六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)13 |
|
|
| 覆屋の中を覗いてみる。
| |
|
| 常夜燈。 上段の土台石は右から「塩尾寺」と彫られている。下段は「願大坂」だろうか。
宝塚市のHPによると、背面に「天保十五年」の銘があり、もとは宝塚南口にあったものを移設した。
| |
|
| 「えんぺい寺休憩所」を後にする。 石段を左に見送って車道の方を歩く。
| |
|
| ヤマランのランナーを多く見かける。 時間帯が一致するのだろう。
| |
|
| 眺望が得られる場所が現れた。
| |
|
5月12日(木)20:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)12 |
|
|
| 「えんぺい寺休憩所」に祀ってあった神仏。 左から不動明王と観音様だろうか、そして 白鳥大神の鳥居が七本並ぶ。
| |
|
| お不動さんはご不在のようだ。 残された脇侍たち。
| |
|
| 観音様と見られる。
| |
|
| 祠の前に置かれていた。 「かんをん道」だろう。
| |
|
| 白鳥大神の右に新しい覆屋が建っているが表示板がない。
| |
|
5月12日(木)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)11 |
|
|
| 車道を歩いていると、左下に塩尾寺への旧参詣道が見えた。
| |
|
| 旧参詣道との合流地点。旧参詣道を撮影。
| |
|
| 駐車場が現れる。 塩尾寺に到着したかと思ったが、お寺はまだ先だった。
| |
|
| 「えんぺい寺休憩所」となっている。 クルマでお参りした場合、ここに駐車するのだろう。
| |
|
| ここで少し休憩することにした。 この先、石段と舗装道路があり、無難な選択で舗装道路を歩いたが、石段からの道と合流していた。 なので、歩きの場合、通常は石段を利用することになる。
| |
|
5月12日(木)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)10 |
|
|
| 塩尾寺への道標を見て三叉路を左折。
| |
|
| ようやく左手に森が現れる。
| |
|
| 「宝塚市水道局 紅葉谷中 配水池」の施設を右に見送る。 右後方は甲子園大学の建物。
| |
|
| 山陽自然歩道の道標。 「塩尾寺をへて大平山、六甲最高峰に至る」。
| |
|
| 塩尾寺まではアスファルトの車道を歩く。 車道は塩尾寺で行止りとなる。 クルマの通行はほとんどない。
| |
|
5月11日(水)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)9 |
|
|
| 歩いて来た方向を振り返って撮影。 高層ビルが建ち並ぶあたりが宝塚駅と見られる。
| |
|
| ユキノシタに似ているが不明。園芸店で時々見かける。園芸品種だろう。 排水溝に雑草のようにたくましく生えていた。
| |
|
| この下には塩谷川の支流が流れている。 先ほどの散策中の男性によると、この川沿いに塩尾寺への旧参詣道があり、少し手前でその道を目視することが出来た。
設置されている機械は土石流を感知するものかも知れない。
| |
|
| 甲子園大学8号館の前を通過。 学生など人がいる気配がまったく感じられない。
| |
|
| ノイバラ。
| |
|
5月11日(水)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)8 |
|
|
| 分岐に立つ道標。塩尾寺へ。 ここからは塩谷川沿いから離れる。
| |
|
| 三叉路。ここは左へ。 散策中の男性が写っているが、この先で再び出会ったので話をした。 神戸にお住まいだったが、阪神淡路大震災で被災され、こちらに移られたと聞いた。
| |
|
| 三叉路に設置された住宅図。 図にある現在地から左折して塩尾寺へ向かう。
| |
|
| 三叉路に立つ道標。 「塩尾寺をへて岩倉山へ至る」 距離が色あせて読めないが1.3km程度だろう。
| |
|
| ツルニチニチソウが野生化している。 繁殖力が強くこのような光景はあちこちで見られる。
| |
|
5月11日(水)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)7 |
|
|
| 住所表示は宝塚市紅葉ガ丘となっていた。そしてこの塩谷川が流れる谷を「紅葉谷」と呼ぶらしい。
塩谷川の右岸に置かれた犬の置物。
| |
|
| ウツギに似ている。花がピンクなのでタニウツギだろうか。
| |
|
| コンクリートで固められた川底に見られた花たち。 凄い生命力。
| |
|
| アスファルトの急坂が続く。左右には住宅。 塩谷川に沿って歩く。
| |
|
| 楓の種だが、先ほど見たものと違ってツートーンカラーになっている。
| |
|
5月10日(火)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)6 |
|
|
| 突然、目の前に現れた男性。 シャツ、パンツ、帽子、靴、靴下まで青と黒で統一。 素晴らしいコーディネート。感心した。
画像の橋、塩谷川に架かる月見橋を渡って塩谷川の左岸を歩く。
| |
|
| ランナーはあっと云う間、風の如く我々を抜き去った―笑。
| |
|
| 今は甲子園大学の矢印を見て歩く。
| |
|
| 道標。右は「寳塚不動尊」。左は「寳塚大黒・・・」と彫られている。 比較的新しい時代のものと見られる。 これらの道標が、具体的に何処の社寺仏閣を指しているのか不明。
| |
|
| 最近、この花をよく見かける。 アベリアに少し似ている。
※コバノランタナと教えて頂きました。(2016年6月2日)
| |
|
5月10日(火)20:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)5 |
|
|
| 鳥の形をした香炉だろう。 自然石で作られている。
| |
|
| 祠の観音扉を静かに開けてみる。 十一面観世音が彫られていた。 そして右に「十一面観世音」、左に「潮泉山 塩尾寺」と彫られているようだ。
| |
|
| 左から続く道。逆瀬川方面からの参詣道とみられる。
| |
|
| 左から続く道から祠と合流地点を撮影。 民家が迫っている。宝塚駅からは祠の向こう側の道を歩いて来た。
| |
|
| 付近の住所表示。武庫山二丁目となっている。この“武庫”の名前について、
武庫 - Wikipedia によると、 武庫(むこ)とは兵庫県摂津地方の古地名で、尼崎から兵庫までの沿海部を言う。武庫の名は神功皇后紀にはじめて見え、務古とも書いた。(『摂津郷土史論』『古事記』『日本書紀』)
武器を埋めたところ(『神社考』『元亨釈書』)、椋(むく)のある山(加茂真渕『万葉の解釈』)、御子(みこ)の訛(『住吉大社解状』)、向こうの意(『冠辞考』)など諸説ある。
上古文化の中心地である大和を出、難波から船を出さんとするとき、遥か対岸の地を望んで「向こう」と言ったとする説は無理の無い解釈として一般に認められている。 しかしながら、はるか難波の対岸から見えない場所や河川名にまで、武庫の名がつけられていることから、疑問がないわけではなく、古くからいくつかの説がある。 吉田東伍は「大日本地名辞書」、廣田神社の項で、祭神名天疎向津姫(あまさかるむかつひめ)に関して、向か津は武庫津に同じと指摘していることと、かつて向か津峰と呼ばれた武庫山=六甲山全山が往古、廣田神社の社領であったことは、考慮に値する。摂津国風土記(逸文)は武庫の由来について次のように伝えている。
「(神功)皇后は摂津の国の海浜の北岸の廣田の郷においでになった。いま廣田明神というのはこれである。その故にその海辺を名づけて御前(みさき)の浜といい、御前の沖という。またその兵器を埋めた場所を武庫(むこ)という。今は兵庫という。」
この伝承は、兵庫県の旧家である 北風家が寛政7年(1795年)まで家宝として神功皇后の鎧を伝えていたことと整合する。
| |
|
5月10日(火)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)4 |
|
|
| 楓の赤い種、プロペラ。
| |
|
| 宝塚市のマンホールの蓋。 日本マンホール蓋学会によると、市の花・スミレと周囲は音楽と文化の街のロゴマークである鐘。
宝塚市のマンホール
| |
|
| 先ほどのインド料理のレストランの駐車場らしい。一台しか駐車できないようだ。
| |
|
| 宝塚市の広報板。こんなにぎっしり掲示されている広報板は見たことがない。 市民参加のイベントや催しが沢山あるようだ。
| |
|
| やがて三叉路となる。左からの道と合流していたが、合流地点に祠が見えたので立ち寄る。「六甲山 武庫山 塩尾寺 十一面観世音」と表示されている。 祠は左からの道に向かって正面に祀られていた。 気になったので、帰宅後、この道を地図で見たら、逆瀬川方面からの参詣道とみられる。
| |
|
5月9日(月)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)3 |
|
|
| 宝来橋南詰交差点でインド料理のレストランの左に見える細い道を行く。
| |
|
| 店を過ぎてすぐ右手に道標が二基立っていた。 「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」。“塩尾寺”は“えんぺいじ”と読む。 刻銘は確認出来なかったが、ネット検索すると、大正時代らしい。
| |
|
| もう一つはその左に立つ道標で「六甲山 / 塩尾寺 / 十一面觀世音 / すぐ十五丁」。
| |
|
| そして左側面(西)には「厄神明王」と彫られている。これも刻銘は確認出来なかったが、先ほどと同じくネット検索すると明治時代。 ネット検索したサイトは、 【宝塚】たからづかの道標その弐: 驕れる人も久しからず
| |
|
| 左右に住宅が建ち並ぶ狭い坂道を歩く。
| |
|
5月9日(月)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)2 |
|
|
| 「ソリオのお地蔵さま」と呼ばれている。 再開発に伴い、周辺に祀ってあった幾つかの石仏をここに集めたらしい。 “ソリオ”とは駅近くにある商業施設の名前。
| |
|
| Y氏によると、元は「島屋」という旅館が建っていた。 今は「島屋 ワシントンホテル」となっている。
| |
|
| 武庫川に架かる宝来橋を渡る。
| |
|
| 武庫川上流方向(北西)の眺め。
| |
|
| 宝来橋を渡ったところにある与謝野晶子の歌碑。
宝塚にてよめる
「武庫川の 板の橋をば ぬらすなり かじかの声も 月の光も」 与謝野晶子
歌碑建立主旨 宝塚市を代表する文化の一つ、宝塚歌劇の機関紙「歌劇」の創刊号に日本を代表する歌人、与謝野晶子の「武庫川の夕べ」と題する歌三首が掲載されていました。与謝野晶子は女性の自立と反戦平和にかかわり貢献した人でもあります。その晶子が夫鉄幹と共にこの宝塚を訪れたことはあまり知られていません。緑連なる六甲、長尾連山とこの武庫川が街のシンボルとして自然が体感できる自然保護に配慮した山や川であることをより多くの人たちと共に願い、私たちの街の劇場文化の発展と武庫川の自然保護を祈念してこの碑を建立するものです。 平成十一年四月十三日 宝塚ライオンズクラブ会長(第三十七代) 堀本雅也
| |
|
5月9日(月)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)1 |
|
|
| 2016年5月7日(土)は、第一回目となる六甲全山縦走として、阪急宝塚駅から、芦有(ろゆう)ドライブウエイ、宝殿橋バス停まで歩いた。この区間は「東六甲縦走路」と呼ばれている。 また、近畿自然歩道、そして山陽自然歩道にもなっている。
当初、東六甲分岐点から石宝殿に立ち寄り、六甲最高峰に登る予定だったが、予定時間を過ぎていたので、この部分は次回に歩くこととした。 この日は薄曇で午後から時々晴れ。霞んでいて視界は良くない。
兵庫県勤労者山岳連盟所属の神戸ウオーキング協会が主催した「第22回六甲山分割縦走(4)」が当日開催され、参加者約200人程度と出会った。 幸い私達は食事中だったので、登山道が混雑することはなかった。
神戸ウオーキング協会 リンク切れ注意
今回、初めて東六甲縦走路を宝塚から歩いたが、印象として登山者は多くないように思われる。 歩きやすい登山道が続くが、急な上り下りが所々あったり、石があって歩きにくいところもあった。 宝塚駅から塩尾寺まではアスファルトの急登になっている。 トイレはまったくなかった。 参加者はY氏と私。
コース・タイム 8:51阪急宝塚駅9:16_9:19武庫川に架かる宝来橋を渡る9:20_9:21与謝野晶子歌碑_9:22道標(左 塩尾寺 是ヨリ十五丁)_9:26祠(十一面観世音)_9:28塩谷川に架かる月見橋を渡る_9:29道標(寳塚不動尊)_9:37紅葉ガ丘地域住宅図_9:44甲子園大学8号館前_9:51宝塚市水道局紅葉谷中 配水池前_9:56旧道出合い_9:56塩尾寺休憩所10:01_10:08眺望地_10:13神祠_10:20道標(塩尾寺二丁)_10:21旧道分岐_10:28塩尾寺(えんぺいじ)10:41_10:55砂山権現_11:03生瀬分岐_11:06岩倉山反射板を経て猪谷ゆずり葉台分岐_11:08岩倉山頂11:12_11:15送電線鉄塔_11:17眺望地_11:21ゆずり葉台分岐_11:28赤子谷分岐_11:41岩原山分岐_12:06大谷乗越(棚越新道横断)_12:19奥池分岐_12:27NTTドコモ専用道路出合_12:28古道分岐_12:35大平山分岐(フェンス沿い)_12:39大平山分岐・昼食13:11_13:12大平山頂_13:14大平山分岐13:22_13:28おじぎ岩_13:50船坂峠(清水谷道分岐)_14:03土砂崩れ通行止迂回路_14:26露岩_15:10縦走路分岐点(東六甲分岐点)15:17_15:21白山神社(石宝殿)分岐_15:37宝殿橋バス停15:53_<バス>_16:30阪神芦屋駅
画像はこの日歩いたGPSログを表示している。宝塚駅から宝殿橋バス停まで。
| |
|
| 朝の蛙股池。どんよりとした天気。 天気予報では終日曇りだったが、実際もその通りとなった。
| |
|
| 宝塚駅前、夢広場に建つオブジェ。
| |
|
| 宝塚観光プロムナードマップとなっている。 地図に記載されている宝来橋を渡り、六甲全山縦走路を歩く。
| |
|
| 宝塚駅を後にする。
| |
|
5月8日(日)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
金剛山(ツツジオ谷) |
|
|
| 2016年3月29日(火)は、金剛山にツツジオ谷(筒城谷とも呼ぶ)からY氏と二人で登った。
ツツジオ谷は登山地図に記載が無く、タカハタ道の途中、腰折滝の上の分岐で橋を渡る。 橋を渡らずに直進すればタカハタ道。
タカハタ道は遠い昔、下山に歩いたことがあるが、今となれば、記憶がおぼつかない。
今回歩いたツツジオ谷(旧道)は、頂上付近まで谷に沿って歩き、源流部では、谷の中を歩くイメージで、沢の遡上という感じ。
源流部には杉の巨樹があって、ここまで辿るのが旧道と呼ばれているようだ。 途中、右岸に踏み跡があったが、最近はこの急坂をよじ登って頂上に向かうようだ。
新道分岐の前に、トラロープが何箇所にも設置され、危険度はカトラ谷より高い。 カトラ谷同様、下山に歩くのは避けたい。
ここはまた、氷瀑も楽しめると聞いた。 中ほどに10~20mの滝が二本かかり、これらの滝で氷瀑が観られるのだろう。 但し、簡易アイゼンや軽アイゼンでは無理。 8本か10本爪の本格アイゼンが必要。
それにしても、金剛山にこんなルートがあったとは知らなかった。 季節を変えて、また是非、歩いてみたい。
尚、下山は久留野峠を経由した。
この日は、Y氏に教えてもらったお得な「金剛山ハイキングきっぷ」を利用した。 南海電車とバスがセットになっており、通常価格より、20%程度OFFとなる。
なんば発着の料金。 通常 2090円 ハイキングきっぷ 1690円。 400円のお得。
金剛山ハイキングきっぷ|南海電鉄
当日は平日だったので、バスの本数が少なく、行き帰りとも待ち時間が長かった。 今後は注意したい。
コース概略 南海高野線・河内長野駅_<バス>_金剛登山口バス停_まつまさ前_黒栂谷道分岐_腰折滝_タカハタ道分岐_堰堤(四基)_一ノ滝_二ノ滝_墓地_六地蔵_国見城跡・昼食_転法輪寺_一ノ鳥居_展望台前_ちはや園地・ログハウス_伏見峠_地蔵祠_久留野峠_ロープウェイ前_百ヶ辻_ロープウェイ前バス停_<バス>_河内長野駅
画像は当日歩いたGPSログを表示している。金剛登山口バス停からロープウェイ前バス停まで。
| |
|
3月30日(水)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
貴船アソガ谷~旧花背峠 |
|
|
| 2016年3月16日(水)は、叡山電鉄のえいでんハイクNo.338「貴船アソガ谷から早春の天狗杉」にY氏と二人で参加した。
この日は予想外の積雪で、この為、主催者が予定を変更し、この日の最高地点を旧花背峠750mまでとし、予定されていた天狗杉837.2mへの登頂を断念した。 旧花背峠での天狗杉への取り付きの積雪状況からみて賢明な判断だと思う。 平日だったが参加者は136人と、えいでんハイクではやや多かった。
コース概略 スタート・叡山電鉄貴船口駅_<貴船街道>_貴船神社前_貴船神社奥宮_滝谷峠分岐_アソガ谷入口・芹生峠分岐_鉄の橋_旧花背峠・昼食_峠下_古道橋_扶桑橋・百井谷分岐_くらま温泉・ゴール_叡山電鉄鞍馬駅
画像は当日歩いたGPSログを表示している。叡山電鉄貴船口駅から鞍馬駅まで。
| |
|
| 旧花背峠。祠に峠の地蔵が祀られていた。 画像の右は花背別所町方面。左は京北芹生町方面。
| |
|
| 天狗杉への取り付き。 積雪で階段が埋もれている。
| |
|
| 天狗杉への取り付きにあった道標。
| |
|
| 帰路、出町柳駅近くの「ふたば」で豆餅を購入。 平日だが、店の前に三重の列。20分ほど待った。 味は今までに食べたことがない豆大福。微妙な味でクセになりそう。 一つ税込175円。賞味期限は本日中。
出町ふたば 豆餅 | 京都ゆるりさんぽ
| |
|
3月17日(木)07:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|