青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷43 |
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| 登山道(六甲全縦)は石畳になっている。
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| 上野道・青谷道方面分岐を右に見送る。
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| 摩耶ロープウェイ山上駅バス停前。正面の階段を登る。
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| 大きな休憩所が現れる。 この建物の左横がトイレ。
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| 掬星台(きくせいだい)の時計台。 時間は12時54分。
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3月1日(木)18:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷42 |
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| 説明板にある天狗岩。 「石丸猿四彦大神」の石柱が立っているが、この割れた岩が天狗岩だろう。
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| 天狗岩を別の方向から撮影。
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| 摩耶山頂(698.6m 三等三角点)での記念撮影。 木漏れ日があって、木々や三角点標柱と同化している写真が撮影出来た―笑。
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| 山頂を後にし、六甲全山縦走路に出る。 この下の道が縦走路。
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| 道標。三角点からここへ来た。掬星台へ向かう。
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3月1日(木)18:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷41 |
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| 奥の院にはベンチが置かれているが、眺望はない。
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| 奥の院を後にする。
左右に分岐した道を右に進む。
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| 分岐に立つ道標。 掬星台へ向かう。距離0.3km。
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| 天狗岩に到着。
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| 天狗岩 奥之院の北の山頂にあるこの天狗岩という巨石は、広さ八畳ともいわれ、伝説によると摩耶山の僧が山中に出没する天狗を封じ込めたところだという。 行者岩とも称され、今日でも修験道者が信仰の対象としているが、古い山岳信仰の岩坐(神が降臨するといわれる巨石)だったのであろう。 この岩の名も、その北方から布引市ヶ原に至る山道、天狗道の名も、ともにそこで修行する山伏の姿を見た山麓の農民が山伏たちを天狗と思って名づけた呼び名であろう。
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2月27日(火)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷40 |
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| 旧八十八ヶ所窟巡りのなごり、石造りの小堂。 今はどの窟にも石仏は祀られていない。 後で気づいたが、新しく建造された天上寺の山門付近に、ここに祀られていた石仏群が安置されているとみられる。
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| 今はお参りされなくなった旧八十八ヶ所窟巡りの石段を登る。
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| 平坦なところに出る。
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| 奥之院跡に到着。 奥之院跡 本堂の背後330mのこの地にあった奥之院は、法道仙人によって建立されたと伝えられ、行者堂ともよばれる修験道者の行場の一つであった。 内部には、不動明王と弘法大師像とが安置されていた。 なお、この奥之院を囲んで、山中に石造の八十八ヶ所の小堂が設置されたのは、明治38年のことであった。 法道 - Wikipedia
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| 奥の院跡 六甲山地の中でも貴重な原生林が広がっている旧天上寺の奥の院跡はミヤコザサの群生や、ツガ、アカガシの古木、雄大な大杉に囲まれた荘厳な空気があたりを包む。 また奥の院は修験道の行場でもあり神聖な場所とされた。 摩耶遺跡
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2月27日(火)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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滝坂の道_首切地蔵_柳生_笠置山寺 |
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| 2018年2月25日(日)は、山を登る会の例会に参加した。 近鉄奈良駅からスタート。滝坂の道を歩いて円成寺で昼食。 食後は阪原峠(かえりばさとうげ)を経て柳生の里へ。 笠置山寺本坊前からJR笠置駅に下山した。
参加者88名。リーダーはN氏。
コース 8:48近鉄奈良駅9:14_春日大社萬葉植物園前_旧柳生街道(滝坂の道)出合_飛鳥中学前_妙見宮五丁分岐_寝仏_夕日観音_朝日観音_首切地蔵_春日山周遊道路を横断_石切峠_峠茶屋_八柱神社_大慈仙バス停方面分岐_墓地_11:20円成寺・昼食11:43_大柳生幼稚園前_白砂川に架かる橋を渡る_夜支布(やぎゅう)山口神社_水木古墳_南明寺_おふじの井戸_阪原峠(かえりばさとうげ)_疱瘡地蔵・正長元年柳生徳政碑_磨崖仏_六地蔵磨崖仏_柳生公民館前_八坂神社前_旧柳生藩家老屋敷前_十兵衛杉_打滝川に架かるやぐり橋を渡る_阿対(あたや)の石仏_かさぎゴルフ倶楽部_打滝川に架かる鹿鷺(かさぎ)橋を渡る_笠置山寺本坊前_庚申堂(青面金剛石仏 宝永二年)_石仏群_笠置山登山口(交差点)_白砂川に架かる橋を渡る_14:00JR関西本線笠置駅14:28
コース歩行距離約24km。
実歩行距離約26.2km。(自宅~最寄り駅等を含む) 歩数3万7千歩
画像はこの日歩いた近鉄奈良駅から笠置駅までの内、昼食場所の円成寺までのGPSログを表示している。
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| 続き、円成寺から笠置駅までを表示。
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| 多宝塔。円成寺境内にて。
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| 阿対(あたや)の石仏。
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| 庚申堂の青面金剛石仏。宝永二年(1705)。 笠置山寺参詣道、下の道にて。
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2月26日(月)18:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷39 |
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| 三権現社跡に到着。
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| ここは分岐になっており、通常は右折し森林浴コースを歩く。 この日は初めて左折し尾根コースを歩いて奥の院から摩耶山頂へと向かった。
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| 壊れた石造物。
正面の石に「九番」と彫られている。 後でわかったが、尾根コースは「八十八ヶ所窟巡り」となっていた。
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| 自然石を積み上げた階段を登る。 かなりの急坂。
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| 踏み跡は薄く、「森林浴コース」と比べ、あまり歩かれていない様子。
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2月24日(土)18:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷38 |
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| 「摩耶夫人堂跡」。釈迦の生母である摩耶夫人を本堂とするお堂。
摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)には、かつて堂宇が建っていたところに、このような案内板が設置されている。
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| 在りし頃の摩耶夫人堂。
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| 本堂跡地。
説明書きによると、約13m四方の荘厳なお堂 本尊である 十一面観音像が安置されていた。
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| 摩耶山周辺ハイキング道マップと上野道・青谷道の地図。
この後、三権現社跡前から分岐を右に見送り、奥の院跡、天狗岩大神、摩耶山頂、掬星台へと向かう。
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| 摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)を後にする。
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2月24日(土)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷37 |
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| 摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)への最後の石段。 参道にも立派な杉が立っている。
石段をよく見ると、途中から左の方へずれている。 ずれているところに大きな杉が立っている。 石段を造る時に、この杉に配慮したのだろう。 現代だとどうだろう。 このような配慮なしに、杉を伐採するのだろうか。
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| 日差しを浴びて眩しい。 青谷道の入口から、ほとんど木蔭の中を歩いて来た。 これほど天気が良かったとは!?
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| 摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)に到着。
ここは何回か訪れている。
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| ここにも説明板が掲げられている。 先程の説明板とほぼ同じ内容なので割愛。
興味深いのは焼失前の天上寺の写真。昭和48年頃。
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| こちらの説明板は旧天上寺の建造物群について。 (旧摩耶山天上寺境内略図)
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2月24日(土)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷36 |
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| 旧摩耶の大杉分岐。 H氏は初めてとのことなので立ち寄ることにした。 約50m。
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| 訪れる人が多いのだろう。 踏み跡は明確。
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| 旧摩耶の大杉
市街地から眺めると摩耶山の中腹に一際目立つ大木があるのに気付きます。 旧摩耶天上寺の塔頭のひとつであった蓮華院の西側に位置し、幹周り8mもある六甲山随一の大木であったと思われます。 昭和40年に発刊された「神戸の名木(神戸市公園緑化協会編 兵庫新聞社発行)」によると、約200年前に摩耶山一帯で起きた大水害で奇跡的に生き残ったため、その生命力に驚いた人々は、神霊が宿っているに違いないと「大杉大明神」としてあがめたと記載されています。 また同書によると樹令は千年とも記されており、その威風堂々とした姿に圧倒された様子が伺われます。 この「摩耶の大杉」は残念ながら、昭和51年の|日摩耶天上寺の大火災の後、火を被ったことが原因で、徐々に樹勢が衰え枯死してしまいました。 幾星霜の時を生き続け、移り変わる歴史の変遷を見続けてきたこの大杉の姿は、枯死してもなおその存在感を人々に印象づけています。
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| 枯死しているが、倒れることなく立ち続けているのに驚く。
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| 大杉を見上げる。 まだ生命が宿っているように見える。
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2月21日(水)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷35 |
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| アメヤ跡。ここで飴を売っていたらしい。
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| 仁王門。但し仁王様の姿はない。
仁王門を守護していた仁王様はどこに行かれたのだろう。 旧天上寺の火災の原因は、賽銭泥棒の放火によると聞いたことがある。 その中で唯一残った建物がこの仁王門。
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| 仁王門を潜り抜け、更にその先の石段を登る。
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| お寺に寄付したお金の額面と寄進者の名前を記した石柱がズラリと並ぶ。
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| 兵庫県立神戸高等学校と彫られた石造物があった。 静哩園と彫られている。 詳細は不明。
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2月21日(水)19:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷34 |
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| 上野道と青谷道の分岐を表す道標。
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| 合流地点に立つ道標。
「→摩耶ケーブル下駅2.2km ←青谷道を経て西灘2.2km →旧天上寺跡を経て摩耶山上0.7km」。
Y氏らの到着をここで待つことにした。
分岐では朝、青谷道の入口で見た女性の二人連れが、ベンチに座って昼食中。 この後の歩くコースを聞けば、掬星台には向かわず、ここから上野道を歩いて下山するという。 推測するに掬星台のゴチャゴチャした喧騒が嫌なのだろう。 しかし、地元の人だから、このようなコース設定が出来る。 我々の様に遠方から来た者は、もったいない気がする。
やがてH氏が現れ、その後にY氏とTu氏が続いた。
Y氏がここで大休止をするといい、Tu氏が彼に付き合うことになった。 Y氏の勧めもあって、H氏と私は先に出発することにした。
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| 上野道を右下に見送って旧天上寺へ登る。
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| 説明板が設置されており、上野道から登ってきたとみられる単独行らしき女性がそれを見ていた。
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| 旧天上寺跡は「摩耶山史跡公園」として整備されている。
摩耶山史跡公園(旧天上寺跡) 摩耶山(702m)は、古来山岳信仰の場であり、大化2年(646年)、孝徳天皇の勅願を受け、インドの高僧法道仙人により仏教寺院が開創されました。 その後大同年間、弘法大師空海によって、摩耶夫人像が奉安され、伽藍が造営されました。 これが、摩耶山忉利天(とうりてん)上寺です。 長い歴史の中で観音霊場や安産祈願の寺として信仰され、最盛期には多くの塔頭、僧侶を抱えた摂津地方第一の大寺だったと伝えられています。表参道である上野道や青谷道、また兵庫方面の人々は布引の東から山に入り天上寺に参りました。 昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物のほとんどを焼失しました。 その後、寺は、開創の地と伝えられる元摩耶(ここより北へ約1.2km)へ移転し再建されました。 神戸市では、旧境内地を歴史・伝説を有する史跡公園として整備を行っています。【以下割愛】
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2月21日(水)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷33 |
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| 上野道合流地点への最後の急登。
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| 道標。 これがあるので、急登ながらも気を紛らわせることが出来る。
この道標は登山道の左に位置していた。 あと僅かに100m。
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| 急登は相変わらずだが、登山道は明るい日差しを浴びるようになる。
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| 常夜灯の残骸。
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| 平坦なところに出る。 ここが上野道への合流地点。
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2月20日(火)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷32 |
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| 登山道では誰とも出会わず、静かな山道が歩くことが出来た。
いつの間にかY氏ほかの人の姿が見えなくなる。 ペースを合わせて一緒に歩くことも考えたが、ここは上野道合流地点まで一気に登ることにした。 何回も休憩を繰り返していると逆に疲れる。
私の場合、歩き出して1時間くらい経つと、その日の体調がわかる。 調子が良ければどんどん歩けるようになる。
人それぞれ歩くペースは違う。 自分と同じくらいのペースで歩く人と一緒に山に行くと楽しい。 そうでないとお互いに不孝。
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| 道標。旧天上寺まで400m。
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| 登山道に石垣が見られるようになる。
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| このあたりで、ようやく傾斜が緩やかになる。 しかし、この後にも急登があった。
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| 青谷道を示す道標。 摩耶山へ向かう。
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2月20日(火)17:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷31 |
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| この道標を見た時、表示が間違っていると思った。 左側、青谷道入口から七00米、右側、旧天上寺まで一七00米。 前回見た道標は、「一六00米と八00米」だった。
帰宅してから分かったが、今までの道標は登山道の左にあった。 なので、左が青谷道入口からの距離1600mを表示していた。 ところが、この道標は登山道の右側にあった。 右の数字が青谷道からの距離1700mを表示しているというわけ。
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| 石段の両端に石柱が立っている。
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| 施主の名前が彫られていた。 この石段を造った人とみられる。 “荘王”の下の文字は不明。
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| 急登の石段が連続する。
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| この木にも注連縄が掛けてある。 御神木なのだろう。
右に見える石柱は先程見た施主の名前が彫られたものと同一。 側面に「宿坊大乗院」、裏面に「世話人××」。
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2月20日(火)17:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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若山神社_尺代道_柳谷観音_天王山 |
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| 2018年2月18日(日)は、おおばこの会に参加した。 題して「若山神社から尺代道へ ※楊谷寺と天王山」。 スタートはJR東海道本線島本駅。(2008年開業) ゴールは山崎駅。
前日の寒さと打って変わって、風がなくお日様が照る穏やかなハイキング日和となった。 参加者28名。
コース JR東海道本線島本駅_櫻井驛址_石道標(東面 右 柳谷 / 左 西ノ宮そうし寺 道)_島本町消防本部前_小鳥神社_太閤道ハイキングコース分岐_若山神社・淀川三川合流眺望(鳥瞰図)_尺代(しゃくだい)道入口_野仏_水無瀬川に架かる橋を渡る_石仏群_尺代公会堂前_丁石地蔵(是より柳谷 十八丁 月参講)ほか数体_おおさか環状自然歩道(通行止)分岐_楊谷寺分岐_大佛乗願寺_御谷(みたに)神社前_天王山分岐_ロータリーの森(眺望地)_楊谷寺(ようこくじ_通称:柳谷観音)・昼食・奥之院・愛染堂・独鈷水_山道取付_車道斜め横断・天王山ハイキングコース道標_小倉神社1.0km分岐・天王山頂上1.5km_石造物_石造物群_納集佛_天王山270m_自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)_旗立松展望台_宝積寺(ほうしゃくじ)・豊臣秀吉 一夜之塔・仁王門_JR山崎駅 コース歩行距離 約12km。
実歩行距離約21.4km。(自宅~最寄り駅等を含む) 歩数3万1千歩
画像はこの日歩いたGPSログを表示している。 JR東海道本線島本駅から山崎駅。
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| 丁石地蔵。(是ヨリ柳谷 十一丁 月参講)
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| 阿弥陀如来坐像(本尊)。大佛乗願寺にて。
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| 旗立松展望台からの眺望。 眼下に淀川の流れ、大阪平野、京都盆地が一望。
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| 豊臣秀吉 一夜之塔。宝積寺境内にて。
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2月19日(月)16:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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