山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


天理教お節会_北山辺の道_白川溜池_業平道

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月5日(金)は、おおばこの会に参加した。
題して「天理教おせち会と上街道から業平道へ」。
毎年恒例となった天理教本部のお節会に参加した後、石上神宮にお参りした。
北山辺の道を北へ歩く。小雨がぱらつくので東屋のある白川溜池の東屋で昼食。

食後は平尾山稲荷神社、石上町と歩き、上街道(上ツ道)に出てこれを少し北へ歩き在原寺へ向う。
在原寺から業平道を西へ。
上総(かんざ)町、喜殿町、新庄町と集落の中を歩く。
佐保川に架かる橋を渡って、重要文化財 五輪塔覆堂(筒井順慶墓所)を見て近鉄平端駅へゴールした。
反省会は西大寺駅構内 「蔵元 豊祝」。参加者20名程度。

コース
9:20天理駅9:47_<天理本通>_天理教本部お節会会場_石上神宮_<北山辺の道>_布留川に架かる高橋を渡る・説明板(ハタの滝)_説明板(豊日神社御由緒)_説明板(豊田山城跡)_道標(←奈良 白川溜池2.2km)_説明板(狂心の渠 つながりしは石上山から飛鳥の宮へ)・展示(天理砂岩)_駒札(石上大塚古墳)_道標(←平尾山)・説明板(平尾山 旧地名:宮の屋敷 ▲石上銅銭出土地 明治16年と19年に出土 発見された2個の銅銭は宮内庁の所蔵となり現在 東京博物館に保管 ▲姫丸稲荷神社 石上廣高宮伝称地 第24代:仁賢天皇 父の市辺押磐皇子の「石上市辺ノ宮」があったところと考証)_石上北低区配水池前_名阪国道の高架下を潜る_白川溜池東屋・昼食_説明板(石上銅鐸)_平尾山稲荷神社・石柱(石上廣高宮伝称地)_石上市神社_<上ツ道>_道標(正一位平尾姫丸稲荷大明神 / 従是東五町 施主 櫟本村 世話人× / 安政七庚申年 正月吉日)_覆屋(石仏群)_天理市立石上児童館前_<在原神社・駒札(謡曲「井筒」と在原寺)・説明板(在原寺跡と在原神社)>_桜井線の踏切を横断_八阪神社_素盞鳴神社_清照寺前_道標(右 よしの かうや / 左 みわ はせ 道 / 施主 嘉兵衛 (梵字)紫覚智雲禅門 天保十四癸卯年 七月吉日 世話人 善治郎 請負 井戸野村 源之助)_西名阪道 郡山ICの高架下を潜る_説明板(榜示浚榊立神事/ぼうじざらえさかきたてしんじ)_佐保川に架かる橋を渡る_山本病院跡前_五輪塔覆堂(筒井順慶墓所)・説明板(五輪塔覆堂)_近鉄橿原線の踏切を横断_16:14近鉄橿原線平端駅 ★反省会:西大寺駅構内 「蔵元 豊祝」。

歩行距離約23km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km含む)
歩数3万2千歩

画像はこの日歩いた天理駅から平端駅までのGPSログを表示。



天理教本部お節会会場にて。


国宝 内山永久寺の鎮守、住吉社の拝殿。
内山永久寺は神仏分離令により明治九年に廃絶。
石上神宮にて。



石上大塚古墳。
六世紀前半。



下ツ道の道標。
「右 よしの かうや / 左 みわ はせ 道 / 施主 嘉兵衛 (梵字)紫覚智雲禅門 天保十四癸卯年 七月吉日 世話人 善治郎 請負 井戸野村 源之助」。
場所を移動した?



4月5日(木)18:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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