朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社15 |
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| 道路はS字形に曲がりくねっている。
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| 集落の中に続く道なので、集落に関係のないクルマはまったく通らない。 この先、右にカーブ。
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| 南側斜面に何軒かの家が建っている。 右の石段横に植えられているのは枝垂桜。
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| 里山的な風景。
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| 石段が続いていたので登ってみるとお堂?と案内板がある。
古代の本堂 -河内国大県郡巨麻(こま)郷と大狛(おおこま)神社-
柏原市本堂は信貴山朝護孫子寺南側の山間地にあたり、古代には河内国大県郡巨麻郷と呼ばれ、狛氏が住んでいた土地です。 狛氏は朝鮮半島の高句麗から移り住んだ人々で、同族が畿内一円に繁栄しました。 天台宗の総本山である比叡山延暦寺の第四世天台座主(住職)を務めた安慧(七九四?-八六八)は、河内国大県郡出身の大狛氏と伝えられています。 ここ大狛神社にはその祖先神や大山咋神・木花開耶姫神・山王権現・富士権現等が祀られています。 本堂のような急峻な土地に一郷をたて、集落が営まれた背景には、七世紀後半の政治情勢がありました。 当時、わが国と新羅・唐とは戦争状態にあり、防衛拠点として生駒山地の高安山から信貴山にかけて高安城が築かれました。 「柏原市史」は、その維持・管理を担う要員や資材を確保するため、隣接した土地に集落が営まれたのではないかと指摘しています。 平成二四(二〇一二)年一二月 柏原市教育委員会
つづく。
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1月11日(木)06:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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