮影。

先の台風21号による被害。
拝殿(絵馬堂)の屋根に倒木が直撃したと案内されていた。



11月15日(木)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)11

こんにちは。

畑の手入れをされていた。
左の黒いマルチシートにはタマネギを植えるのかな。



稲穂が金色に輝く。


曲がりくねった道を歩く。
見通しが悪い。



分岐を右(西)へ。
正面に大坂山口神社(穴虫)の参道が続く。



大坂山口神社(穴虫)、鳥居。
拝殿らしき建物にブルーシートが被せてあるのが見える。



11月15日(木)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)10

青空をバックにピンクのコスモス。


近鉄大阪線の関屋第四踏切を横断。

正面のピークは二上山雄岳。



歩いて来た方向(西)を撮影。

高架道路は中和幹線。



信号機のない車道を横断。


竹田川に架かる橋を渡る。


11月15日(木)19:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

箕面大滝_開成皇子の墓_丁石道_北千里駅

2018年11月6日(火)はY氏、H氏と私の3人で北摂の山を歩いた。

<概要>
スタートは阪急箕面線箕面駅、ゴールは阪急千里線北千里駅。

箕面駅からまずは箕面大滝を目指して歩く。
自然災害の影響により昨年から通行止めとなっていた箕面滝道の「修行の古場休憩所」から「戻岩橋」までの区間は11月1日11時から通行止めが解除になっていた。
通行止めとなっていた期間に迂回ルートを歩いたことがある。
このルートは階段があってベビーカーやハイヒールでは通行出来ない比較的ワイルドなルート。
このことを二人に話すと、是非歩いてみたいとのことだったので案内することに。

「修行の古場休憩所」の手前で地獄谷方向の道標を見て進み、箕面川に架かる鶴島橋を渡って姫岩から箕面川の左岸を歩く。
地獄谷への分岐を右に見送り、風呂ヶ谷から「戻岩橋」で箕面滝道と合流した。

箕面大滝から府道43号を歩き、杉の茶屋、駐車場前、百年橋前を経て政の茶屋園地へ。
手前にある箕面ビジターセンターはこの日(火曜日)が休館日。

東海自然歩道 西の起点の道標から東海自然歩道に取り付く。
すぐに自然研究路4号線との分岐となり、入口には立入禁止の看板が。
東海自然歩道にも通行注意の看板に手書きで「通行禁止」と表示され、両方の道の入口にトラロープが張られていた。
今更引き返すことも出来ないので、自己責任で歩くことに。
結果、倒木が多数見られたが、危険というほどでもなく、通常の登山の注意で歩くことが出来た。

取り付きから急登が暫く続き、府道4号線に架かる陸橋「ぎふちょう橋」を渡る。
その先からも急登が続き、尾根筋に出てからもアップダウンが続いた。

登山ガイド本によると、東海自然歩道の取り付きから、昼食予定地の「開成皇子(かいじょうおうじ)の墓」まで、所要50分となっていたが、実際は約1時間15分掛かった。
3人で歩く時のペースは、過去の実績より登山ガイド本などの所要時間の概ね1.5倍とみており、この時もピッタリ。
(11:05→12:21 1時間16分)

箕面市が設置した緊急ポイントF6を過ぎると、ブロンズらしき立体方位盤が現れる。
しかし付近は樹木が生い茂り、眺望はまったく得られない。
こういった人造物は、たいてい建てられた当時のままでメンテされないので、無用の長物になってしまう。

「箕面のいし(チャート)」、「森林は緑のダム」などの説明板を見ながら歩くと小ピークに到着。
最勝ヶ峰540mと記された私設の山名板が木に括り付けてあった。
トラテープが張られ、その先に鎖で囲まれた自然石が見えたので立ち寄る。
ところが説明板はなく自然石の由緒は不明。
その先に宝篋印塔が見えたので、少し藪コギすると、「開成皇子(かいじょうおうじ)の墓」の裏側に出た。
正面は反対側(北東)に見えたので、反対側へ回り込む。

木道があったが、ここにもトラテープが張られていた。
木道を恐る恐る歩いたが、一部床が抜け落ちているところがある。
直ぐ下に迂回路が用意されていたので、こちらを歩いた方が良かった。

木道は「開成皇子の墓」の前で迂回路と合流。
この時点で時計は12時20分を少し過ぎておりここで昼食となる。

昼食後、再び歩き出し緊急ポイントF5に到着。
ここは分岐となっており、右折(南)は勝尾寺境内へ。
左折(北)は自然研究路8号線を経て清水谷方面。
コースは直進(北東)して東海自然歩道(=豊能自然歩道)を歩く。

暫く穏やかな登り道が続き分岐となる。
正面に石造りの立派な階段が現れ、その先に数基の宝篋印塔が建ち並んでいた。
勝尾寺と関係がありそうだが説明板もなく不明。
分岐まで戻り、左折して「勝尾寺裏山園地」へ向かう。

すぐに分岐となり、緊急ポイントJ6に到着。
ここで東海自然歩道を離れ、右折して自然研究路8号線を勝尾寺園地へ向かって下る。
この道は昨年(2017年)8月に逆方向から歩いたことがある。
一年前と比べ、登山道は荒れている感じ。

勝尾寺園地で少し休憩した後、勝尾寺入口へ。
拝観はせずに土産物の店(お休み処 花の茶屋)に立ち寄る。

土産物の店正面から、府道4号線を横断して丁石道に取り付く。
国土地理院の地図では、「勝尾寺旧境内 牓示八天石蔵(ぼうじはってんいしぐら)および町石」と表示されている。国史跡。

丁石道に取り付いて石の階段を暫く登ると、やがて「勝尾寺 旧参道一町石」、続いて「同二町石」が現れる。
その後、すぐに分岐となり、自然研究路5号線を右に見送り丁石道を直進。
ここから先、旧西国街道の勝尾寺大鳥居まで約4kmは初めて歩く。
この道は丁石道となっており里に下るまでは完全な登山道。

「しらみ地蔵」分岐を右に見送り、外院(げいん)方面へ直進。
外院とは、帝釈寺を指す。
下山後、立ち寄った帝釈寺の縁起によると、勝尾寺に清和天皇がお参りした際、勝尾寺を内院、帝釈寺を「外院」と称したとされる。

「勝尾寺 旧参道三丁石・・・四丁石・・・」を観て歩くと、「勝尾寺旧境内 牓示八天石蔵(ぼうじはってんいしぐら)」に到着。

その後、古い石仏などを愛でながら、残された八基の丁石を確認して下る。
やがて緊急ポイントC2に到着。
ここは旧参道と古参道の分岐となっており、丁石道である古参道(=外院尾根)を歩いてC1で合流した。

大畑中池などいくつかの池を右に見ながら下る。
獣避けの金網の扉を開閉すると、左右に田んぼや畑が広がっており、この時点で山から下山した。
丁石は田んぼの畦道にも続いており、その先、旧西国街道の勝尾寺大鳥居まで、街中でもいくつか見ることが出来た。

帝釈寺北(交差点)で府道9号線を横断し「宝生山 帝釈寺」に立ち寄る。
勝尾寺口交差点でR171を横断し、旧西国街道に合流。
勝尾寺大鳥居を見て旧西国街道を西方向へ歩く。
今宮交差点の南で旧西国街道を離れ府道119号線を南へ歩き、16時20分阪急千里線北千里へゴールした。

画像はこの日歩いた阪急箕面線箕面駅から阪急千里線北千里駅までのGPSログを表示している。



<コース概略>
8:50阪急箕面線箕面駅9:19_箕面大滝_政の茶屋園地_東海自然歩道西の起点_<東海自然歩道>_12:20開成皇子(かいじょうおうじ)の墓12:49_勝尾寺園地_勝尾寺前_<町石道(古参道)>_勝尾寺大鳥居・<西国街道>_16:20阪急千里線北千里駅

<その他>
・参加者3名。
・実歩行距離約20km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km、大阪駅~阪急梅田駅往復1.0km等を含む)
・歩数2万9千歩。
・「勝尾寺旧境内 牓示八天石蔵(ぼうじはってんいしぐら)および町石」について
箕面市教育委員会の資料によると、八天石蔵とは、寛喜二年(1230)、麓の村々との境界紛争が解決した時に、勝尾寺の寺領を示すため、旧境内の四方8ヶ所に設けられた牓示(境界を示す標識)のこと。
銅造の仏像を信楽(しがらき)焼の容器に入れて土の中に埋め、その上に石積みの壇を設けたもので、仏像・容器ともに発掘され、重要文化財に指定されている。
この種の遺構としてきわめて珍しく、単に寺の遺構としてだけでなく、領地の保護がいかに行われたかという社会事象の資料としても貴重で保存状態もよく、旧参道に残る町石8基と合わせて、1966年(昭和41)に国史跡に指定された。
町石は、元々西国街道から分かれる36町の参道に1町ごとに建てられていた標石で、現存するのは8基のみ。
1247年(宝治1)建石の記録があり、花崗岩製の一石五輪で、地輪が長く、梵字、町数、願主が刻まれており、町石としては最古のものとされる。

......................................

東海自然歩道、府道4号線に架かる陸橋「ぎふちょう橋」の橋上から箕面川ダム方面の眺望。

左後方の山は堂屋敷553.4m。長谷を挟んで右のピークは長谷山568.2m。



鎖で囲われた自然石。
説明板なし。

「開成皇子の墓」の裏側(南)にて。



「開成皇子の墓」。

開成 (僧) - Wikipedia によると、開成(かいじょう、神亀元年(724年) - 天応元年10月4日(781年10月25日)は、奈良時代の僧。
父は光仁天皇で、桓武天皇の庶兄。摂津国勝尾寺の開基と伝えられる。一般には開成皇子と称されることが多い。
765年(天平神護元年)宮中を出て勝尾山に入って禅居し、善仲・善算の二人の師に出会って出家・受戒した。
両師の発願した大般若経書写の遺志を継ぎ、八幡大菩薩の加護を受けて6年の歳月をかけて完成させたという。
勝尾山中にその経を安置する道場を建立し、弥勒寺(勝尾寺)と号したという。
781年(天応元年)に58歳で没し、摂津国の勝尾寺裏の最勝ヶ峰山頂(現・大阪府箕面市の明治の森箕面国定公園内)に葬られた。
墓は現在「開成皇子墓」として宮内庁管理となっている。



七丁石。

勝尾寺 旧参道 丁石道にて。

おしまい。



11月14日(水)16:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ブログに繋がらず

★11月3日(土)から13日(火)まで、ぶっとびねっとのサーバーに繋がらない状態でした。
この間の山行は下記の2つで順次アップロードします。

・2018_11_06 箕面大滝_開成皇子の墓_丁石道_北千里駅
・2018_11_11 大神神社_巻向山_初瀬山_長谷寺駅

以上です。



11月14日(水)06:28 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)9

正面に見える県道105号線(中和幹線)の高架下を潜る。


中和幹線に架かる、らせん状の歩道橋。


近鉄大阪線のフェンスの中に道標が見える。

二つある石柱の内、左が道標。



北西面、「南無阿弥陀佛×」。
北東面、「左 たへま つぼさか 大峯山上×」。
南西面、「右 大さ可(か)× 左 たいし×」。

このあたりに太子道と長尾街道の分岐があったようだ。
但し、道標は移動されている可能性がある。



畑の中で栽培されていた実の成る木。
葉っぱがカポックに少し似ている。



11月2日(金)19:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)8

台座部分が道標を兼ねていた。

「右 當麻寺道 法界群霊」と彫られている。

ここが伊勢街道と長尾街道の分岐。



地蔵菩薩像の足元と、大きく豪快に彫られた蓮華座。


地蔵菩薩像の右に道標らしきが立っている。


画像の右面、「南無阿弥陀佛為 法× 妙心 妙× 直誉×」。
正面、「延宝七巳未年 七月×」までは読めたが、他の面は読めなかった。

「大和の古道」によると、「川よりみぎ、たゑまみち、大みちは、はせみち」。
「かのくにに、みちびきたまえ、はつせ寺、つみはたえまの、のりのはちす葉」。
と、彫られているらしい。



香芝市のマンホール。

日本マンホール蓋学会 のサイトによると、
市の花、スミレと、市の木、樫。
樫の木にはドングリも描かれている。



11月2日(金)19:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)7

下池を後にして、長尾街道を歩く。


大きな交差点に出た。
左に見えるカーブしている道は伊勢街道。

黄色い看板の後に祠らしきが見える。



歩くコースは「弁当」と書かれた黄色い看板の左、曲がりくねった道。
この狭い道が長尾街道。



祠の中には立派な地蔵菩薩像。
一見するとあまり磨耗していないように見える。



ところが、よく見ると細部は磨耗しているのがわかる。

照明でお顔を照らすが、あまり効果はないようだ。



11月2日(金)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)6

道標が立つ分岐に到着。


正面には「日本五社内 正一位小北大明神 是× 七×」と彫られている。
小北大明神は、田原本町の西、広陵町にある「小北稲荷神社」を指しているのかもしれない。

右側面には「右 たへま 者(は)せ いせ× 世話人 ×南」、左側面には「左 たハらもと 泉×堺 ほう里(り)う寺 榮壽」と彫られているようだ。

この辻は長尾街道と田原本街道の分岐。



下池の縁に祠が見えたので立ち寄る。


地域の人達によって大切に保存されている。
鍵は掛かっていなかったので観音扉を開いてみた。



舟形の大きさと較べると、お顔が小さく見える。


11月1日(木)18:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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