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2025年8月18日を表示

ハイドン 交響曲第45番 ジョヴァンニ・アントニーニ

ハイドン 交響曲第45番 ジョヴァンニ・アントニーニを視聴してみよう。
交響曲第45番 (ハイドン)
Giovanni Antonini

Haydn Symphony No. 45 | Il Giardino Armonico | Giovanni Antonini
【Google翻訳】
ヨーゼフ・ハイドン (1732-1809):交響曲第45番 嬰ヘ短調
イル・ジャルディーノ・アルモニコ | ジョヴァンニ・アントニーニ(指揮)
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2032年のヨーゼフ・ハイドン生誕300周年を前に、バーゼルのヨーゼフ・ハイドン財団は、バロック音楽、初期古典派音楽、そして古典派音楽の最も著名な専門家の一人であるジョヴァンニ・アントニーニの芸術監督の下、イル・ジャルディーノ・アルモニコとバーゼル室内管弦楽団によるハイドンの交響曲全107曲の演奏と録音を企画、制作、資金提供し、プロジェクト「Haydn2032」を展開しています。



8月18日(月)14:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

御影駅_東谷橋_打越山_七兵衛山_岡本梅林9

上流から水を引く為の水路だろう。
水路を跨ぐ木の足場が置かれている。



踏み跡が続く。


水路に架けられた丸太の橋。


お地蔵さんだろうか。


大規模な石垣の遺構が見えてきた。
ほとんど崩れていないように見える。

つづく。



8月18日(月)06:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

御影駅_東谷橋_打越山_七兵衛山_岡本梅林8

平坦な場所に出る。


水路らしきがある。
上流から水を引いて、水車小屋が軒を連ねていたのだろう。



平坦なところには水車場や小屋があったと想像出来る。


更に上流へ向かう。


下草が刈り取られているので歩きよい。
地域のボランティアの方々によるものだろう。

つづく。



8月18日(月)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

御影駅_東谷橋_打越山_七兵衛山_岡本梅林7

「みどりの聖域(緑地の保存区域等)」の看板があるが、この辺りゴチャゴチャしている。


水車小屋が軒を連ねていた頃の住居跡?
画像の物置は新しい。
現役だろう。



かつては人が住んでいた様子。


灘の酒米の精米に使われていた石臼?


「五輌場 C地点」と記されたプレートが木に括り付けられている。
【AI による概要】
五輌場(ごりょうば)とは、かつて六甲山地の住吉川上流、東谷川左岸にあった水車小屋の跡地のことです。
特に、複数の水車小屋が連なっていた場所を指し、かつては「八輌場」や「五輌場」と呼ばれていました。
これらの水車は、米の精白や製粉に使われ、地域の産業と文化を支えていました。
現在では、その石組みや石臼などが遺跡として残されており、地域の歴史遺産として保存・活用されています。

つづく。



8月18日(月)06:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

御影駅_東谷橋_打越山_七兵衛山_岡本梅林6

この私製の道標は「←石切道」、「水車小屋跡→」と表記されている。
先程の道標にあった住吉道をここでは石切道としている。
住吉道は白鶴美術館前から六甲山最高峰までのコースで距離7.8km。
石切道は白鶴美術館前から六甲ガーデンテラスまでのコースで距離4.2km。
二つの道は、途中の五助ダム付近で分岐する。

尚、コースは直進して「水車小屋跡→」へ向かうので、二つの道は、どちらも歩かない。



ここで小休止となる。

直進はすぐに右折。(赤矢印)



右折すると小さな橋がある。
その手前、左に道標。(赤四角)



道標には「水車小屋跡→」「旧五輌場→」と記されていた。


住吉川に架かる小さな橋は「東谷橋」と記されている。
撮影した画像では、読みにくい。(赤四角印)
コースはこの橋を渡る。

尚、ここから先、下記のサイトが参考になる。
【参考】
活動地に残る遺構(住吉川水系の水車小屋跡地

つづく。



8月18日(月)06:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

御影駅_東谷橋_打越山_七兵衛山_岡本梅林5

この先、分岐。
コースは直進。



直進して「↑五助ダム・六甲最高峰」方面へ向かう。
左折の「←住吉台」は住宅地。



「←東谷水車小屋跡」を示す道標(赤四角印)とその上に説明板。

水車小屋跡

住吉川には、すでに17世紀はじめに小規模な水車が架けられ、菜種や綿種の油を絞るのに利用されていた。
その後、精米や製粉にも利用され、特に酒米精製に不可欠となった。
明治末から大正中期の全盛期には80余棟水車場が軒を並べていたが、今では谷あいに跡を残すのみとなっている。
    東灘区役所



この先、分岐。
コースは直進。(赤矢印)



この道標は、左上が「←五助ダムを経て六甲最高峰 住吉道」を指している。
しかし、直進の行先表示はない。

つづく。



8月18日(月)06:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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