2017_10_25~2018_02_14の記録について |
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| 2017年10月25日から2018年2月14日までの期間、ぶっとびねっとブログにアクセス出来ない状態が続きました。
ついてはこの期間にアップロード出来なかった記録の一部を順次公開して行きます。(連載ではなく完結版)
画像は2017年10月25日から2018年2月14日までの歩いた記録。この中から一部を公開予定。
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3月4日(日)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷47 |
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| 遊歩道並に整備された登山道。
ここから東方向に展望が得られた。
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| 分岐で右上に続く石畳の道を歩く。
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| 木漏れ日の中、緩やかな登りが続く。
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| 摩耶の石舞台分岐に到着。
H氏とTu氏は、初めてなので立ち寄った。 Y氏と私はここで暫く待つ。
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| 石畳の小道を下る。
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3月3日(土)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷46 |
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| 大きな休憩所に戻る。 ここは冬場や雨の時に利用される。 この建物の横がトイレ。
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| バス停前に戻る。
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| この後、摩耶自然観察園分岐、オテル・ド・摩耶前、摩耶山天上寺前、そして、自然の家前に向かう。 ここから自然の家前まで2.3km。 ※六甲山牧場には行かない。
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| 摩耶自然観察園分岐を左に見送る。
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| 天上寺、オテル・ド・摩耶、アゴニー坂へと進む。
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3月3日(土)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷45 |
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| 東屋の横が山寺尾根の取り付き。 尚、私は僅か5日後の10月1日(日)に山を登る会で、ここから取り付き、山寺尾根を下って阪急六甲駅へゴールした。
道標に見える「長峰」は長峰山ではなく長峰台や長峰中学のある長峰地区を表している。 少し紛らわしい。
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| 長峰山方向の眺め。 画像手前の中央のピークに茶色いものが見えているが、長峰山頂の天狗塚と呼ばれる場所。 この後、11月21日にY氏、H氏の三人でこの長峰山に登った。
尚、この日のコースは、穂高湖を経て長峰尾根の手前の谷、杣谷を下る。
長峰山の後方に連なる山々は六甲山頂方面。
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| 下山予定地、長峰霊園付近をズーム撮影。 長峰霊園は画像の中央下、木々に囲まれている広大な敷地。 その右奥に見える運動場は長峰中学校。
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| 画像の中央、茶色に見える建物群は神戸製鋼所。 その向こう側に六甲アイランド。
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| 昼食場所の東屋を後にする。 振り返って撮影。
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3月2日(金)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷44 |
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| 掬星台の東側は眺望が得られるデッキが連なっている。
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| やや霞んでおり視界はまぁまぁ。
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| 北東の端に東屋があったのでここで昼食。 暑いので昼食場所は日陰がよかった。
画像は東屋のベンチに座って撮影。
Tu氏は摩耶山に登るのがこれが初めて。 ここからの眺望をかなり気に入った様子。
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| Y氏はコッヘルを持参した。 画像はコッヘルに入れる水を汲みに行くところ。
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| 温かいコーヒーを頂いた。 ご馳走様。
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3月2日(金)18:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷43 |
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| 登山道(六甲全縦)は石畳になっている。
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| 上野道・青谷道方面分岐を右に見送る。
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| 摩耶ロープウェイ山上駅バス停前。正面の階段を登る。
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| 大きな休憩所が現れる。 この建物の左横がトイレ。
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| 掬星台(きくせいだい)の時計台。 時間は12時54分。
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3月1日(木)18:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷42 |
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| 説明板にある天狗岩。 「石丸猿四彦大神」の石柱が立っているが、この割れた岩が天狗岩だろう。
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| 天狗岩を別の方向から撮影。
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| 摩耶山頂(698.6m 三等三角点)での記念撮影。 木漏れ日があって、木々や三角点標柱と同化している写真が撮影出来た―笑。
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| 山頂を後にし、六甲全山縦走路に出る。 この下の道が縦走路。
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| 道標。三角点からここへ来た。掬星台へ向かう。
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3月1日(木)18:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷41 |
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| 奥の院にはベンチが置かれているが、眺望はない。
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| 奥の院を後にする。
左右に分岐した道を右に進む。
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| 分岐に立つ道標。 掬星台へ向かう。距離0.3km。
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| 天狗岩に到着。
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| 天狗岩 奥之院の北の山頂にあるこの天狗岩という巨石は、広さ八畳ともいわれ、伝説によると摩耶山の僧が山中に出没する天狗を封じ込めたところだという。 行者岩とも称され、今日でも修験道者が信仰の対象としているが、古い山岳信仰の岩坐(神が降臨するといわれる巨石)だったのであろう。 この岩の名も、その北方から布引市ヶ原に至る山道、天狗道の名も、ともにそこで修行する山伏の姿を見た山麓の農民が山伏たちを天狗と思って名づけた呼び名であろう。
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2月27日(火)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷40 |
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| 旧八十八ヶ所窟巡りのなごり、石造りの小堂。 今はどの窟にも石仏は祀られていない。 後で気づいたが、新しく建造された天上寺の山門付近に、ここに祀られていた石仏群が安置されているとみられる。
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| 今はお参りされなくなった旧八十八ヶ所窟巡りの石段を登る。
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| 平坦なところに出る。
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| 奥之院跡に到着。 奥之院跡 本堂の背後330mのこの地にあった奥之院は、法道仙人によって建立されたと伝えられ、行者堂ともよばれる修験道者の行場の一つであった。 内部には、不動明王と弘法大師像とが安置されていた。 なお、この奥之院を囲んで、山中に石造の八十八ヶ所の小堂が設置されたのは、明治38年のことであった。 法道 - Wikipedia
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| 奥の院跡 六甲山地の中でも貴重な原生林が広がっている旧天上寺の奥の院跡はミヤコザサの群生や、ツガ、アカガシの古木、雄大な大杉に囲まれた荘厳な空気があたりを包む。 また奥の院は修験道の行場でもあり神聖な場所とされた。 摩耶遺跡
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2月27日(火)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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滝坂の道_首切地蔵_柳生_笠置山寺 |
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| 2018年2月25日(日)は、山を登る会の例会に参加した。 近鉄奈良駅からスタート。滝坂の道を歩いて円成寺で昼食。 食後は阪原峠(かえりばさとうげ)を経て柳生の里へ。 笠置山寺本坊前からJR笠置駅に下山した。
参加者88名。リーダーはN氏。
コース 8:48近鉄奈良駅9:14_春日大社萬葉植物園前_旧柳生街道(滝坂の道)出合_飛鳥中学前_妙見宮五丁分岐_寝仏_夕日観音_朝日観音_首切地蔵_春日山周遊道路を横断_石切峠_峠茶屋_八柱神社_大慈仙バス停方面分岐_墓地_11:20円成寺・昼食11:43_大柳生幼稚園前_白砂川に架かる橋を渡る_夜支布(やぎゅう)山口神社_水木古墳_南明寺_おふじの井戸_阪原峠(かえりばさとうげ)_疱瘡地蔵・正長元年柳生徳政碑_磨崖仏_六地蔵磨崖仏_柳生公民館前_八坂神社前_旧柳生藩家老屋敷前_十兵衛杉_打滝川に架かるやぐり橋を渡る_阿対(あたや)の石仏_かさぎゴルフ倶楽部_打滝川に架かる鹿鷺(かさぎ)橋を渡る_笠置山寺本坊前_庚申堂(青面金剛石仏 宝永二年)_石仏群_笠置山登山口(交差点)_白砂川に架かる橋を渡る_14:00JR関西本線笠置駅14:28
コース歩行距離約24km。
実歩行距離約26.2km。(自宅~最寄り駅等を含む) 歩数3万7千歩
画像はこの日歩いた近鉄奈良駅から笠置駅までの内、昼食場所の円成寺までのGPSログを表示している。
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| 続き、円成寺から笠置駅までを表示。
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| 多宝塔。円成寺境内にて。
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| 阿対(あたや)の石仏。
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| 庚申堂の青面金剛石仏。宝永二年(1705)。 笠置山寺参詣道、下の道にて。
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2月26日(月)18:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷39 |
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| 三権現社跡に到着。
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| ここは分岐になっており、通常は右折し森林浴コースを歩く。 この日は初めて左折し尾根コースを歩いて奥の院から摩耶山頂へと向かった。
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| 壊れた石造物。
正面の石に「九番」と彫られている。 後でわかったが、尾根コースは「八十八ヶ所窟巡り」となっていた。
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| 自然石を積み上げた階段を登る。 かなりの急坂。
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| 踏み跡は薄く、「森林浴コース」と比べ、あまり歩かれていない様子。
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2月24日(土)18:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷38 |
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| 「摩耶夫人堂跡」。釈迦の生母である摩耶夫人を本堂とするお堂。
摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)には、かつて堂宇が建っていたところに、このような案内板が設置されている。
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| 在りし頃の摩耶夫人堂。
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| 本堂跡地。
説明書きによると、約13m四方の荘厳なお堂 本尊である 十一面観音像が安置されていた。
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| 摩耶山周辺ハイキング道マップと上野道・青谷道の地図。
この後、三権現社跡前から分岐を右に見送り、奥の院跡、天狗岩大神、摩耶山頂、掬星台へと向かう。
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| 摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)を後にする。
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2月24日(土)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷37 |
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| 摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)への最後の石段。 参道にも立派な杉が立っている。
石段をよく見ると、途中から左の方へずれている。 ずれているところに大きな杉が立っている。 石段を造る時に、この杉に配慮したのだろう。 現代だとどうだろう。 このような配慮なしに、杉を伐採するのだろうか。
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| 日差しを浴びて眩しい。 青谷道の入口から、ほとんど木蔭の中を歩いて来た。 これほど天気が良かったとは!?
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| 摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)に到着。
ここは何回か訪れている。
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| ここにも説明板が掲げられている。 先程の説明板とほぼ同じ内容なので割愛。
興味深いのは焼失前の天上寺の写真。昭和48年頃。
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| こちらの説明板は旧天上寺の建造物群について。 (旧摩耶山天上寺境内略図)
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2月24日(土)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷36 |
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| 旧摩耶の大杉分岐。 H氏は初めてとのことなので立ち寄ることにした。 約50m。
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| 訪れる人が多いのだろう。 踏み跡は明確。
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| 旧摩耶の大杉
市街地から眺めると摩耶山の中腹に一際目立つ大木があるのに気付きます。 旧摩耶天上寺の塔頭のひとつであった蓮華院の西側に位置し、幹周り8mもある六甲山随一の大木であったと思われます。 昭和40年に発刊された「神戸の名木(神戸市公園緑化協会編 兵庫新聞社発行)」によると、約200年前に摩耶山一帯で起きた大水害で奇跡的に生き残ったため、その生命力に驚いた人々は、神霊が宿っているに違いないと「大杉大明神」としてあがめたと記載されています。 また同書によると樹令は千年とも記されており、その威風堂々とした姿に圧倒された様子が伺われます。 この「摩耶の大杉」は残念ながら、昭和51年の|日摩耶天上寺の大火災の後、火を被ったことが原因で、徐々に樹勢が衰え枯死してしまいました。 幾星霜の時を生き続け、移り変わる歴史の変遷を見続けてきたこの大杉の姿は、枯死してもなおその存在感を人々に印象づけています。
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| 枯死しているが、倒れることなく立ち続けているのに驚く。
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| 大杉を見上げる。 まだ生命が宿っているように見える。
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2月21日(水)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷35 |
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| アメヤ跡。ここで飴を売っていたらしい。
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| 仁王門。但し仁王様の姿はない。
仁王門を守護していた仁王様はどこに行かれたのだろう。 旧天上寺の火災の原因は、賽銭泥棒の放火によると聞いたことがある。 その中で唯一残った建物がこの仁王門。
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| 仁王門を潜り抜け、更にその先の石段を登る。
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| お寺に寄付したお金の額面と寄進者の名前を記した石柱がズラリと並ぶ。
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| 兵庫県立神戸高等学校と彫られた石造物があった。 静哩園と彫られている。 詳細は不明。
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2月21日(水)19:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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