No.13木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標) |
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| 前方に太鼓橋が現れる。 安居橋(あんごばし)で、駒札の説明板によると名前の由来は諸説があるようだ。 安居橋 - Wikipediaによると、 「橋が架けられた時期は不明であるが、1614年-1624年に架設されたという一説の記録が最古のものである。 江戸時代の放生川には、今よりも多くの橋があったとされ、川上から「五位橋」「安居橋」「六位橋」「高橋」という順番に架かっていた。安居橋は当初、五位橋の後に架けられたため「相五位橋」と称され、後に訛って「安居橋」へと変化していったという説が有力である。」
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| 太鼓橋は欄干が朱塗りのイメージがある。 元は朱塗りで色あせたようだ。 京阪沿線の名橋を渡る
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| ここにも道標を兼ねた石碑が立つ。 「安居橋 左 反橋跡半丁 昭和二年十月 京都三宅安兵衛依遺志建之 右 淀屋旧邸 單傳菴」。
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| 参加者の中に石清水八幡宮へお参りしたいという人が現れたのでお参りすることになった。 徒歩組とケーブル組とに分かれる。 後でわかったが、ケーブルに乗っても石清水八幡宮本殿までは歩かなければならない。 また、ケーブルに乗る時間待ちもあって、結局、徒歩組の方が早く到着した。
徒歩組は摂社の高良神社鳥居前から表参道を歩いた。 画像は表参道に立つ道標。
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| 参道の途中に石柱が立つ。 「舊跡 かげ起よ」と彫られている。 “かげきよ”とは、影(姿)を清めるほどの意味で、昔、このあたりにあった清水に己の影を写して心身を祓い清めたことに由来するようだ。
つづく。
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12月15日(日)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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No.12木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標) |
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| 防賀川に架かる橋を渡らずこれを右に見て左折。(西) 八幡市役所前を経て東高野街道に出る。 以後は街道を北へ歩く。 住所表示板には「八幡市八幡今田」と記されていた。
八幡市立八幡幼稚園、市立八幡小学校の校舎を右に見て市立八幡市民図書館前に到着。 画像は図書館前に立つ道標と石碑。 右の石碑には「金剛律寺故址 京都元標四里三十二丁」と彫られている。 道路元標からの距離を表示しているのは珍しいと思う。 左は東高野街道の道標で「石清水八幡宮一ノ鳥居まで 約0.7km← 松花堂庭園まで 約1.9km他」が彫られている。
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| こちらは道標を兼ねた石碑。 「正平役園殿口古戦場 左 本妙寺半丁 右 法園寺二丁」と彫られている。
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| 東高野街道を石清水八幡宮方面へ歩き泰勝寺前に到着。 山門の前に石碑を兼ねた道標が立つ。(画像の左下) 「松花堂舊跡 昭和二年十月 京都三宅安兵衛依遺志建之 神應寺二丁 頼風塚」。 道標を兼ねているところが実用的でよいと思う。
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| やがて相槌神社と覆屋が建ち並び「山ノ井戸」と彫られた石碑が立つ。
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| こちらの石碑も道標を兼ねており「山ノ井戸 八幡泉坊跡二丁 右 松花堂墓所十間 昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之」と彫られている。
画像の右奥が山ノ井戸。 鍵が掛かっており井戸の中は覗けず。
つづく。
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12月15日(日)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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