山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷34

上野道と青谷道の分岐を表す道標。


合流地点に立つ道標。

「→摩耶ケーブル下駅2.2km ←青谷道を経て西灘2.2km →旧天上寺跡を経て摩耶山上0.7km」。

Y氏らの到着をここで待つことにした。

分岐では朝、青谷道の入口で見た女性の二人連れが、ベンチに座って昼食中。
この後の歩くコースを聞けば、掬星台には向かわず、ここから上野道を歩いて下山するという。
推測するに掬星台のゴチャゴチャした喧騒が嫌なのだろう。
しかし、地元の人だから、このようなコース設定が出来る。
我々の様に遠方から来た者は、もったいない気がする。

やがてH氏が現れ、その後にY氏とTu氏が続いた。

Y氏がここで大休止をするといい、Tu氏が彼に付き合うことになった。
Y氏の勧めもあって、H氏と私は先に出発することにした。



上野道を右下に見送って旧天上寺へ登る。


説明板が設置されており、上野道から登ってきたとみられる単独行らしき女性がそれを見ていた。


旧天上寺跡は「摩耶山史跡公園」として整備されている。

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)
摩耶山(702m)は、古来山岳信仰の場であり、大化2年(646年)、孝徳天皇の勅願を受け、インドの高僧法道仙人により仏教寺院が開創されました。
その後大同年間、弘法大師空海によって、摩耶夫人像が奉安され、伽藍が造営されました。
これが、摩耶山忉利天(とうりてん)上寺です。
長い歴史の中で観音霊場や安産祈願の寺として信仰され、最盛期には多くの塔頭、僧侶を抱えた摂津地方第一の大寺だったと伝えられています。表参道である上野道や青谷道、また兵庫方面の人々は布引の東から山に入り天上寺に参りました。
昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物のほとんどを焼失しました。
その後、寺は、開創の地と伝えられる元摩耶(ここより北へ約1.2km)へ移転し再建されました。
神戸市では、旧境内地を歴史・伝説を有する史跡公園として整備を行っています。【以下割愛】



2月21日(水)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷33

上野道合流地点への最後の急登。


道標。
これがあるので、急登ながらも気を紛らわせることが出来る。

この道標は登山道の左に位置していた。
あと僅かに100m。



急登は相変わらずだが、登山道は明るい日差しを浴びるようになる。


常夜灯の残骸。


平坦なところに出る。
ここが上野道への合流地点。



2月20日(火)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷32

登山道では誰とも出会わず、静かな山道が歩くことが出来た。

いつの間にかY氏ほかの人の姿が見えなくなる。
ペースを合わせて一緒に歩くことも考えたが、ここは上野道合流地点まで一気に登ることにした。
何回も休憩を繰り返していると逆に疲れる。

私の場合、歩き出して1時間くらい経つと、その日の体調がわかる。
調子が良ければどんどん歩けるようになる。

人それぞれ歩くペースは違う。
自分と同じくらいのペースで歩く人と一緒に山に行くと楽しい。
そうでないとお互いに不孝。



道標。旧天上寺まで400m。


登山道に石垣が見られるようになる。


このあたりで、ようやく傾斜が緩やかになる。
しかし、この後にも急登があった。



青谷道を示す道標。
摩耶山へ向かう。



2月20日(火)17:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷31

この道標を見た時、表示が間違っていると思った。
左側、青谷道入口から七00米、右側、旧天上寺まで一七00米。
前回見た道標は、「一六00米と八00米」だった。

帰宅してから分かったが、今までの道標は登山道の左にあった。
なので、左が青谷道入口からの距離1600mを表示していた。
ところが、この道標は登山道の右側にあった。
右の数字が青谷道からの距離1700mを表示しているというわけ。



石段の両端に石柱が立っている。


施主の名前が彫られていた。
この石段を造った人とみられる。
“荘王”の下の文字は不明。



急登の石段が連続する。


この木にも注連縄が掛けてある。
御神木なのだろう。

右に見える石柱は先程見た施主の名前が彫られたものと同一。
側面に「宿坊大乗院」、裏面に「世話人××」。



2月20日(火)17:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

若山神社_尺代道_柳谷観音_天王山

2018年2月18日(日)は、おおばこの会に参加した。
題して「若山神社から尺代道へ ※楊谷寺と天王山」。
スタートはJR東海道本線島本駅。(2008年開業)
ゴールは山崎駅。

前日の寒さと打って変わって、風がなくお日様が照る穏やかなハイキング日和となった。
参加者28名。

コース
JR東海道本線島本駅_櫻井驛址_石道標(東面 右 柳谷 / 左 西ノ宮そうし寺 道)_島本町消防本部前_小鳥神社_太閤道ハイキングコース分岐_若山神社・淀川三川合流眺望(鳥瞰図)_尺代(しゃくだい)道入口_野仏_水無瀬川に架かる橋を渡る_石仏群_尺代公会堂前_丁石地蔵(是より柳谷 十八丁 月参講)ほか数体_おおさか環状自然歩道(通行止)分岐_楊谷寺分岐_大佛乗願寺_御谷(みたに)神社前_天王山分岐_ロータリーの森(眺望地)_楊谷寺(ようこくじ_通称:柳谷観音)・昼食・奥之院・愛染堂・独鈷水_山道取付_車道斜め横断・天王山ハイキングコース道標_小倉神社1.0km分岐・天王山頂上1.5km_石造物_石造物群_納集佛_天王山270m_自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)_旗立松展望台_宝積寺(ほうしゃくじ)・豊臣秀吉 一夜之塔・仁王門_JR山崎駅

コース歩行距離 約12km。

実歩行距離約21.4km。(自宅~最寄り駅等を含む)
歩数3万1千歩

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。
JR東海道本線島本駅から山崎駅。



丁石地蔵。(是ヨリ柳谷 十一丁 月参講)


阿弥陀如来坐像(本尊)。大佛乗願寺にて。


旗立松展望台からの眺望。
眼下に淀川の流れ、大阪平野、京都盆地が一望。



豊臣秀吉 一夜之塔。宝積寺境内にて。


2月19日(月)16:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷30

登山道の右手に御神木と見られる木が見えたので立ち寄る。

木標が立ててあるが、文字が消えて読めない。



杉だが、巨樹というほどではない。


道標。
「一六00米と八00米」と表示。
旧天上寺まで800m。



青谷道を示す古い道標。摩耶山へ向かう。


登山道は急登の連続。
自然石を並べた石段が崩れないように杭を刺してあるが、出っ張っている杭が所々あって少々歩き難い。



2月18日(日)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷29

不動の滝場分岐を見送って、青谷川に沿って歩く。
画像の橋を渡る。



青谷川の流れ。
気のせいか、渓流が青く見える。



ここから先は沢を離れ尾根に登る険しい道が続く。


足元が滑りやすくなっている。
転倒に注意して登る。



昔に組まれた石段が現れる。
自然石を上手く並べて階段にしている。
段差が低く歩きやすい。



2月18日(日)20:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷28

不動之滝へ進む。

青谷川の河原に一人の女性が立って、祈りを捧げているように見えた。



青谷川に架かる橋を渡る。

この辺りの景観や雰囲気は、ここまで歩いて来て見られなかったもので、何か清らかなものを感じた。



脚が壊れたベンチの背に「不動之滝」と記されている。
コースは左の青い橋を渡らずに青谷川に沿って歩く。



先程の女性のことが気になって振り返って見たが姿が見えず。
どこへ消えたのか不思議。



橋を渡ると、大日大聖不動明王が祀ってあるようだ。
不動瀧御禊場と記されている。
この日は立ち寄らず。

行者不動の滝



2月18日(日)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷27

行者堂跡からの眺め。

複数の電波塔らしきが見えたが摩耶山頂だろうか。

帰宅してから調べると、ここ行者堂跡の標高は約317m。
摩耶山頂の標高は700m程度あるので摩耶山頂ではない。

行者堂跡の南西に位置する標高451mのピークに経つ送電線鉄塔だろう。



行者堂跡を後にする。
青谷川に架かる橋を渡る。



橋を渡る手前、左上方向に踏み跡があり石段が見えたが立ち寄らず。


小屋が何棟か建っている。


「不動之滝」を示す案内板。


2月17日(土)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷26

下手に剪定するより、放置した方が花の付きは良いみたいだ。
庭木では放置することは難しいが。



石段が現れる。
平坦になった場所は行者堂跡。(行者茶屋跡)



石に「右 まや」と彫られているようだ。


何年か前までは、ここに建物が残っていたようだが、今は何もない。


建物跡の奥から踏み跡が山の方へ続いているように見えたが未確認。
(ここから先には踏み込まず)



2月17日(土)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷25

水場を後にすると、すぐに石垣が現れる。
建物跡のようだ。



左後方を振り返ると、門らしきものが立っている。
門から先には立ち寄らず通過。



「一四00米と一000米」を示す道標。


平坦なところに出る。
道標があって三叉路の分岐となっている。

青谷道からここへ来た。
左折すると、旧摩耶道(もとまやみち)。
この日のコースは直進して旧天上寺・摩耶山頂へ向かう。距離1.1km。



キンモクセイの香りが匂っていたが、振り向くと大きな木がある。

庭木でキンモクセイを見かけるが、あまり大きな木はない。
これは剪定を行っているからだろう。
山で見かける放置されたキンモクセイは、このように大きな木となっていることが多い。



2月17日(土)18:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷24

飲んでみたが美味しく感じた。


クサアジサイだろう。
湿気の多いところに見られる。
この日はここまで見なかったように思う。



水場は二箇所あり、こちらの水も飲んでみた。
若干味が違うように感じた。



十一丁を示す丁石。


橋を渡り水場を振り返って撮影。

画像の右、柵に掛けてあった布袋は、水を入れたペットボトルを持ち帰る為のものだろうか?



2月16日(金)18:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷23

旧天上寺まで十二丁を示す丁石。

登山道はここで左上へ折り返す。



舗装されたコンクリート道を登る。


右側に堰堤(北畑第二砂防ダム)が現れる。


小さな椅子が何脚か置かれている。
実際に座ってみたが、小学生向けの椅子みたいでとても小さい。



この先、沢を渡るが水場がある。


2月16日(金)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷22

「大龍院」と彫られた寺標。


その昔、大龍院で行われていた滝修行や柴灯護摩(さいとうごま)の写真が掲示されている。
往時は盛んだったようだ。

大龍院には立ち寄らず。



「沢蟹を取らないで」。
灘区クリーン作戦本部が設置した看板。



ここでは野菜の植え付けをしていた。

おそらく市街地から昼間だけここへ通って、集団で畑などを耕していると思われる。
気の合ったグループなのだろう。



道標。

一二00米と一二00米。
丁度ここが中間地点となる。



2月16日(金)16:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷21

前方に二条の滝が見える。
堰堤から流れ落ちる滝とみられる。



このあたりは地道。


雑草を燃やす懐かしい匂いがする。
前方にその煙が見えて、皆が団らんしている様子が窺えた。



人の姿が見えたので挨拶した。
「こんにちは」。

獣除けの柵で囲われたグリーンベルト。
このエリアでは野菜を栽培していなかったが、奥の方では栽培している様子。



進行方向の左側に「成田不動明王」と記された鳥居が現れる。

右には「大龍院 不動明王 岩屋瀧」と彫られていた。



2月15日(木)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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