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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年12月14日を表示

No.11木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

このあたりの建物は地盤面から高く造られている。
これは浸水被害の対策だろう。
木津川に近いので過去に幾度となく洪水に遭っているとみられる。



特に蔵は高く造られているようだ。


京阪バス戸津バス停前を通過。
住所表示板によると「八幡市戸津南小路(とうづみなみしょうじ)」。
浄音寺前を経て京阪バス西戸津バス停を過ぎると戸津八幡神社前に到着。(画像)
ここから戸津集落を離れ西へ向う。



大谷川に出合い堤に沿って下流へ歩く。
桜並木が続く。
大谷川は防賀川と合流し、やがて下流の木津川へと注ぐ。



防賀川沿いから眺めた男山。
丘陵地というイメージだが、ここが生駒山地の北端。
因みに生駒山地の南端は大和川で南北35km余り。

つづく。



12月14日(土)17:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.10木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

八幡市内里(うちさと)から戸津(とうづ)の集落へ向う途中には無人販売所が幾つか置かれている。

画像は道端の祠に祀られていた石仏二体。
右側の石仏は舟形光背が欠けている。
石の色が黄ばんでおり、おそらくは屋根がない状態で長い間、野に置かれていたものを、最近になって祠の中に納めたのでは。



有智郷(うちごう)農協農業倉庫の前を通ると角地に道標が立っている。

西に向かって東側の面には「西 八幡志水八丁 八幡宮十六丁 京阪電車停留所二十丁 橋本一里 京阪電車樟葉乗場一里 山崎一里十丁」。
“京阪電車停留所”などの言葉から明治時代以降の近代に作られたものとわかる。
“八幡志水”とは東高野街道沿いにある集落の名前で、現在の住所表示では八幡市八幡清水井付近。
“八幡宮”は石清水八幡宮。



こちらは反対側、東に向かって西側の面には「東 内里八丁 上奈良八丁 上津屋十五丁 松井二十丁 岩田渡船所三十丁 寺田一里余」。
“岩田渡船所”の場所が具体的に何処かわからないが興味は湧く。
今の距離にして3km程度なので現在の八幡市岩田地区にあって、当時木津川を渡船したところだろう。
“寺田”は城陽市寺田とみられる。

この道標の北面には「昭和三年春 京都三宅安兵衛依遺志建之」と彫られている。
三宅安兵衛については下記サイトを参照。
三宅安兵衛
三宅安兵衛の碑

更に南面には「北 下奈良渡船場十丁 下津屋十二丁 田井十五丁 宇治一里半 川口渡船所十丁 淀一里」と彫られているようだ。



先ほどの“岩田渡船所”が少し気になったので、今昔マップを開いてチェックしたところ、おそらく画像で“岩田渡船所”と赤色で追記したところだろう。
尚、この地図(画像)は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したもの。



道標を後にして戸津(とうづ)の集落の中を西へ歩く。

画像は道沿いに祀られていた石仏群。
ここでも仏花が供えられている。

つづく。



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