山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

No.18野殿旧道

岩が並んでいた。
磨崖仏が彫られていないか確認したがなかった。



杭を拾いながら進む。


画像のような登山道を塞ぐ倒木は排除されるのが普通。
ところが、人がまったく歩いていないので、そのまま放置されている。



杭を見つけると安心。


大きく下る。

つづく。



2月19日(土)07:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.17野殿旧道

相変わらず落ち葉が積もった踏み跡を辿る。
林道の取り付きからは植林がまったくなく自然林の森が続く。



九十九折りに下って行く。


杭の横にアンカが捨てられていた。
子供の頃、このような豆炭アンカを使っていた。



倒木が見られる。
引っ掛けたり、つまずいたりしないように歩く。



杭を見つけると安心。
次の杭を探す。

つづく。



2月18日(金)05:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.16野殿旧道

登山道は左下に続くが、四角い石造物が幾つか見えた。


これらの四角い石は自然のものではなく人造物だろう。
文字など何か刻まれていないかチェックしたがわからなかった。
土木用?



踏み跡を辿る。


地面に杭が打たれている。
左下のタンクはゴミを捨てたようだ。



急降下が続く。

つづく。



2月18日(金)05:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.15野殿旧道

これまではまったく見かけなかったが、この付近には青色の瓶が多く捨てられていた。


急降下。
落ち葉が積もっていて足を取られる。
転倒に注意しながら下る。



登山道を示すテープなどが一切ない。
その為、新鮮な山歩きと云えるが不安もある。



赤と黒色の杭が打たれていた。
この杭は、尾根筋、境界などによく見る。
この後、この杭を目で拾いながら歩くことになる。



左へカーブする穏やかな傾斜になっている。

つづく。



2月18日(金)05:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.14野殿旧道

案内板を振り返って撮影。
左のガードレールに赤ペンキでマーキングされていた。(赤丸)



赤色でマーキングされたところから下る。(野殿旧道の取り付き)


落葉が多く積もっていて、旧道の痕跡がまったく見えない。
知っていなければ、とてもここを下ることは出来ない。



急坂を降りて一段落すると、旧道が見えてくる。


現在、この旧道を歩く人はハイカーを含め皆無に近いのでは。
づるづると滑るので、たえず足にブレーキを掛けながら下る。

つづく。



2月17日(木)06:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.13野殿旧道

林道(東海自然歩道)を、時々走行するクルマに注意しながら下る。


東海自然歩道の道標が立っていた。(赤四角)


この辺り、黄葉がピークを迎えている。
しかし、光が不足しているのでイマイチ映えない。



進行方向左の電信柱に何か看板らしきが立っている。(赤丸)


「野殿あと2km」の案内板が立っていた。

つづく。



2月17日(木)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.12野殿旧道

左右に舗装された道が通っている。


その手前に説明板。

野殿旧道の磨崖仏 大字北大河原
この巨岩は高さ290センチメートル、幅620センチメートル、奥行き220センチメートルの花崗岩であり、六地蔵が岩に彫られている。
像高41センチメートルの錫杖・宝珠形地蔵六体を半肉彫りにしたもので各頭光を負っている。
その左右に五輪塔が浮彫りにしてあり、左の地輪に「源阿弥」右には「妙一」と刻まれている。
六地蔵にもそれぞれ法名が刻まれており、左から「妙心、妙一、妙道、源美、妙阿、源阿」とある。
この磨崖仏の造立は室町時代のものである。
六体地蔵の上部には長さ172センチメートル、幅10センチメートル、深さ6.5センチメートルの溝があり、元は石か木の塀があったと思われる。
南山城村教育委員会

先に観た、六地蔵磨崖仏の説明板が、こんなところに立っていた。
磨崖仏の横に立ててあれば、もっと注意深く見られたのに残念だ。
また、この場所から六地蔵磨崖仏までの距離が記されておらず中途半端な案内になっている。



10時ジャストに林道(東海自然歩道)に合流。
画像は合流地点から歩いて来た旧道を振り返って撮影。



林道から下山方向を撮影。
すぐ右に電信柱が建っている。(赤四角)



電信柱には「ノドノ(野殿)24」「オシハラ(押原)131」などと記されていた。

つづく。



2月17日(木)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.11野殿旧道

9時54分、橋が現れこれを渡って左岸へ。


足元はぬかるんでいるが、幅広の歩きやすい道。


六地蔵磨崖仏を訪れる人達が歩いた踏み跡だろう。
林道の駐車地点からピストンしているとみられる。



昭和56年に治山施設の工事が行われたネームプレート。


引き続き落葉が積もった幅広の道を歩く。

つづく。



2月16日(水)06:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.10野殿旧道

六地蔵磨崖仏を後にして、引き続き谷に沿って下る。


磨崖仏を訪れるには、この下の林道(東海自然歩道)からピストンするのが一般的のようだ。
磨崖仏を過ぎてからは踏み跡が比較的しっかりしている。
我々のように弁天池の近くから通して下る人は少ないみたい。



下山口から三基目となる堰堤を下る。


谷には砂が多く流れ込んでいる。
堰堤は砂防ダムの役割を果たしている。



四基目となる堰堤を越える。

つづく。



2月16日(水)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.9野殿旧道

岩に生えた苔の隙間に文字のようなものが彫られている。
その部分を右にズーム撮影して貼り付けた。
文字が彫られた部分は、それが分かるように、誰かが苔を落としたようだ。



そのすぐ左に、六地蔵磨崖仏。
赤四角で囲んだ部分に六体彫られている。
左端、赤丸で囲んだ部分にも何か彫られている様子。



赤丸で囲んだ部分は五輪塔のようだ。
その右上、赤四角で囲んだのは火袋だろう。
尚、五輪塔は六地蔵の右端にも刻まれていた。
(六地蔵の両サイドに五輪塔が浮彫りされていた)



ブラシで苔を落しクリーンアップ。


クリーンアップ後の六地蔵磨崖仏。
影が写っており、影の部分は黒っぽく見える。
この磨崖仏は室町時代に造立された。

つづく。



2月16日(水)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.8野殿旧道

踏み跡は沢に近づくようになる。


9時35分堰堤が現れこれを下る。


下山口から二基目となる堰堤。


この辺りも薄っすらと人が歩いた形跡がある。


やがて登山道の右側に岩が見え出してくる。

つづく。



2月15日(火)06:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.7野殿旧道

顔を突いたり、衣服を引っ掛けないように注意しながら下る。


この辺り、比較的歩きやすい緩やかな斜面。


沢に降りて歩くのは危険。


斜面補強の工事が施されていた。


踏み跡を辿る。

つづく。



2月15日(火)06:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.6野殿旧道

登山道が崩れており慎重に歩く。


沢を歩けないか眺めるが難しい。


倒木を跨いでクリア。


斜面から沢を眺める。


沢から離れないように歩くが、急斜面になっており足場が悪い。

つづく。



2月15日(火)06:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.5野殿旧道

谷筋に向かって下る。


岩が重ね合った光景が見られる。
自然に積み重なって出来たものだろう。



踏み跡を辿る。


左下の沢へ降りるか、斜面に沿って下るか、状況を見て進む。


沢は荒れており、沢に降りて歩くのは無理。

つづく。



2月14日(月)06:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.4野殿旧道

比較的見通しの良い植林帯の中を下る。


登山道脇に最初の岩を見る。


9時17分、その後、幾つも岩が見られるようになる。
岩に磨崖仏が刻まれていないか探索。



正面に沢が現れ、沢の上流にも岩が点在していたので、右折して沢の上流方面を探索してみた。


小さな滝があったが、磨崖仏は確認出来ず。

つづく。



2月14日(月)06:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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