山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


ウォーキング・散策

長尾阿弥陀磨崖仏_首切地蔵_大門仏谷の磨崖仏

2018年5月6日(日)は、こばこの部に参加した。
タイトルは「石仏の里・当尾を訪ねて~石仏巡礼」。

<概略>
石仏の宝庫、旧加茂町(現:木津川市)の当尾(とうの/とおの)を訪問し石仏、石像、石造物を巡った。
時間の関係で当初予定されていた、(途中となる穴ヤクシ)、千日墓地、宝珠寺、金蔵院の訪問はカット。

<コース>
9:12JR関西本線加茂駅9:45_東瓦(天保十五年創業)前_常念寺_常念寺バス停前_春日若宮神社参道・鳥居_南加茂台_赤田川沿いに歩く_赤田川沿いから離れ簡易舗装された山道を歩く_府道752号線出合い_丁石_ツジンド(辻堂)の焼け仏(阿弥陀三尊石仏)_府道752号線合流・西小(にしお)バス停付近_たかの坊地蔵・宝篋印塔他石像群_西小区公民館前_丁石_西小墓地・五輪塔他石像群_浄瑠璃地奥之院不動明王像分岐_※1長尾阿弥陀如来坐像磨崖仏(徳治二年/1307)_浄瑠璃寺庭園_Cafe瑠璃前_岩船寺方面分岐(府道752号線)を右に見送り左折_12:10※2首切地蔵(阿弥陀石仏/弘長二年/1262)・昼食13:02_大門石像群_分岐を大門阿弥陀磨崖仏0.3km方向へ右折_※3大門仏谷(ほとけだに)の如来形磨崖仏_道標(←JR加茂駅3.9km 大門仏谷磨崖仏展望所0.3km)_府道47号線合流_道標(→JR加茂駅1.0km)_14:52JR関西本線加茂駅

当尾を守る会事務局発行の資料より
※1長尾阿弥陀如来坐像磨崖仏・・・巨大な笠石を持つ阿弥陀如来坐像磨崖仏。前の道はダンプやバスがゆきかうが、これの刻まれた徳治二年(1307)から、ほんの最近まで、細い地道が続いてきた。像の頭上に斜めに割れ目が走っているが、後方の山から巨岩が続いているので今は安泰。
※2首切地蔵・・・藪の中地蔵と共に在銘石仏では最古の弘長二年の銘を持つ阿弥陀如来坐像。この地から北方、昔首切りの刑が行われたといわれる地にあったが、一時姿を消し都会へ出ていたのを、村人の努力で釈迦寺跡の現地へもどされたもの。
※3大門仏谷の如来形磨崖仏・・・当尾の石仏中、最大最古の像である。阿弥陀如来とされているが弥勒如来等の説もあり、確定しきれていない。また年代も平安期説と奈良時代説があり、今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまである。

<その他>
・参加者総勢25名。
・実歩行距離約21km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万9千歩。

画像はこの日、JR関西本線加茂駅から時計回りと逆方向に周回したルートのGPSログを表示。



たかの坊地蔵のライトアップ、Before and after.
発見!光背には二段に重なった蓮弁が刻まれていた。



西小墓地付近の箱型地蔵菩薩立像のBefore and after.
発見!細目で何かの動物の目に似ている。猫or人間?
Beforeでは、顔が細長く見えてしまう。



首切地蔵のBefore and after.
発見!お顔の表情が豊かで、名前とは裏腹に親しみが?持てる。



この日、一番の盛り上がりを見せた大門仏谷の如来形大磨崖仏。
“如来形”と云うからには、諸説あるみたい。
足場が悪く、仏様の下へ辿り着くのに一苦労。
遠目で眺めた大きさと違って、間近に見る圧倒的スケールに驚き。
筋肉モリモリで相撲取りのような体つき。
一番存在感があった。



5月8日(火)18:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大和川流域の道5(安堂_久宝寺)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月27日(土)は恒例の土曜会に参加した。
大和川の流域を歩くシリーズの5回目で、近鉄大阪線安堂駅から、旧大和川(現:長瀬川)に沿って久宝寺口駅まで、およそ13kmを歩いた。

<ポイント>
・大和川は約三百年前(1704年)に付け替えられた。
・長瀬川(旧大和川)の始点は、安堂駅の近く柏原市上市で大和川から分かれ柏原市内を北流。
・八尾市二俣で玉串川が右方向に分かれ、やや北西に方向を変えて流れる。
・埋め立てられた旧河道には新田が開発され、開発した商人の名前に由来する名称が残る。
・新田は元々が川底であることから砂地であり稲作には不向き。このため砂地での栽培に適した桃の栽培、木綿の栽培や綿業が盛んになり、河内木綿と呼ばれるまでになった。
・天井川であったために周囲の土地よりも高く水はけが良い点を活かし、旧河道には鉄道が敷設された(大和路線八尾駅~柏原駅、近鉄大阪線長瀬駅~久宝寺口駅)。

<コース概略>
9:30近鉄大阪線安堂駅_大和川付替(1704年)記念碑公園(大和川・長瀬川(旧大和川)分流点付近)・大和川付替三百年記念碑_三番樋_柏原舟ふなだまり跡地(碑)_二俣_弓削(ゆげ)神社_志紀駅前_青少年運動広場_まいど(中華料理)・昼食_竜華寺跡石碑_安中新田会所跡・旧植田家住宅_渋川神社_喫茶ラゼーヌ_14:55近鉄久宝寺口駅

<その他>
・参加者総勢9名。
・実歩行距離約16km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km含む)
・歩数2万3千歩。

画像はこの日歩いた近鉄大阪線安堂駅から久宝寺口駅までのGPSログを表示している。



長瀬川築留樋門(つきどめひもん)付近。
正面が長瀬川。左が大和川の堤防。
柏原市安堂にて。



柏原舟のふなだまり跡地。

画像の左は跡地に立つ石碑。現在、付近は児童公園となっている。
柏原船の最後



長瀬川(左)と玉串川(右)の分岐点。
八尾市二俣にて。

画像の右下は「長瀬川の歴史」
長瀬川は柏原市、八尾市、東大阪市の3市を流れる歴史的に由緒ある農業用の水路です。今からおよそ300年前、大和川の付け替えの時に生まれました。もともと大和川は、今の長瀬川のあたりを流れていましたが、度重なる洪水を防ぐため、宝永元年(1704年)に付け替え工事が行われました。そのため、現在の築留(柏原市上市)付近から西へ流れ堺市で大阪湾にそそぐようになりました。付け替えによって生まれた土地に新しい農地がつくられ、農地に水を送るために長瀬川と玉串川の2つの川がつくられました。そのあと、長瀬川は農業用水や剣先船で物資を運ぶ水路として使用し、川の近くに住む人々には身近な水辺としても親しまれてきました。現在は、ボランティアによる清掃活動や水生植物の植栽活動など、新たな役割をみせています。
長瀬川 (大阪府) - Wikipedia



大和川付替えと新田開発。
ここでは長瀬川は久宝寺川として表記されている。

※中世以降、長瀬川は大阪と奈良を最短距離で結ぶ水路として利用され、流域には八尾・久宝寺といった集落が発達。
この為、中世には一部の地域で“久宝寺川”とも呼ばれていた。
安中新田会所跡・旧植田家住宅にて。



5月2日(水)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

瀬田川 琵琶湖(南湖)の湖岸を歩く

2018年4月28日(土)はN氏主宰による土曜会に参加した。
タイトルは「瀬田川、琵琶湖(南湖)の湖岸を歩く」。

<概要>
石山駅から瀬田唐橋を渡り、近江一ノ宮 建部大社(たけべたいしゃ)に立ち寄る。
以後は、さざなみ街道と呼ばれる琵琶湖(南湖)の東岸を歩いて北上。
正午近くになったので、湖岸で昼食。

食後もさざなみ街道を歩き、帰帆南橋(きはんみなみはし)を渡って、矢橋帰帆島(やばせきはんとう)公園へ。
ここからUターンして、近江大橋を渡り湖西へ。
膳所城跡公園で休憩後、旧東海道を歩いて膳所駅へゴールした。
反省会は京都駅構内、塩小路カフェ。

<コース>
JR東海道本線石山駅10:20_京阪石山坂本線の踏切を横断_京阪石山坂本線唐橋前駅前の踏切を横断_瀬田川に架かる瀬田唐橋を渡る_近江一ノ宮 建部大社(たけべたいしゃ)_琵琶湖東岸(さざなみ街道)_東海道本線の高架下を潜る_河川管理境界(←瀬田川(淀川) 国土交通省 | 琵琶湖 滋賀県)_滋賀県立琵琶湖漕艇場前_ロイヤルオークホテル前_湖岸の東屋で昼食_帰帆南橋(きはんみなみはし)を渡って、矢橋帰帆島(やばせきはんとう)公園へ向かいUターンして帰帆南橋南詰へ戻る_琵琶湖に架かる近江大橋を渡る_近江王橋の地下道を潜る_膳所城跡公園_<旧東海道>_響忍寺前_石坐(いわい)神社前_義仲寺(ぎちゅうじ)_平野小学校前_京阪石山坂本線膳所駅前の踏切を横断_14:55JR東海道本線JR膳所駅 ★反省会 塩小路カフェ(京都駅構内)

<その他>
・参加者総勢10名。
・実歩行距離約17.7km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万5千歩。

画像はこの日歩いたJR東海道本線石山駅から膳所駅までのGPSログを表示。



近江國一ノ宮 建部大社(たけべたいしゃ)をアニメ風に説明したもの。
非常にわかりやすい。
建部大社境内にて。



琵琶湖東岸(さざなみ街道)を歩き、帰帆南橋(きはんみなみはし)を渡って、矢橋帰帆島(やばせきはんとう)公園へ向かう。

画像のグリーンベルトが矢橋帰帆島公園。

中央に見える二つのコブは比叡山。
比叡山は双耳峰で、左のピークが四明岳(しめいだけ)、右が大比叡(だいひえい)。



釣り船。
膳所港にて。



ばったり床几(しょうぎ)。埃を被っており、今では使われていないようだ。
その前に犬矢来(いぬやらい)が置かれている。
町家のパーツを知る
旧東海道にて。



5月1日(火)19:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大龍禅寺_旧河澄家_須波麻神社_野崎観音

2018年4月26日(木)はササユリの会に参加した。
タイトルは「生駒山麓の道~旧河澄家から野崎観音まで~」。

<概要>
近鉄奈良線石切駅より生駒山麓に沿って北上。
まずは大龍禅寺へ。このお寺にお参りするのは初めて。
ここから北東に位置する大龍禅寺不動院は訪れたことがある。
その時は、生駒山の山頂を巻く道から、日下直越(くさかじきごえ)道を下って大龍禅寺不動院に出た。

旧河澄家(かわずみけ)は、江戸時代に庄屋を務めた旧家で、屋敷内部を見学。
推定樹齢約五百年のカヤの巨樹が素晴らしい。
入館無料。東大阪市指定文化財。

続いて善根寺春日神社。
春日神社と名のつく神社が近くに複数ある。
この神社は以前からネット情報を見て知っていたが、訪問するのは初めて。

ここから阪奈道路を潜り抜けて、須波麻(すはま)神社へ行くのが少々難儀した。
須波麻神社は、以前、Y氏と古堤街道(ふるつつみかいどう)を一緒に歩いた時、訪れたことがある。
その時、この神社で昼食だったが、今回も同じ。
古堤街道

大東市立歴史民俗資料館は、地図では「歴史とスポーツふれあいセンター」と記されている。
この施設の2Fと3Fが資料館。尚、現地の看板は「来ぶらり四条」となっている。
表示を統一して欲しいものだ。
資料館では「野崎観音の信仰」が展示されていた。
すぐ隣に宮谷1号墳横穴式石室が野外展示されていたので立ち寄った。

最後は慈眼寺(通称:野崎観音)。
ここは何回か訪れている。
いずれも河内飯森山(いいもりやま)への登山に立ち寄ったもの。

ゴールはJR学研都市線野崎駅。
但し、私の他、5人はその手前、野崎観音前バス停より近鉄バスに乗った。

<コース概略>
9:45近鉄奈良線石切駅北(西)入口10:05_大龍禅寺_東大阪市指定文化財 旧河澄家(かわずみけ)_善根寺春日神社_12:15須波麻(すはま)神社・昼食13:00_大東市立歴史民俗資料館(歴史とスポーツふれあいセンター内)_宮谷1号墳横穴式石室_慈眼寺(野崎観音)_野崎観音前バス停15:08_<近鉄バス>_15:32近鉄けいはんな線新石切駅15:37

<その他>
・参加者総勢13人。
・実歩行距離約12km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数1万7千歩。

画像はこの日歩いた近鉄奈良線石切駅から野崎観音前バス停までのGPSログを表示。



「日下(くさか)のかや」。
かやの巨樹の右に庭石が見えるが、枯池式枯山水(かれいけしきかれさんすい)庭園が右に続く。
旧河澄家、棲鶴楼(せいかくろう)から撮影。



直越(じきごえ)稲荷大明神。
善根寺春日神社にて。

神武東征と日下直越道
奈良まほろばソムリエの会の記録で、F氏も参加されていた。



大坂城築城残石。
東大阪市善根寺町6丁目。



須波麻(すはま)神社、社殿石段下に立つ、おかげ燈籠。
案内板によると、すぐ近くの東高野街道から移設した。
北面「太神宮 東 なら 木津」。
東面「西 大坂 文政十三年 庚寅十二月吉日」。
北面「南 高野山 世話人若中×」。
南面「北 京 御影踊連中 建之」。
「おかげ燈籠」とは、江戸時代に流行した「伊勢お蔭参り」に、因んで立てられた燈籠。

伊勢音頭
奈良県田原本町矢部の綱掛けで、綱を担いで伊勢音頭で囃しながら村中を練り歩く様子。伊勢音頭は江戸時代に流行った伊勢お蔭参りの名残り。



4月29日(日)19:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鴻池新田会所跡_鶴見緑地

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月25日(木)は、ササユリの会に参加した。
タイトルは「まち歩き 鴻池新田会所跡から鶴見緑地へ ~冬の樹木をさがして~」。

<ポイント>
・大阪府下で一般公開されている三ヶ所の新田会所跡のうち、国史跡・重要文化財となっているのは鴻池新田会所跡のみ。
(残りの二ヶ所は、加賀屋新田会所跡安中新田会所跡平野屋新田会所跡は取り壊された。)
・鴻池新田駅近辺を流れる寝屋川は天井川となっており、そそり立った壁のようなコンクリートの堤防が両岸を守っている。
・花博記念公園鶴見緑地と云えば、イメージするのは“風車の丘”だが今も健在。

<コース概略>
10:04JR片町線(学研都市線)鴻池新田駅10:13_鴻池新田会所跡_寝屋川_鴻池水みらいセンター前_安田住吉神社_道標(右 佐太 京 / 左 守口 道 ×)(春(す)く大坂道)(大峯山上三十三度 先達 武右衛門)(すく大坂×)_古宮神社_12:37鶴見緑地_風車の丘・昼食13:10_鶴見新山_バラ園_鶴見緑地内散策_14:30地下鉄鶴見緑地駅

<その他>
・参加者11名。
・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km含む)
・歩数2万2千歩。

画像はこの日歩いたJR片町線(学研都市線)鴻池新田駅から、地下鉄長堀鶴見緑地線・鶴見緑地駅までのGPSログを表示。



井路川舟(いじがわぶね)と呼ばれる新田内に造られた井路を通り、新田内で採れた米や綿などの作物や荷物を運んでいた川舟が残っている。
江戸時代の大和川では、河内と大坂との間の荷物の運送に「剣先船」(けんさきぶね)が使われており、井路川舟はこの剣先舟の構造を受け継いだ小型船になっている。
これらの舟は、戦後も使われていた。(鴻池新田会所跡の説明板より)



鴻池新田会所跡は、広大な敷地を誇り、見所が多い。
画像左の小学生は社会学習に来ていた。右の巨樹はクスノキ。

google map



鴻池新田駅近辺を流れる寝屋川は天井川となっており、そそり立った壁のようなコンクリートの堤防が両岸を守っている。
下の画像は寝屋川に架かる鴻池橋から“天井川”寝屋川を撮影したもの。



道標。
「右 佐太 京 / 左 守口 道 ×」
「春(す)く大坂道」
「大峯山上三十三度 先達 武右衛門」
「すく大坂×」
道標が設置された辻は小阪街道に面している。



4月27日(金)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

20日ならウォーク(佐保川の桜並木)

2018年4月20日(金)は、奈良市主催のウォーキングイベント「20日ならウォーク」に単独で参加した。

<概略>
佐保川沿いの桜並木を歩くコースだが、勿論、桜(ソメイヨシノが中心)は終わっている。
このイベントは毎月20日開催。春の開催は3月20日か4月20日なので、ソメイヨシノの見頃とは多少ズレることになる。

イベントタイトルに“名刹を巡りて”とあるが、大安寺近辺の佐保川沿いにソメイヨシノ他が植えられたのはそれほど古くない。
30年くらい前のことで、私が十代の頃にはなかった。
但し、法蓮桜町近辺の佐保川沿いのサクラは古く、江戸時代の奈良奉行が植えたと伝えられている。しかしこの区間は距離が短い。
その他、八重桜も少しだが植栽されており、これは少し花が残っていた。

ニュース 奈良の声 「1000本超 佐保川の桜並木 歩いて数えた」

法蓮桜町街区公園近辺のGoogle map

歩行距離が7kmと短いので、自宅から集合場所の近鉄西ノ京駅まで(約3.6km)と、解散場所の芝辻町四丁目緑地から自宅まで(約5.0km)の区間を歩いた。
この日は全国的に暑い日となり、大分県で30℃の真夏日を記録した。

<コース>
自宅8:00_奈良パークホテル前_蓬莱神社前_佛願寺山門前・阿弥陀石仏_R308を横断・フラワーショップクボ前_山中商店前_中城酒店前_きりん一番館前_薬師寺龍蔵院前_近鉄橿原線の踏切を横断_近鉄西ノ京駅前_8:48薬師寺北駐車場(集合場所)9:03_秋篠川に架かる橋を渡る_県道9号線を横断_田舎料理草ノ戸前_奈良朱雀高校前_柏木公園・休憩_佐保川に架かる歩道橋を渡る_R24高架下を潜る_JR関西本線のけた下を潜る_史蹟 大安寺塔阯_元石清水八幡宮 八幡神社前_大安寺_推古天皇社前_史跡 大安寺旧境内_大安寺小学前_JR関西本線の踏切を横断_菩提川に架かる橋を渡る_佐保川出合 佐保川沿いに北上_県道1号線を横断_R369(大宮通り)を横断_近鉄奈良線の地下道を歩く_芝辻町四丁目緑地(解散)_出屋敷地蔵尊_彩華ラーメン・昼食_石造り地蔵菩薩立像_自宅

<その他>
・参加者約280人。
・コース歩行距離約7km。
・実歩行距離約19km。(自宅~近鉄西ノ京駅約3.6km 芝辻町四丁目緑地~自宅約5.0km等を含む)
・歩数2万7千歩。

画像は自宅を起点にこの日歩いたルートのGPSログを表示している。



阿弥陀石仏。鎌倉時代後期 花崗岩。
残念ながら鼻が欠けている。
また、来迎印を結ぶ手の指先も。
奈良市宝来4丁目 仏願寺(ぶつがんじ)山門前にて。



民家の垣根に咲くモッコウバラ。
奈良市平松町にて。

モッコウバラは昨年、挿し木したら、2本根付いた。
内、一本は早々と花を咲かせている。



楓の古木。
大安寺境内にて。



佐保川沿いに植えられたソメイヨシノ。
奈良市恋の窪3丁目にて。



4月22日(日)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

なら20日ウォーク(大佛鐵道遺構めぐり)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月20日(土)は、奈良市主催のウォーキングイベント「なら20日ウォーク」(大佛鐵道遺構めぐり)に単独で参加した。

<概略>
・大佛鐵道の遺構は、過去にクルマや徒歩で何回か訪れているが、ウォーキング協会等(今回は奈良市主催)のウォーキングイベントとして参加するのは初めて。
・私が知らなかった遺構もいくつかあったので参加して良かった。
・イベントのスタート地点は「ならでんフィールド(奈良市鴻ノ池陸上競技場)」だが、近鉄奈良駅からバス又は徒歩になる。(タクシーも)
・もとよりバスには乗る気はないので歩くことになるが、どうせ歩くなら、一層のこと自宅から歩いてみようと決めた。
・駅まで歩く時間、電車を待つ時間、電車に乗っている時間を合計(この時の場合32分)すると、実際には3.2kmを歩くことが出来た。
・「なら20日ウォーク」は午前中で切り上げとなっており、午後からのウォークはない。

<コース>
自宅7:28_平城宮跡_9:00ならでんフィールド(奈良市鴻ノ池陸上競技場)9:23_黒髪山トンネル跡_鹿川(しかがわ)隧道に通じる道路を工事中に付き進入出来ず_松谷川隧道_井関川橋梁跡_城山台公園(大佛鐵道公園)_赤橋_梶ヶ谷隧道_美加ノ原カンツリークラブ前_鹿背山橋台(かせやまきょうだい)_観音寺小橋台_観音寺橋台_石仏群_祠・常夜灯_実験動物之諸霊×_C57SL展示_12:00JR関西本線加茂駅
昼食:RAJA(加茂駅前 インド・ネパールレストラン)

<その他>
・コース距離約9.5km。
・参加者約200人。
・実歩行距離約22km。(自宅からイベントのスタート地点「ならでんフィールド」までの距離ほかコース以外を含む個人的な記録)
・歩数3万1千歩。

画像はこの日歩いた自宅近くの蛙股池付近から、昼食場所の加茂駅前レストラン「RAJA」までのGPSログを表示。



黒髪山(くろかみやま)トンネル跡。
昭和41年頃まで残っていた大佛鐵道唯一のトンネル。
道路拡張により取り壊された。
現在の車道にかつてトンネルがあってレール(単線)が敷かれていた。



松谷川隧道。
レンガ造りの隧道。この上を大佛鐵道が走っていた。
隧道の中は松谷川が流れる。(右下)



梶ヶ谷隧道。
アーチの部分はレンガ造り。
下部は石積み。人が通り抜けられる。
この上を大佛鐵道が走っていた。



鹿背山橋台(かせやまきょうだい)。
石積みの橋台。
この上を大佛鐵道が走っていた。



4月20日(金)19:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続き)ご近所散策(王龍禅寺)

くねった旧道を道なりに歩くと真新しい祠が現れ、中に二体の石仏が安置されていた。
祠はごく最近、新調された。
石仏は二体とも弘法大師だろうか。

すぐに分岐となり、石の道標が立っている。
「← 上 王龍寺」。
分岐は三叉路でアルファベットのYのようになっており、どちらへ行っても左となるが、上の方の道を行くという意味。

学園前西特別養護老人ホームの前を通過。
特養を過ぎると付近の景色は一変する。

一面の芝生とメタセコイアの並木が現れる。
飛鳥CCの敷地の中を歩いているようだが、実際は勿論、ゴルフ場が後に建設された。

ゴルフ場と道路の間に潅木が残されているが、シイや山柿があったりする。



暫くゴルフ場を左右に見ながら進むと、「石佛観音岩屋大黒天 王龍寺」と刻まれた石柱が立っている。

画像は山門前に置かれていた石造物。
動物のような形をしている。
猿のようにも見えるが、正体は不明。



奈良市指定文化財 「王龍寺境内のコジイ林」を歩く。
ここには貴重な自然林が残されており、散策にはとてもよいところ。

石段を登って本堂の手前に「宇宙菴吉村長慶寿像碑」と刻まれた石柱が立っている。
“吉村長慶”は地元奈良では比較的知られている人物。

おびただしい石造物を各地に寄進!奈良出身の実業家・吉村長慶の知られざる業績



お寺の社務所に行って、拝観を希望することを伝えると、息子さんらしき僧侶が現れ、案内して頂いた。
普段、ご本尊を祀っている本堂には鍵が掛かっており、中に入ることは出来ない。



磨崖仏にはローソクの明かりがよく似合う。

説明板によると、
奈良市指定文化財 王龍寺磨崖仏
堂内にある大きな花崗岩の正面に建武三年(一三三六)の刻銘を有する十一面観音立像 その脇に文明元年(一四六九)の刻銘を有する不動明王立像が彫られている。これらの像はこの地区に残る数少ない磨崖仏の一つでなかでも十一面観音立像は南北朝時代の様式をよく伝える貴重なものである。
昭和六十二年一月 奈良市教育委員会

20分程度、本堂の中に居た。
最初、お寺の人と私は本堂の中に一緒に居たが、その後、知り合いの方が来られたようで、本堂の外で待っておられた。

最後にお礼を言って別れたが、「また、いつでもお越し下さい」と言われたのが嬉しかった。
おしまい。



4月18日(水)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ご近所散策(王龍禅寺)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月16日(火)は、前日の西千代ヶ丘、大和国鹿島香取本宮に続いてご近所を散策した。
もっとも片道7km以上あったので、とてもご近所とはいえない。

この日の目当ては、奈良市の王龍禅寺(おうりゅうぜんじ)へ行き、以前から観たかったご本尊の磨崖仏を拝顔すること。
このお寺は過去に何回か訪れている。
その時は磨崖仏を観ていない。
では以前は何を目的に訪れたのかといえば、お庭が素晴らしい。境内自由。
お寺に問い合わせてみると、磨崖仏を観るのに、特に予約は必要ないそうで、社務所(自宅?)で拝観したい旨を申し出て下さいとのこと。

画像はこの日歩いた自宅近くの蛙股池から王龍禅寺までの区間を明治41年側図の古地図で表示している。

コース(ピストン)
蛙股池(*1生駒郡伏見村疋田)_(*2新田)_(*3富雄村谷奥)_(*4北生駒村春日)_王龍禅寺(*5北生駒村)。

現在の住所表示
*1 奈良市あやめ池南
*2 奈良市学園新田町
*3 奈良市二名1丁目
*4 奈良市二名3丁目
*5 奈良市二名6丁目

画像の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成。
1/20000 「西大寺」明治41年側図・明治45.3.30発行

歩行距離約15km。
歩数2万1千歩



近鉄奈良線の跨線橋を跨いですぐ、東側に立てられている石柱。
撮影した画像ではわかりにくいが、「南無阿弥陀仏」と刻まれている。
大正時代の刻銘あり。



学園前駅に到着。ここまでゆっくり歩いて27分。
学園北一丁目に地蔵山と呼ばれる丘があって、お地蔵さん他の石仏が祀られている。
今回は立ち寄らず。
この地図では緑色で表示されている。

争乱伝える地蔵道 /奈良
住宅地に響く法螺貝 /奈良

一方、古地図に表示されている新田(現:学園新田町)は、地蔵山から北西の方向に位置する。

奈良女子大学付属幼稚園の建物を右に見て西へ進むが、その先で道に迷ってしまう。
行止りと勘違いした。
ひと一人がようやく通れる路地のような、人家の軒下に続く小道があったのだが、気づかずに引き返してしまった。
少し戻って付属幼稚園の建物を右に見て北へ歩き、遠回りして本来歩く予定だった旧道に出合う。



時間はたっぷりある。ここは急ぐことはない。
迷ったところへ逆方向から歩き、どこで間違ったか確認することにした。

画像がひと一人がようやく通れる路地のような、人家の軒下に続く小道。
丁度、向こうから人が歩いて来られたので、撮影した場所で待った。

新田公民館の前を通って、旧道に復帰。
このあたりは畑や田んぼが残っているが、住宅地として部分的に開発も行われている。
分譲中の看板には、「大阪難波」駅へ25分。「本町」駅へ28分。「梅田」駅へ33分。
そして「学園前」駅 徒歩15分と案内されている。

「みねのてら阿弥陀寺」分岐を右に見送って直進。
分岐までは上り坂で分岐を過ぎると下り坂となる。
尚、このお寺は古地図にも記載されていた。



人家の横に「二名小学校跡」の石柱が立つ。
古地図にもそれらしき学校の表示があるが、集落の表示は「谷奥」と記されている。
現在「谷奥」の住所表記はない。

道なりに歩くと三叉路の角に法融寺の寺標と「日限地蔵尊」と彫られた石柱が立っている。
富雄川に架かる月見橋を渡って、上流方向へ少し歩くと、「左 海瀧山 王龍寺」ほかの石柱が立っている。
ここを左折し西へ向かう。



4月18日(水)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ご近所散策(西千代ヶ丘_大和国鹿島香取本宮)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月15日(月)は、午後からご近所を散策した。
以前から気になっていた奈良市西千代ヶ丘付近を歩いてみることにした。

千代ヶ丘及び西千代ヶ丘地区は、鉄道路線では近鉄奈良線学園前駅と富雄駅の間の南側に位置している。
クルマでは阪奈道路の学園前インターから阪奈三碓(みつがらす)インターまでの区間の南側に位置。
東に秋篠川、西に富雄川が南北に流れる西ノ京丘陵の南西部。
学園前駅などと同じく、かつては山林だったが開発によって住宅地を形成。
同じ奈良市とはいえ、私には馴染みのない地区。

地図を見ると、このエリアの東側に、同じく藤ノ木台住宅地があって、その名前となった「藤之木」と呼ばれる昔からの集落があることを知り、近辺を歩いてみた。
住所表示では、奈良市中町となっている。奈良市に合併前では生駒郡富雄村なのだろう。
この狭いエリアに大和国鹿島香取本宮、聖徳寺、大倭(おおやまと)神宮、浄福寺等の社寺仏閣があるが、一度も訪問したことはない。

自宅を出て、奈良西警察署の一筋南側の通り、「だいわ通り」を歩く。
学園大和町三丁目のバス停を過ぎて、りそな銀行学園大和町支店前の交差点手前で車道を北へ横断。
細い道を歩いて左折(西)すると路地のようなところに「つよしのコロッケ本舗」がある。

このお店、それなりに有名らしい。
一度テイクアウトして食べた限りでは、特にもう一度食べたいという気にはなれず。
ここを訪れたのは、まだ店をやっているのかどうか知りたかったから。
結果、お店は営業中。

りそな銀行前の交差点を南へ向かう。
奈良交通のバス停があり、意外にも「自由乗降」と表示されていた。
このあたりは住宅地で、東西南北に通り抜けられる大通りがなく、クルマの通行量が少ないとみられる。
なので「自由乗降」が可能なのだろう。
通常は山間部でよく見かける。

更に南へ歩くと、阪奈道路を跨ぐ陸橋が現れる。
画像は跨道橋から東方向の眺め。
霞んでいなければ、高円山(たかまどやま)が見える位置だが、撮影した画像ではわからない。
※この日の歩行距離約10km。歩数1万4千歩



千代ヶ丘一丁目のバス停が現れる。
バスの路線図を眺めていると、偶然にもバスがやって来て停車した。
運転手が「バスに乗りますか」と、尋ねられたので、慌てて手を横に振って否定の合図をした。

西千代ヶ丘一丁目第1号街区公園前を通過。
歩き疲れているわけでもないので休憩せずに道なりに南へ歩く。

台地状の“丘”が下降線を辿るところに「大和国 鹿島 香取 本宮」のたて看板を発見。
「鹿島」は鹿島灘や鹿島宮の鹿島だろう。
「香取」にしても、下総国香取神宮を指すのだろうから、いずれも東国の神。

坂道を下ると鳥居が現れ、ここまで歩いて来た住宅地の景色と一変する。



境内は手入れが行き届いており静寂という言葉がぴったり。
一葉の貼紙があったので読んでみると豊臣秀長の時代に東国から勧請。
その後、開発の為、西千代ヶ丘よりこの地に移転し、平成28年に鎮座50周年を迎えたとあった。

駐車場の方の入口から境内に入ったので、帰りは参道を逆に歩いてみると、鳥居の横に立派な屋敷が建っている。
おそらく宮司のお住まいだろう。



鹿島香取本宮に隣接する「登彌山 聖徳寺」。
融通念仏宗のお寺。
登彌山の“登彌”は富雄川や登美ヶ丘の“とみ”と同じ読み。

山門を潜って境内に入ろうとしたが、丁度、お寺の方が何かの用事でこちらの方にやって来られた。
どうも境内には入りにくい雰囲気だったので、挨拶だけして立ち去った。



お寺の前の旧道を歩くと昔の看板を発見。
現在、奈良市役所は近鉄新大宮駅の西側にある。
この表示は移転前の住所。ちなみに移転前は猿沢池の南側。

このお仏壇屋さんは、今も同じ場所にあるようだ。
ストリートビュー
おしまい。



4月16日(月)18:17 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

(続き)春爛漫!風に揺られてひときわ輝く…

桃の花。
けいはんな記念公園にて。



コバノミツバツツジ。
野山に生えるツツジではこのツツジが一番早く咲く。
精華大通りにて。
伐採せずに残されたのだろう。



遠目でしか見えなかったがソメイヨシノだろう。
精華町柘榴権谷にて。

尚、精華町にある石榴(ざくろ)という地名(大字)だが、延暦年間、生駒市に鎮座していたご神体の大石が大洪水によって流され、巨木に引っ掛かってこの地に留まった。
このことから、「石が木に留まる」すなわち「石留」に木偏を添え柘榴という地名に定まった。
この石は現在、雨乞い石として小字向井にある日出神社に祀られている。

柘榴 (精華町) - Wikipedia



リキュウバイ。
木津川市兜台6丁目にて。



ドウダンツツジ。
木津川市兜台6丁目にて。
おしまい。



4月6日(金)18:05 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

春爛漫!風に揺られてひときわ輝く桜華

2018年4月5日(木)は近鉄のウォーキングイベントに単独で参加した。

前夜、ウォーキング・イベント情報 2018年関西版 を見てこのウォークに参加することに決めた。
ハイキングのタイトルは「駅長お薦めフリーハイキング(踏破賞対象)春爛漫!風に揺られてひときわ輝く桜華」。
一般向き 歩行距離約14km。

コース
京都線・新祝園駅_照光寺(しょうこうじ)_常念寺(じょうねんじ)_稲植神社(いなうえじんじゃ)_けいはんな記念公園・昼食_烏谷公園_京都線・山田川駅。

“桜華”とはハテ!?
桜花や、桜桃という言葉は聞いたことはあるが、桜花の“花”を“華”に言葉遊びしたのだろう。

例年だと、花見は4月の第一週がベストなので、絶好の花見日和だが、今年は既に葉桜となっている。
八重桜(牡丹桜)がかなり咲いていた。
個体にもよるが満開に近い木があったものの、まだ蕾もあった。
精華町の一角では、八重桜を街路樹として植栽されており、日の当たる場所は満開に近く、日陰は蕾という状況。

桜=ソメイヨシノの花見として、このコースの中では、けいはんな記念公園を除いて、サクラの木があるらしき社寺仏閣を、訪問したことがなかった。
具体的には照光寺、常念寺、稲植神社。
烏谷公園は、住宅地にある都市公園であることは予測の範疇に収まっていた。

実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
歩数2万6千歩

画像はこの日歩いた近鉄京都線・新祝園駅から山田川駅までのGPSログを表示。



満開の枝垂れ桜。
稲植神社(いなうえじんじゃ)境内にて。



ハナカイドウ。
精華町精華台3丁目にて。



モミジの新芽。
けいはんな記念公園にて。



ヤマブキ。
けいはんな記念公園にて。

一説には、しなやかな枝が風に揺れる様から、山振と呼ばれ、転訛してヤマブキとなった。



4月6日(金)18:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

天理教お節会_北山辺の道_白川溜池_業平道

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月5日(金)は、おおばこの会に参加した。
題して「天理教おせち会と上街道から業平道へ」。
毎年恒例となった天理教本部のお節会に参加した後、石上神宮にお参りした。
北山辺の道を北へ歩く。小雨がぱらつくので東屋のある白川溜池の東屋で昼食。

食後は平尾山稲荷神社、石上町と歩き、上街道(上ツ道)に出てこれを少し北へ歩き在原寺へ向う。
在原寺から業平道を西へ。
上総(かんざ)町、喜殿町、新庄町と集落の中を歩く。
佐保川に架かる橋を渡って、重要文化財 五輪塔覆堂(筒井順慶墓所)を見て近鉄平端駅へゴールした。
反省会は西大寺駅構内 「蔵元 豊祝」。参加者20名程度。

コース
9:20天理駅9:47_<天理本通>_天理教本部お節会会場_石上神宮_<北山辺の道>_布留川に架かる高橋を渡る・説明板(ハタの滝)_説明板(豊日神社御由緒)_説明板(豊田山城跡)_道標(←奈良 白川溜池2.2km)_説明板(狂心の渠 つながりしは石上山から飛鳥の宮へ)・展示(天理砂岩)_駒札(石上大塚古墳)_道標(←平尾山)・説明板(平尾山 旧地名:宮の屋敷 ▲石上銅銭出土地 明治16年と19年に出土 発見された2個の銅銭は宮内庁の所蔵となり現在 東京博物館に保管 ▲姫丸稲荷神社 石上廣高宮伝称地 第24代:仁賢天皇 父の市辺押磐皇子の「石上市辺ノ宮」があったところと考証)_石上北低区配水池前_名阪国道の高架下を潜る_白川溜池東屋・昼食_説明板(石上銅鐸)_平尾山稲荷神社・石柱(石上廣高宮伝称地)_石上市神社_<上ツ道>_道標(正一位平尾姫丸稲荷大明神 / 従是東五町 施主 櫟本村 世話人× / 安政七庚申年 正月吉日)_覆屋(石仏群)_天理市立石上児童館前_<在原神社・駒札(謡曲「井筒」と在原寺)・説明板(在原寺跡と在原神社)>_桜井線の踏切を横断_八阪神社_素盞鳴神社_清照寺前_道標(右 よしの かうや / 左 みわ はせ 道 / 施主 嘉兵衛 (梵字)紫覚智雲禅門 天保十四癸卯年 七月吉日 世話人 善治郎 請負 井戸野村 源之助)_西名阪道 郡山ICの高架下を潜る_説明板(榜示浚榊立神事/ぼうじざらえさかきたてしんじ)_佐保川に架かる橋を渡る_山本病院跡前_五輪塔覆堂(筒井順慶墓所)・説明板(五輪塔覆堂)_近鉄橿原線の踏切を横断_16:14近鉄橿原線平端駅 ★反省会:西大寺駅構内 「蔵元 豊祝」。

歩行距離約23km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km含む)
歩数3万2千歩

画像はこの日歩いた天理駅から平端駅までのGPSログを表示。



天理教本部お節会会場にて。


国宝 内山永久寺の鎮守、住吉社の拝殿。
内山永久寺は神仏分離令により明治九年に廃絶。
石上神宮にて。



石上大塚古墳。
六世紀前半。



下ツ道の道標。
「右 よしの かうや / 左 みわ はせ 道 / 施主 嘉兵衛 (梵字)紫覚智雲禅門 天保十四癸卯年 七月吉日 世話人 善治郎 請負 井戸野村 源之助」。
場所を移動した?



4月5日(木)18:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

散る桜 残る桜(蛙股池)

今年は桜の開花が早かった。

その後、雨は降っていないが、ここ数日は風が強い。
4月1日も風が強く、菖蒲池神社のソメイヨシノはご覧の通り。
左右の西風にあおられ、散った花びらが帯状に伸びている。
(4月1日13時35分撮影 かなりの逆光)



4月2日(月)18:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

背割提で花見

2018年3月30日(金)は、かつて勤めていた会社の同僚と八幡市の背割提(せわりてい)へ花見に出かけた。
平日とはいえ、近年、人気の花見スポットで混雑が予想された。
※Walker 関西の行ってみたい桜の名所ランキング2017年度1位。全国4位。
この為、午前中の比較的早い時間帯に花見して、昼食を兼ねた飲み会を地元で知られているお店を予約しておいた。

背割提では、3月31日から4月10日までさくらまつりが開催される。
この期間は屋台や地元野菜の販売、更にはお花見Eボート(800円)、さくらであいクルーズ(20分 1,500円)の運行が行われる。
特にこのようなイベントに参加したい気はなかったので、桜の見頃も考慮して、この日(30日)に決まった。

背割提の桜を見る為に、建設された「さくらであい館展望塔」は、31日のさくらまつりから料金300円必要だが、この日は無料開放されていた。

9時30分に京阪本線八幡市駅(やわたしえき)で待ち合わせ、近くのコンビニでお酒、おつまみを買い求め、持参したブルーシートを敷いて花見。
正午に予約しておいたお店「朝日屋」に出向き、本格的?な飲み会となった。

棒寿司・朝日屋

平成30年の背割堤さくらまつりについて

約250本のソメイヨシノを昭和53年、当時の建設省が植樹。
木津川に架かる御幸橋からの眺め。



さくらであい館展望塔からの眺め。地上25m。


桜のトンネルを歩く。距離1.4km。


河川敷は広いので、場所取り等で悩むことはない。


名物の棒寿司。3カン950円(税別)。

実歩行距離約10km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
歩数1万4千歩



3月31日(土)18:46 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理


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