(続き)業平道3(竜田川_十三越_服部川) |
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| 地蔵菩薩。
平群町福貴畑、おおと越分岐付近にて。
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| おおと越分岐に立つ道標。
「右 大坂 / 左 ひらの 住吉)」。
右は十三街道(業平道)でこの日の歩くコース。 左は「平野 住吉」方面で“おおと越”と呼ばれるが、少なくとも、この道標が立つ分岐付近では、道が消滅しているようだ。廃道?
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| 水呑地蔵院(尊)から、大阪平野の眺望。 涼しくて快適
この日は視界が良く遠望が望めた。 遠くは淡路島、明石海峡大橋、大阪湾、大阪城の天守閣、六甲山系などがよく見えた。 画像中央に見える建物はあべのハルカス。
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| 神立辻地蔵堂(一番)から水呑地蔵院(三十三番)まで、二体の石仏が続いている。 合計六十六体となるが、一体だけ祀ってあるところもあって、正確には何体祀ってあるのかわからない。 また、二体の内、一体は弘法大師像とも限らないようだ。
画像はその内の三十番。 “セキカメ”とは「木材商 関本亀三」さんのこと。(横に刻印) 台座の上の平らな石を提供したのだろうか。
大阪府八尾市、十三街道(=業平道)にて。
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| 天然記念物 玉祖神社(たまおやじんじゃ)のくす。(大阪府指定天然記念物) 樹齢は記載なし。 五百年くらいだろうか。
八尾市、玉祖神社境内にて。
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8月14日(火)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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業平道3(竜田川_十三越_服部川) |
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| 2018年8月12日(日)は、こばこの部に参加した。 タイトルは「業平道パートⅢ~竜田川から十三越え~」。
<概要> スタートは近鉄生駒線竜田川駅、ゴールは近鉄信貴線服部川駅。 業平道のパートⅢで、前回のパートⅡで矢田丘陵を横断したが、この日は生駒山地を越えて大阪平野へ下った。
連日の猛暑日の中、スタートからゴール迄で出会ったハイカーは僅かに2組。 福貴畑の集落、最奥の人家手前で十三峠方面から歩いて来た単独行の男性。 日傘を差していたので、一見、地元の人かと思ったがハイカーだった。 もう一組は十三峠で信貴生駒スカイラインを南方向へ歩いていた二人組。 因みに信貴生駒スカイラインは歩行禁止。
<コース> 8:40近鉄生駒線竜田川駅9:08_近鉄生駒線の踏切を横断_道標(左 椹原(ふしはら) 右 十三峠 道 / 昭和九年一月)_烏土塚(うどつか)古墳分岐を左に見送り直進_分岐(信貴山7.5km直進を見送り石床神社方面へ右折)_分岐(石床神社0.9kmへ右折)_伊文字川(いもじがわ)に架かる橋を渡る_石床神社旧社地(いわとこじんじゃきゅうしゃち)_磨崖仏_消渇(しょうかち)神社・石床神社・越木塚(こしきづか)集会所_御神水_道標(左 たつた 右 志やかち御神 一丁 道 / 摂州有馬郡 願主 渡邉氏博泉)_道標(<北西面>右 志やうかちかミ 左 たつた / (台座) 石工 九兵エ /<北東面> 右 十三とふげ 江戸ヶ崎乙吉 左 志やうかちかミ / (台座) 鵤内 門弟中 /<南東面> 嘉永五年 子九月吉日)_道標(右 い古ま道 / 文久? 志? ?主 塚基治)_分岐を左折(右は通行止め)_ドッグサロン ブレーメン前_道標(十三峠3.0km)_乗馬クラブ フジラィディングパーク前_道標(左 た津多 法里うじ / 奈良いせ道 / 右 信貴山 米尾山 / 毘沙門天王出現所 七丁)_野仏(地蔵菩薩)_信貴フラワーロードに架かる福貴畑大石橋(陸橋)を渡る_浄光寺前_双石仏_分岐で杵築神社方面へ進む_勧請縄・野仏_分岐へ戻り杵築神社方面を右に見送り引き続き業平道を歩く_分岐で右折_コンクリート石祠(石仏二体)_石祠(地蔵菩薩)_分岐(おおと越を左に見送り十三街道(業平道)へ右折)・道標(右 大坂 / 左 ひらの 住吉)_信貴生駒スカイライン出合い_十三峠の石仏_道標(右 松尾道)_11:41十三塚・昼食12:30_十三峠・道標(水呑地蔵尊0.7km 服部川駅4.2km)_信貴生駒スカイライン下のトンネルを潜る_トイレ・駐車場_道標(服部川駅 十三街道ハイキング道)_分岐を左へ_水呑地蔵院(尊)_通行止め看板(がけ崩れのため通行止め)_神立(こうだち)園地分岐を左に見送り直進_祠(野仏)_二体石仏群(通説:三十三番から一番まで合計六十六体)_路肩崩壊・注意して通行_歌碑(君来むと いひし夜ごとに過ぎぬれば 頼まぬものヽ恋ひつヽぞ経る / (訳)あなたが「君に逢いに行くよ」と言ったから、私は毎夜あなたが来るを待っているけれど、いつもあなたは来ないままむなしく過ぎてしまう。だから、あなたの訪れをあてにはしていないけれど、でもあなたを恋しいと思いながら、わたしは過ごしているのです)_石柱(史跡の道 八尾市)・石碑(神立茶屋辻 この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がある。また在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高い。業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説がある。この道を登ると水呑地蔵、十三峠がある。八尾市教育委員会)_丁石(一丁)_玉祖(たまおや)神社・天然記念物 玉祖神社のくす_佐麻多度神社_分岐で俊徳丸鏡塚古墳を左に見送り直進_当内酒店前_14:35近鉄信貴線服部川駅 ★反省会:餃子の王将 河内山本駅前店。
<その他> ・参加者総勢12名。 ・コース歩行距離約12km。 ・実歩行距離約16km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数2万2千歩。 ・反省会 餃子の王将 河内山本駅前店
【参考】 平群石床神社
神立辻地蔵と水呑地蔵〔八尾市神立〕 弘法大師の霊泉へと続く在原業平の通い道
画像はこの日歩いた近鉄竜田川駅から服部川駅までのGPSログを表示。
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| 石床神社旧社地(いわとこじんじゃきゅうしゃち)の磐座(陰石)。
石床神社旧社地 平群町越木塚 越木塚集落の南東部、伊文字川流域を見おろす位置にあり、本殿や拝殿は当初からなく、鳥居と社務所があっただけで、崖面に露頭した高さ約6m、幅10数mの巨大な「陰石」を御神体としている。「延喜式」に記載のある式内社で、祭神は剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)、貞観元年(859)には従五位上を授けられている。地域での磐座(陰石)信仰が窺え、古い信仰形態を伝える貴重な神社である。大正13年(1924)に集落内の素戔鳴神社[現:石床神社]に合祀されている。この付近には花崗岩の巨石が多数露頭し、鳥土塚古墳や西宮古墳に運ばれており、古墳時代~飛鳥時代の石材産地でもある。」
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| 石を積んで造られた道。 軽トラだとギリギリ通行出来るだろうか。 ちなみにGoogleのストリートビューでは、この道は表示されない。
奈良県生駒郡平群町越木塚(こしきづか)にて。
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| 願掛けに使われる土の団子十二個と(左)と願いが叶ったお礼にお供えする米の団子十二個(右)。
消渇神社 消渇神社は、本来は地域の産土神(うぶすながみ)である正勝(まさかつ)の神として祀られていた。室町時代に、旅の僧信海(しんかい)が腰の病を治してもらってから下半身の病気に御利益があるとして村人に信仰されるようになる。江戸時代には社名から女性の病気や性病に効果があるとして京都祇園からの参拝者もあり、参道に茶店が出るほど賑わったという。願掛けには境内階段下の屋形で土の団子を一二個つくりこれを供えて祈願し、願いが叶うとお礼に米の団子を一二個お供えする。石床(いわどこ)神社は、大正十三年(一九二四)に旧社地より消渇神社境内奥の現在地に合祀(ごうし)された。拝殿前に天保五年(一八三四)の狛犬が、奥に寛文七年(一六六七)の石灯篭が奉納されている。瓦葺きの覆屋内に三つの社殿があり、中央が石床の神である。また、左右の社殿には太玉命(ふとだまのみこと)と本来の祭神である素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀っており、拝殿の奥には神篭石(かみごおりいし)がおかれている。
消渇(しょうかち)神社にて。
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| 勧請縄。
平群町福貴畑(ふきはた)にて。
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8月14日(火)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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祇園祭 後祭 山鉾巡行 |
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| 2018年7月24日(火)は、現役時代の職場の同僚と、京都浮世絵美術館で葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵を鑑賞した。 この日は丁度、祇園祭(ぎおんまつり) 後祭(あとまつり) 山鉾巡行(やまほこじゅんこう)の日でもあり、タイミング良く、四台の山鉾巡行を観ることが出来た。 その後、漬物屋の立ち飲み居酒屋「大賀花」(だいがばな)で反省会となった。
山鉾巡行は、毎年10万人を越える人々が訪れる。 2014年から約半世紀ぶりに“後祭”が復活していた。 ユネスコ無形文化遺産。
京都浮世絵美術館 祇園祭 【京都】漬物屋さんの立ち飲み大賀花で美味しい料理とお酒を頂く♪
山鉾巡行の動画4本のうち、鳴り物入りは、6.南観音山のみ。コンチキチン。
6.南観音山(みなみかんのんやま)
7.役行者山(えんのぎょうじゃやま) 修験道の開祖、役行者小角(おづぬ)が大峰山と葛城山との間に石橋を架けようと、一言主命(ひとことぬしのみこと)に石を運ばせたという伝説に由来する。 役行者は帽子(もうす)・掛絡(かけらく)・経巻(けいかん)・錫杖(しゃくじょう)を持って座し、葛城神は女体で手に台つきの輪宝を持ち、一言主神は鬼形で赤熊(あかぐま)をかぶり手に斧を持っている。 水引は綴錦(つづれにしき)の名手とうたわれた西山勘七(にしやまかんしち)作の唐子遊図(からこあそびのず)。平成十年より復元新調の前懸は「牡丹胡蝶図と雲龍文様」との三枚継ぎ。
8.浄妙山(じょうみょうやま)
9.八幡山(はちまんやま)
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7月26日(木)17:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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五條市民俗資料館_まちなみ伝承館_生蓮寺 |
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| 2018年7月12日(木)はササユリの会に参加した。
<概要> JR和歌山線五条駅からスタート。 まずは、お初となる五條市民俗資料館(旧五條代官所長屋門)を訪問。 実際に訪問した印象としては、施設の名前とは裏腹に“民俗資料”的な展示物が少なかったように感じた。 「旧五條代官所長屋門 附属天誅組資料館」といったイメージ。 館の人に“天誅組”について詳しく説明して頂いた。
新町通りの五條市まちなみ伝承館は3回目の訪問となる。 この日は平日だったので、過去の訪問時と較べると観客が少なかった。 というより、その場に居合わせたのは我々だけ。 ここも館の人に“五條市のまちなみの形成”について熱心に説明して頂いた。 感謝。
その後、吉野川沿いの東屋で昼食。 御霊神社を訪れた後、生蓮寺へ。生蓮寺は2度目の訪問。 この時季、蓮の花が見頃だったので期待したが、過度の期待は禁物。 境内に蓮を植えた鉢が置かれており拝観自由。蓮の池はない。 尚、蓮の花は午前中に愛でるのがベターと思われる。
JR和歌山線はようやくICOCAが使えるようになった。 但し高田駅から五条駅までの区間のみ。(2018年3月17日以降利用可能) 2018年春 和歌山線ICOCA利用可能エリア拡大日について
この日は、行きが吉野口駅から五条駅まで乗車したのでICOCAが使えたが、吉野口駅で電車の待ち時間が十分あったので、一旦、改札から出て切符を買った。 帰りは大和二見駅から乗った。 この駅はICOCAの利用対象外なので切符を買った。
いつもながら吉野口駅での近鉄電車の待ち時間が短く僅かに3分。 電車がホームに到着すると同時にダッシユ。 地下道を通って、ホームに居た近鉄の車掌から切符を購入した。
JR吉野口駅構内では、創業明治44年(1911年)より百有余年に渡り営業していた駅弁鮎寿司・柿の葉寿司の店、柳屋が2018年6月30日にて営業を終了していた。
<コース・概略> 10:19JR和歌山線五条駅_旅館芳成館前_<商栄会商店街>_西川に架かる天長橋を渡る_五條市役所前(五條代官所跡)_五條市立図書館前_五條小学校前_東浄川に架かる宮前橋を渡る_五條市民俗資料館(旧五條代官所長屋門)_五條市まちなみ伝承館_吉野川沿い東屋・昼食_寿命川樋門前_御霊神社_二見の大ムク_二見公民館前_三塚地蔵尊_大和二見駅前_JR和歌山線の伊勢街道踏切を横断_生蓮寺(しょうれんじ)_JR和歌山線大和二見駅14:18
<その他> ・参加者総勢8名。 ・実歩行距離約9km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数1万3千歩。
画像はこの日歩いた五条駅から大和二見駅までのGPSログを表示している。
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| 日本で初めての国産機関車、8620形 78675号。 愛称:金剛・ハロー号。 製作:大正時代初期。 主な運転区間:和歌山線 姫新線 芸備線。 最高速度:95 km/時間 「五條市民俗資料館」前にて。
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| 嫁入りに使われた籠で、屋根裏に置いておくことによって、実家には戻れないという戒めだったそうな。 籠が新しく見えるのは、近年になって補修されたため。 明治から大正時代にかけて建てられた家で、かつては病院だった「五條市まちなみ伝承館」にて。
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| 天然記念物 「二見の大ムク」。 推定樹齢一千年。 樹高15m、目通り周8.5mだったが、昭和34年の伊勢湾台風で主幹が折れた。 五條市二見四丁目。
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| 蓮の花の蕾。 「生蓮寺」にて。
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7月13日(金)18:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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業平道2(平端_竜田川) |
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| 2018年7月1日(日)は、こばこの部に参加した。 タイトルは「業平道パートⅡ~平端から竜田川へ~」
<概要> 在原業平(ありわら の なりひら)道のパート2で、近鉄橿原線平端駅から近鉄生駒線竜田川駅まで歩いた。 パート1は2018年1月5日、天理教お節会の後、平端駅まで歩いている。 パート1の記録。 天理教お節会_北山辺の道_白川溜池_業平道
<コース> 近鉄橿原線平端駅9:11_自分薬局本部前_推古神社_常夜灯(太神宮 / 文政十丁亥年)_重要文化財 額安寺五輪塔(石造五輪塔八基)・鎌倉墓_史跡 額田部窯跡(ぬかたべかまあと)_地福寺跡_西町パークシティ自治会館前_祠(石仏)_蛭子(えびす)神社・狛犬(佐吉作)_良福寺_西町公民館前_安堵町コミュニテイバス岡崎バス停前_岡崎川に架かる岡崎橋を渡る_西名阪自動車道の高架下を潜る_宝篋印塔・石仏群・石碑_東安堵公民館前_極楽寺(広島大仏)_大寶寺前_うぶすなの郷(富本憲吉生家)前_飽波(あくなみ)神社_安堵駐在所前_<太子道>_安堵保育園前_延命地蔵尊_広峰神社・業平姿見の井戸_善照寺・冨生(ふしょう)の松(別名:根上がりの松)_JR関西本線の安堵第二踏切を横断_富雄川に架かる新業平橋を渡る_11:40上宮(かみや)遺跡公園・昼食12:36_斑鳩東小学校前_道標(右 いせ た王(わ)ら本 み王(わ) 者(は)せ いちの本 たん者”(ば)市 / 左 京 郡山 奈ら 道 / 春(す)ぐ たつ多 志ぎ山 大坂 さ可(か)い / 天保十五甲辰年吉日 施主何某)_<法隆寺参道>_R25法隆寺前交差点を横断_法隆寺iセンター前_志むら(お食事処)・休憩_法隆寺南大門_法隆寺西大門_西里町並み_藤ノ木古墳前_桜池ポケットパーク・石仏_斑鳩中学校前_奈良県斑鳩健民運動場前_道標(県立龍田公園方面へ左折 藤ノ木・業平つれづれの道)_道標(県立龍田公園方面へ右折)_道標(県立龍田公園方面へ右折)_分岐を左折_道標(県立龍田公園方面へ左折)_<竹林>_祠・石造物_龍田北四丁目6(住所表示板)_道標(県立龍田公園方面へ右折)・ハイキング案内地図_祠(石仏二体)_高塚町公民館前_説明板(業平道)_龍田川に架かる念仏橋を渡る_県立龍田公園・トイレ_石龕・石仏群_竜田川遊歩道案内図・近鉄竜田川駅へ1.3km・市町村境(斑鳩町→平群町)_竜田川ネオポリスバス停前_平群南小学校前_竜田川に架かる椿井橋を渡る_竜田川駅東側バス停前_14:48近鉄生駒線竜田川駅 ★反省会:味楽座 生駒店。
<その他> ・参加者総勢22名。 ・コース歩行距離約12km。 ・実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数2万6千歩。
画像は近鉄平端駅から竜田川駅まで、当日歩いたGPSログを表示。
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| 石工 丹波佐吉作とされる狛犬。 上半身が手前(右方向)に大きく傾いている。 申年九月吉日の銘。 佐吉の名前を確認したが不明。 文献によると、吽形の第二台座の裏側に「石工和泉庄吉」、阿形に「萬延元年??」(1860年)と彫られているそうな。 「石工和泉庄吉」の部分を画像の左上に貼り付けた。 大和郡山市西町 蛭子(えびす)神社にて。
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| 広島大仏。 極楽寺にて。 広島大仏(極楽寺)について 広島大仏がなぜ奈良に!?
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| 冨生(ふしょう)の松。 善照寺(ぜんしょうじ)境内にて。
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| 道標。 「右 いせ た王(わ)ら本 み王(わ) 者(は)せ いちの本 たん者”(ば)市 / 左 京 郡山 奈ら 道 / 春(す)ぐ たつ多 志ぎ山 大坂 さ可(か)い / 天保十五甲辰年吉日 施主何某」。 法隆寺参道南にて。
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7月8日(日)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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夏呑み 竹内街道とワイン |
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| 2018年6月30日(土)は、近鉄のウォーキングイベントに、Sさん、M氏及びM氏の知人2人と私の計5人で参加した。 スタート時点ではSさんと2人だったが、途中からM氏一行と合流した。 イベントにM氏一行が参加することは知っていた。 尚、当初参加予定だったF氏は所用で参加できず。
<概要> イベントタイトルは「冷や冷や夏呑みハイキング 竹内街道とワインを楽しむ」。 竹内街道とワインのカップリングは、昨年(2017/7/23)に続き2回目。 前年とまったく同じコースだったので、ウォーキングマップも同じかと、帰宅してから比較した。 「熱中症に注意!」のワンポイント追加以外、タイトルまで一字一句違わず全て同じ。 歩くのを楽しみに参加した人は、期待ハズレだったかもしれないが、そういう人は少なかったのでは、と勝手に解釈。
それはともかく、試飲の待ち時間が、前年に較べると大幅に改善されており、スムーズな流れだった。 待ち時間はほとんどなし。 おまけにお代わり自由だったのは嬉しい。 どちらの試飲場も、何杯飲んだのか、わからないくらい。 来年は更に進化しているかもしれない。
尚、このシリーズ(冷や冷や夏呑みハイキング)、次回は7月14日(土)「奈良豊澤酒造 豊祝」。 残念ながら第二土曜日で、都合により私は参加出来ず。
ゴールの上ノ太子駅には、正午少し前に到着。 これも昨年と同じく、阿部野橋方面行のホームの待合室(冷房完備)で昼食した。 尚、橿原神宮前行ホームには待合室なし。
<コース・概略> 近鉄南大阪線古市駅_<竹内街道>_出会いの道・休憩_河内ワイン館_飛鳥ワイン_近鉄南大阪線上ノ太子駅・昼食 反省会:きはる(橿原神宮前駅構内)。
<その他> ・参加者:不明。 ・コース歩行距離約6km。 ・実歩行距離約11km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数1万6千歩。
昨年の記録。 竹内街道とワインを楽しむ
画像はこの日歩いた古市駅から上ノ太子駅までのGPSログを表示している。
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| 竹内街道の木標と緑の一里塚の石碑。 緑の一里塚にて。 左上は「竹内街道と駒ヶ谷」の説明板を拡大。
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| 朝採りデラウェア。1パック350円。試食なし。 竹内街道にて。
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| ワインの試飲2種と梅酒1種。お代わり自由。 河内ワイン館にて。
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| こちらの試飲は1種で、にごりデラウェア。かなり甘口。 アルコール度数低めの7~8%。(通常は12%程度) こちらもお代わり自由。口当たりが良いので何杯も飲める。 飛鳥ワインにて。
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7月6日(金)10:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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(続き)大鳥神社_聖神社_佐竹ガラス_池上曽根史跡 |
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| 夕暮れになると、灯りが燈されるのだろう。 涎掛けはジョーク―笑。しかし遠目では石仏に見えた。 “ガラス工芸 泉州とんぼ玉 流工房”佐竹ガラス(株)母屋前にて。
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| とんぼ玉の製作。 手前に並んでいるのは完成品。 佐竹ガラス(株)にて。
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| お米などを保管した倉庫。(復元) 弥生時代の集落遺跡、池上曽根史跡公園にて。
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| 大形建物の内部。 柱は年輪年代測定法から紀元前52年の伐採と判明。(復元) 池上曽根史跡公園にて。
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| 大形建物へ入る階段。(復元) 池上曽根史跡公園にて。
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7月2日(月)17:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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大鳥神社_聖神社_佐竹ガラス_池上曽根史跡公園 |
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| 2018年6月28日(木)は、ササユリの会に参加した。 タイトルは「熊野街道~鳳から池上曽根遺跡まで~」。
<概要> 熊野街道(小栗街道)の一部、JR阪和線鳳(おおとり)駅から信太山(しのだやま)駅まで歩き、途中に点在する社寺仏閣、史跡などを訪れた。 参加者は主宰のT氏を含め総勢10人。
午前中は曇りだったが、午後からはカンカン照りの暑さ。 この為、行程にあった放光池公園の訪問はカット。 また、池上曽根史跡(遺跡)公園を訪問せずに、途中で切り上げた人が2人。 自宅が近いので、池上曽根史跡公園から歩いて帰宅した人が1人。 信太山駅へゴールしたのは都合7人。
体がまだ夏の暑さに適合しておらず、徐々に慣らすことが必要。 ただ、風が強く吹いていたので、比較的涼しく感じた。 天王寺駅近くの餃子の王将で反省会があったようだが、帰宅時間が遅くなるので参加せず。
<コース> JR阪和線鳳駅10:08_鳳小学校前_千種の夢園_大鳥神社_阪和線鳳北一踏切を横断_<鳳本通商店街>_日本料理 大金楼(だいきんろう)前_鳳南地域会館前_南町会館前・道標二基(「右 伯太 牛瀧 岸和田」「右 堺 住吉 大阪 左 三林 父鬼 槇尾 大野」 / 「是ヨリ一り半余」「右ハ 和け 妙泉寺道」「南無妙蓮華経」)_鳳公園_Ario(ショッピングモール)前_富木(とのき)バス停前_等乃伎(とのき)神社_富木薬師堂_クリーンセンター前(交差点)_大川(今川)に架かる四ツ橋を渡る_12:04舞町児童遊園・昼食12:45_堺泉北有料道路の高架下を潜る_上町会館前_井阪硝子製作所前_石祠(石仏二体)_祠(末永大明神・地蔵菩薩)_和泉市立信太小学校前_中央寺・磨崖仏_聖神社一の鳥居・常夜灯(信太宮拝前 享保二季?末吉日)_鶴山台第二住宅前_信太の森の鏡池史跡公園_信太の森ふるさと館_鏡池_姫塚古墳(信太千塚第七八号墳)の横穴式石室_聖(ひじり)神社_導地蔵尊_常念寺前_小栗地蔵_宣札場(高札場)_八坂神社_永尾緑地_和泉市立小栗の湯前_“ガラス工芸 泉州とんぼ玉 流工房”佐竹ガラス(株)・工場見学_旭公園前_JR阪和線千原街道踏切を横断_和泉総合高校西(交差点)_池上曽根史跡公園・池上曽根弥生学習館_光楽寺前_JR阪和線の踏切を横断_15:49JR阪和線信太山(しのだやま)駅
<その他> ・参加者総勢10名。 ・コース歩行距離約7km。 ・実歩行距離約17km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数2万5千歩。
画像は鳳駅から信太山駅まで歩いたGPSログを表示。
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| 茅の輪。大鳥神社境内にて。 茅の輪の由来。 大鳥神社のホームページより。 「すさのうのみこと」が、旅の宿を世話してくれたお礼に、「そみんしょうらい」に茅をお守りに授けました。 村が疫病で全滅した時、「そみんしょうらい」一家だけが助かり。 それ以来、茅には魔よけの霊力があると信じられました。 この輪をくぐることを「茅の輪くぐり」といいます。 この行事を行うことで、まがごとを払い除け、疫病や暑さで体調を崩しやすい夏を乗り越える訳です。
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| 堺市指定保存樹木「くすの木」。 大鳥神社境内にて。
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| 道標二基。堺市西区鳳南町、南町会館前。 手前は「右 伯太 牛瀧 岸和田」、「右 堺 住吉 大阪 左 三林 父鬼 槇尾 大野」。 後方は「是ヨリ一り半余」、「右ハ 和け 妙泉寺道」、「南無妙蓮華経」。
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| 磨崖仏。 中央寺境内にて。
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7月2日(月)16:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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(続々)本光明寺_村屋神社_脳梗塞予防講座 |
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| 14:57撮影。 すり潰しを始めて1時間42分経過の状態。(13:15開始) 緑色は完全に失せた。 一見すると赤紫蘇のような感じ。
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| 15:09撮影。 すり潰しを始めて1時間54分経過の状態。 すり潰した葉っぱをガーゼのようなもので包み、水分を抽出し、紙コップの中に入れる。
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| 塩漬してやわらかく黄色になった梅漬一個をすり潰す。 これも左手で左回しに潰す。 ※土用干梅は不可。
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| すり潰した梅を先程のコップの中に入れる。
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| 更に、清酒小さじ3杯を入れ、よくかき混ぜて飲み干す。 以上で終了。お疲れ様でした。
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6月6日(水)18:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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(続き)本光明寺_村屋神社_脳梗塞予防講座 |
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| 脳梗塞の民間療法薬を作る作業手順。 K氏宅、作業場にて。
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| ビニールの袋に入っているのは蕗(ふき)の葉。 さぁ、これから頑張るぞっ!!
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| 蕗の葉をちぎる。 葉の筋(葉脈と呼ぶらしい)は残す。画像左。 一人4枚、蕗の葉を使用する。 私は5枚使った。 まずは、すり鉢の中に2枚投入し、左手で左回し(時計回りと逆)に潰す。 折を見て残りの3枚を追加した。画像右上。
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| 13:36撮影。 すり潰しを始めて21分経過の状態。(13:15開始)
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| 皆さん、思い思いのやり方で、作業を続けておられる。 私は腰がだるくなってきた。 腰がだるかったのは作業をしている時だけ。 幸いにも左腕や肩は、当日や翌日も特に不都合はなし。
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6月6日(水)18:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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本光明寺_村屋神社_脳梗塞予防講座 |
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| 2018年6月3日(日)は、こばこの部に参加した。 タイトルは「大和国中(くんなか)の道~笠縫から柳本へ」。
<概略> 近鉄橿原線笠縫駅に10時半に集合。 田原本町千代(ちしろ)の本光明寺(ほんこうみょうじ)と、隣接する春日神社を訪問。 続いて田原本町笠形(かさがた)の春日神社へ。 更に田原本町蔵堂(くらどう)の村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)境内にて昼食。
午後からは天理市内のK氏宅にて脳梗塞の民間療法薬を作った。 この作業に約2時間強かかった。(13:15→15:26) その後、K氏宅にてお寿司をご馳走になり、最寄のJR桜井線柳本駅から帰路についた。
<コース> 近鉄橿原線笠縫駅_近鉄橿原線の踏切を横断_石柱(寺田鹿×)_常夜灯(太神宮 春日大明神 金毘羅大權現 文化七年 九品寺村講中)・祠(石仏)_多村道路元標_寺川に架かる橋を渡る_地蔵尊・庚申塚_R24千代(ちしろ)交差点を横断_本光明寺(ほんこうみょうじ)・春日神社_石碑(孝子庄右衛門誕生地 昭和三十年十月尚歯会)_祠_地蔵尊・庚申塚_春日神社(笠形)_中ツ道道標1(<西> 天保九戊戌年 西國同行中 家内安全 <南>南無佛 三界萬× <北> 右 かうや道 左 三わはせ <東> いせ)_中ツ道道標2(右 ならみち 左 保う里うし / 梵字 西國遍路供養)_村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)・昼食_常夜灯二基(大神宮 金刀比羅大権現)_しきのみち はせがわ展望公園9号・トイレ_淨福寺前_蔵堂児童公園<石柱(蔵堂 三濱本家宅地)・發王地大神 梅龍王大神>_<徒歩>_K氏宅にて脳梗塞の民間療法薬作り_<徒歩>JR桜井線の踏切を横断_JR桜井線柳本駅
<その他> ・参加者総勢18名(15+ウォークなし2+K氏) ・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅等を含む) ・歩数2万1千歩。
画像はこの日歩いた近鉄橿原線笠縫駅からJR桜井線柳本駅までのGPSログを表示。
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| 笠縫駅前、北東のT字路に建つ常夜灯と祠(右)。 竿に「太神宮 春日大明神 金毘羅大權現 文化七年」、土台石には「九品寺村講中」と刻銘。 常夜灯は壁で囲われている。 ネット情報によると、昭和60年の時点では、毎晩、交代で灯を点していた。 右の祠には石仏が祀られている。(画像左下)
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| 本光明寺(ほんこうみょうじ)境内の池に祀られている石仏。 将軍地蔵、或いは勝軍地蔵とも呼ばれている石仏かもしれない。
本光明寺の“光明”は光明皇后が開かれたお寺であることを表している。 話せば長くなるが、元は天理市石上平尾山に、光明皇后が補陀落山観音院本光明寺を開かれた。 その後、第51代平城天皇の御子阿保親王が場所を天理市石上町、現:在原神社に移し、本光明山補陀落院在原寺と改名。 江戸時代の中頃以降、天理市森本の東方にあった、元:大光明寺が本光明寺の寺号を譲り受けた。 明治十四年に盗賊が入って住僧が殺害され、その後衰微して廃寺となる。 明治二十六年、十一面観音(重文)などの安置物は本山の西大寺(奈良市西大寺)に搬入。 明治末期に、西大寺から磯城郡多村千代八条(ちしろはっちょう)の勝楽寺跡地に迎え入れられ、寺号を本光明寺に改名。
在原寺跡/天理市 本光明寺の十一面観音/田原本町
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| 石碑。 「孝子庄右衛門誕生地 昭和三十年十月尚歯会」。 江戸時代の孝子説話。
江戸時代孝子列伝 大和国八条村の庄右衛門 「孝子庄右衛門誕生地」の石碑
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| 中ツ道と橘街道の辻に立つ道標。 「<西> 天保九戊戌年 西國同行中 家内安全 <南> 南無佛 三界萬× <北> 右 かうや道 左 三わはせ <東> いせ)」。
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6月6日(水)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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春を見つけに斑鳩を越え郡山盆梅展へ |
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| 【2017_10_25~2018_02_14の記録】で、今回アップする記録が最後の記録
2018年2月13日(火)に近鉄のフリーハイキング「春を見つけに斑鳩を越え郡山城跡盆梅展へ」に単独で参加した。
<概要> 2月4日こばこの部で「泉北丘陵を歩くパート3 光明皇后伝説の地」に参加。 その後、2月18日おおばこの会「若山神社_尺代道_柳谷観音_天王山」に参加するまで、2週間歩きの予定がなかった。 そこで、ウォーキング開催情報を見て、タイトルのイベントに参加することにした。 但し、今年は梅の開花が遅れていたので、郡山城跡盆梅展には行かず。(入館料: 一般450円 ウォーク参加者350円) 尚、昼食は持参したが、正午前に郡山駅に到着したので、帰宅して食べた。
<コース> 9:27近鉄生駒線王寺駅9:31_昭和橋公園_大和川に架かる昭和橋を渡る_R25に沿って北東へ歩く_三室山下バス停前_竜田川に架かる竜田大橋を渡る_猫坂交差点でR25を右に見送り 旧道(大坂街道)へ左折_太田酒造前_双石仏_龍田神社前_説明板(奈良街道と当麻街道)_R25出合_斑鳩町役場前_藤ノ木古墳_斑鳩町コミュニティバス西里(にしさと)バス停前_説明板(歴史的町並み・西里)_石仏群_春日社_<法隆寺(拝観料1,500円)・西大門・夢殿前>_道標(従是五町北 三井法輪寺)・道標(左 松尾道×)・道標(西院大伽藍 是ヨリ西三× / 明治四十年 宇宙霊界中住人 吉村長慶 建立)_中宮寺前(拝観料600円)_石仏群_丁石(十八丁)_石仏群_説明板(斑鳩神社(天満宮))_地蔵堂・極楽寺墓地前_車道を右に見送り 左の自転車道を歩く_斑鳩町営火葬場前_法輪寺前(拝観料500円)_法起寺前バス停前_法起寺前(拝観料300円)_小泉出屋敷バス停前_うどん わらじや前_小泉出屋敷交差点を左折_松尾寺口バス停前_泉原南口バス停前_市営グランドバス停前_大和郡山市総合公園(休園日)前_大和郡山矢田郵便局前_道標を兼ねた地蔵菩薩(左 やたさん 八丁 大阪ミち / 心覺如体禅定尼)他石仏四体_主人(ぬしと)神社前_矢田東山バス停前_弘等地蔵尊他石仏群_11:53近鉄橿原線近鉄郡山駅
<その他> ・コース距離約15km。(郡山城跡盆梅展含む) ・実歩行距離約14.6km。(郡山城跡盆梅展不参加 自宅~最寄り駅往復約2.7km含む) ・歩数2万1千歩。
画像はこの日歩いた近鉄生駒線王寺駅から近鉄橿原線大和郡山駅までのGPSログを表示。
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| 双石仏。 民家の塀を窪ませて安置されている。 ネット情報によると、このお家のご主人が畑を耕していて鍬が当たり掘り出して祀ったもの。 左が地蔵菩薩で右が阿弥陀如来だろうか。 生駒郡斑鳩町龍田2丁目。
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| こんなところにも吉村長慶が立てた道標。 「西院大伽藍 是ヨリ西三× / 明治四十年 宇宙霊界中住人 吉村長慶 建立」。 法隆寺東院四脚門前にて。
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| 道標を兼ねた地蔵菩薩。 「左 やたさん 八丁 大阪ミち / 心覺如体禅定尼」。 大和郡山市矢田町、県道189号線、沖台川に架かる側道橋東詰にて。
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| 花崗岩に粘土のようなもので造形している。 山伏に見える。なので役行者像だろう。 大和郡山市矢田町、矢田東山バス停西、三叉路北西角。 弘等地蔵尊と刻まれた覆屋の中に安置。
※撮影した画像は石仏や道標が多く、残念ながらタイトルにある“春を見つけ”られず。
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5月18日(金)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鳥見山公園_まほろば湖_長谷寺 |
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| <概要> 2018年5月15日(火)は、東海自然歩道を鳥見山公園から長谷寺まで歩いた。 スタートは榛原駅。ゴールは長谷寺駅。 鳥見山公園は過去に幾度となく訪れており私にはお馴染みの場所。 このコースは何年か前に歩いたことがある。 また、林道をクルマでも走ったことがある。 この日は東海自然歩道の途中で、高束(たかつか)城跡方面への分岐を見送り、林道を歩いて初瀬ダム・まほろば湖に到着した。 参加者は土曜会の有志4人+N氏の計5人。 反省会は長谷寺参道、お食事処(観光旅館)吉野館。
<コース> 近鉄大阪線榛原駅9:38_道標(鳥見山中霊時跡/とみのやまのなかのまつりのにわあと)_福寿館はいばら本店前_やまと屋前_案内板(榛原空襲)_常夜灯(太神宮/文政十一戊子年三月吉日/御室御所/御寄附)_駒札(旧旅籠「あぶらや」主屋)_道標(右 いせ本かい道/左 あをこ江×/文政十一戊子年三月吉日)_楼山荘前_<伊勢本街道>_<鳥見山通り>_R165を横断_榛原北保育園前_道標(←鳥見山公園1.8km)_地下歩道_眼治し地蔵尊_看板(Foyer Vert)_道標(←近鉄榛原駅2.1km/鳥見山公園1.5km→/展望の道 榛原町)_道標(鳥見山公園登山口 春日宮天皇妃陵0.6km)_春日宮天皇妃陵 分岐を左に見送る_車道合流・道標(鳥見山公園0.3km)_車道を右に見送り左の階段を登る_分岐を右_展望塔_説明板(鳥見山(とりみやま)と鳥見霊時(とみのまつりのにわ))_勾玉池_駐車場_管理事務所_見晴台_11:35駐車場・昼食12:13_<車道>_東海自然歩道道標(←桜井 初瀬ダム5.4km)_クルマUターン場所_物置小屋_ビニールハウス_東海自然歩道道標(長谷寺→)_人家_道標(←東海自然歩道 長谷寺分岐を左に見送り車道を歩く)_廃屋_分岐(嵩方 白木を右に見送り 初瀬方面へ左折)_分岐(萱森 白木を右に見送り初瀬へ左折)_萱森川に沿って歩く_県道38号線合流_道標(←長谷寺2.2km)_大和川に架かる口ノ倉橋を渡る_東屋・休憩_東海自然歩道道標(長谷寺1.7km 桜井→)_見廻不動尊_大和川に架かる連歌(れんが)橋を渡る_説明板(天然記念物与喜山暖帯林)_中之橋天満神社(中之橋詰御旅所)_お食事処(観光旅館)吉野館_道標(伊勢辻 石工 櫻井 与助/右 いせミち)_R165を横断_15:14近鉄大阪線長谷寺駅
<その他> ・参加者総勢5名。 ・実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数2万6千歩。 ・歩きの参考にした資料 近鉄てくてくまっぷ 鳥見山公園・長谷寺コース約12km ・鳥見山(とりみやま)と鳥見霊時(とみのまつりのにわ) 鳥見山は榛原町(宇陀市)と桜井市との境界にそびえる標高七三四メートルの山で、トウベ山とも呼ばれいます。この鳥見山の中腹には縄文時代から弥生時代の遺跡が広がっており、自然公園となっています。「日本書記」神武天皇四年二月条には、「霊畤(まつりのにわ)を鳥見山(とみのやま)の中に立てて、基地(そこ)を号(なづ)けて、上小野(かみつをの)の榛原(はりはら)・下小野(しもつをの)の榛原と曰(い)ふ。用(も)て皇祖天神(みおやのあまつかみ)を祭りたまふ」とあります。神話・伝説上の人物である神武天皇が天地の神霊を祭る場所を鳥見山に築き、そこを上小野榛原・下小野榛原と名付けたとされいてます。この「榛原」が現在の町名の由来となっていますが、江戸時代以前は「萩原」(はいばら)とも書いていたようです。榛原町をはじめ宇陀地方は、「古事記」、「日本書記」にたびたび登場し、古代から重要な地域であることを知ることができます。宇陀市 ※現地の説明板より
画像はこの日歩いた近鉄榛原駅から長谷駅までのGPSログを表示。
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| スイレンの花が開花。 鳥見山公園、勾玉池にて。
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| 正面に音羽三山。左後方に、円錐形で少し尖って見えるのが竜門岳。 竜門岳の稜線上の左下に、小さく尖って見えるのは烏ノ塒屋山(からすのとややま)。 その後方は、大峰山脈。 鳥見山公園、展望台からの眺望。
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| 大和川に架かる連歌(れんが)橋。 桜井市初瀬にて。
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| 旧家の佇まい。 桜井市初瀬にて。
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5月17日(木)18:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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泉北丘陵を歩く3(光明皇后伝説の地) |
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| 【2017_10_25~2018_02_14の記録】
2018年2月4日(日)は、こばこの部に参加した。 タイトルは「泉北丘陵を歩くⅢ (光明皇后伝説の地を訪ねて)」。
<概略> 過去「泉北丘陵を歩く」シリーズのⅠ、Ⅱはササユリの会として実施されていた。 ・2017_03_23「泉北丘陵を歩くⅠ (荒山公園から小谷城址へ)」泉ヶ丘駅→泉ヶ丘駅。 ・2017_05_25「泉北丘陵を歩くⅡ (役行者霊跡・松尾寺を訪ねて)」和泉中央駅→和泉中央駅。 泉北高速鉄道路線の周辺は、今までまったく歩いたことがなかったので、このシリーズには漏れなく参加している。 今回は光明皇后伝説の地を訪れるというもので、今回もスタートとゴールは同じで光明池駅。
奈良時代の聖武天皇の妃、光明皇后は和泉市で生まれ育ったとの説があり、この伝説をもとに光明皇后生誕の足跡を辿った。 光明池駅をスタート。光明池守護神社を起点に時計回りに光明池を半周。 光明池大橋を渡って春日神社、西福寺に立ち寄り、昼食予定地の和泉国分寺に到着。 ところが、この日は星祭が行われており、拝観は叶わなかった。
旧国分峠に出て和泉市総合運動センター(旧府立横山高校跡地)へ足を伸ばして昼食。 食後は西福寺付近の黒石町バス停前まで、往路と同じ道を歩き、納花町(のうけちょう)から、昔の街道の面影を残す父鬼(ちちおに)街道を歩いて光明池に戻った。 光明池では真新しい「光明皇后と女鹿の石像」を訪れ、スタートの光明池駅にゴール。
<コース> 泉北高速鉄道光明池駅9:46_甲斐田川(かいだがわ)と車道に架かる陸橋ぴらかんさ橋を渡る_甲斐田川に架かる橋を渡る_光明池改修之碑_雨乞蛙(モニュメント)_光明池守護神社_光明池に架かる光明池大橋を渡る_こうみょういけ茶輪_光明台北小学前の三叉路を右折→道迷い 左折_光明台1丁目西バス停前_三林(みばやし)町会館前_勝江池_和泉国池田郷 春日神社・三林古墳群_久住織布前_黒石町バス停前_西福寺_槙尾川に架かる豊橋(とよはし)を渡る_国分寺・説明板(和泉国 国分寺 縁起)_常夜灯_道迷い(車道から旧道に戻る)_光明皇后誕生所(碑)_役行者像・常夜灯二基・道標(梵字 左 大峯道 右 槙尾山道)_旧国分峠_皇大宮・説明板(皇大宮由緒略記)_道標(左 大三祢山 右 ま紀のを / 嘉永六年九月 / 信力若松組 岸和田講中 施主 先達 ××)_老人ホーム ひかりの園前_横山高校前バス停前_12:36和泉市総合スポーツセンター(関西トランスウェイスポーツスタジアム・旧府立横山高校跡地)・昼食13:15_<黒石町バス停前まで往路とほぼ同じ道を歩く>_高架道路の下を潜る_槙尾川に架かる八王子橋を渡る_クリーニング店跡の角を右折(北)_むかしの街道の面影を残す父鬼(ちちおに)街道_和泉市立南池田小学校前_地蔵堂(弘法大師帝釈天子安菩薩 普賢菩薩)・経墳_和泉中継ポンプ場前_槙尾川に架かる川中橋を渡る_祠(宝篋印塔)_光明霊園前_和光霊苑_光明皇后と鹿の石像・説明板(光明皇后御生誕伝承之地 光明池名称の由来)_光明池朝鮮人労働者慰霊碑_<甲斐田川に架かる橋から往路と同じ道を歩く>_15:24光明池駅
<その他> ・参加人員総勢19名。 ・実歩行距離約29km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km、南海難波駅~天王寺駅前等を含む一日の距離) ・歩行距離が長いのは、この日の夜、現役時代の職場仲間と飲み会が天王寺駅近くであり、時間調整も兼ねて難波駅から天王寺駅前まで歩いた。 ・歩数約4万2千歩。 ・光明池の堤に建立された光明皇后と女鹿の石像と説明文 光明皇后御生誕伝承之地 光明池名称の由来について 光明池は、和泉市国分町の浄福寺裏の光明の滝を源にしていることから、この付近に古くから伝わる、光明皇后生誕伝説に由来して、「光明池」と命名されています。昔々、奈良に都のあった頃の話です。国分町の槇尾川のほとりの滝山で、智海上人というお坊さんが仏教の修行をしていたところ、一頭の女鹿がやって来て、上人のお小水をなめて懐妊し、やがて可愛い女の子を産みました。上人は女の子を近所の農家に預けて育ててもらいました。少女が七歳になった年の夏のことです。家族総出で田植をしていました。少女も連れられて来て、田んぼの端で遊んでいました。ちょうどその時、都の大臣藤原不比等が、天皇の使いとして槇尾寺にお詣りした帰りに、田んぼのあたりから、何やら不思議な瑞気が立ち上がり、光り輝いている美しい少女をみつけました。大臣は少女をもらい受けて都へ連れ帰り養女として育てました。光明子と名付けられた少女は、天皇のそば近くに仕えていましたが、やがて天皇の寵愛を受けるようになり、皇后となりました。聖武天皇の后の光明皇后です。皇后は、仏教に対する信心がことのほか厚く、諸国にたくさんのお寺を建てましたが、自分の生まれ育った和泉の地にも一寺を建てました。それが和泉国分寺です。智海上人の修行した滝山には、現在は浄福寺というお寺があり、瀧の寺とも呼ばれています。境内には、上人が修行したと伝えられる石の洞窟や、鹿の足跡が刻まれた石などがあります。大臣が少女を見つけた場所には、「照田、光田」という地名が残り、少女が大臣に連れられて都に上るとき、生みの親である女鹿が、別れを惜しんで見送った場所を「女鹿坂(めまさか)」とよんでいます。また、少女の足は、鹿の足の形をしていたので、それを隠すために袋を作って履かせたのが、「足袋」のはじまりであると伝えられています。光明池副堤防の改修記念に際して、これからも光明池が多くの人々に愛されることを願い、この石像を建立します。光明池土地改良区
画像は光明寺駅から時計回りに周回したルートのGPSログを表示。
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| 光明殿。 (和泉国池田郷) 春日神社にて。
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| 阿弥陀如来坐像。 「寛政七年、施主 大念佛同行×」の刻銘。 和泉市黒石町 西福寺にて。
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| 光明皇后誕生所(碑)。 道標の上部には盃状穴が見られる。(画像左下) 和泉市国分町 旧国分峠付近。
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| 旧国分峠に立つ道標。 「左 大三祢山 右 ま紀のを / 嘉永六年九月 / 信力若松組 岸和田講中 施主 先達 ××」。 光明皇后誕生所(碑)と同じく道標の上部には盃状穴が見られた。(画像左下)
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5月13日(日)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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酒蔵みてある記_久保本家酒造 |
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| 【2017_10_25~2018_02_14の記録】
<概略> 2018年2月3日(土)は近鉄の「酒蔵みてある記 久保本家酒造 初霞」に、現役時代の職場の同僚と参加した。 同僚のうちの一人が、「初かすみ 酒房」日本橋店や難波店に、時々飲みに行くそうで、それなら一度、酒造元へウォーキングを兼ねて訪ねてみようという話になった。 初かすみ酒房 日本橋店 食べログ 初かすみ酒房 – 久保本家酒造オフィシャルページ-
榛原駅から芳野(ほうの)川沿いに歩き、高塚バス停から県道217号を歩いて野依(のより)へ。 伊勢本街道に出て、途中、うだアニマルパークに立ち寄り昼食。 その後も伊勢本街道を歩き、宇陀松山地区を練り歩いて久保本家酒造に到着した。 帰路は道の駅から奈良交通の臨時バスに乗って榛原駅に戻った。
<その他> ・コース距離約8.6km。 ・実歩行距離約15.5km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km他、鶴橋駅近くでの反省会等を含む) ・歩数2万2千歩。
<コース> 9:56近鉄大阪線榛原駅(南口)_宇陀市役所前_下井足(しもいだに)口バス停前_芳野(ほうの)川と宇陀川の合流地点_宇陀川に架かる大王橋を渡る_芳野川の上流に向かって桜並木が続く左岸を歩く_芳野川に架かる二本杉橋を渡る_三十八神社(みそはじんじゃ)拝所前_上井足バス停前_芳野川に架かる橋を渡る_池上バス停前_ポケットパーク_八咫烏(やたがらす)神社鳥居前_高塚バス停前_県道31号線を横断_県道217号線を歩く_宇陀川に沿って歩く_うだ・アニマルパーク・昼食_宇陀簡易裁判所前_宇陀松山地区(旧城下町)_旧福田医院前_黒川家住宅(黒川本家)前_史跡 森野舊薬園前_R166を横断_久保本家酒造_<バス>榛原駅 反省会:鶴橋駅前 「うをさ」。
画像はこの日歩いた近鉄大阪線榛原駅から道の駅「宇陀路大宇陀バス停」までのGPSログを表示。 但し、この日はGPSを持たなかったので、2015年2月1日に歩いた同じコースのGPSログを加工して使用。
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| 画像中央:西山岳。 後方中央:熊ヶ岳(音羽三山)、後方左端:竜門岳。 うだアニマルパークにて。
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| 「特別純米 初霞」の試飲。 お代わりオッケー。
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| こちらは「純米吟醸 初霞」。 販売コーナーは別になっているので、気兼ねせずに飲めた。
尚、私は甘酒のふるまいコーナーで、土産に恒例の酒粕を買った。 500g 300円で格安。
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| 反省会は鶴橋駅前、「うをさ」 この日(2月3日)は節分で、巻ずしの販売に忙しい売り子さ0ん。(右)
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5月10日(木)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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