忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池19
堤から北方向の展望。 中央の集落は忍阪。 忍阪の右後方のピークは外鎌山。 奥の稜線は左のピークが三輪山。 三輪山はこの方向から眺めると円錐形には見えない。
堤から南方向の展望。 倉橋溜池と左の稜線は音羽山の稜線。
龍吟橋を渡る。 倉橋溜池は別名「竜吟鏡」(りゅうぎんきょう)とも呼ばれ、その名前を取って龍吟橋となったようだ。倉橋溜池
歩いて来た方向を振り返って撮影。 右の建物は管理施設。 右後方は音羽山。
コースはこの先を歩くが「関係者以外立入禁止」の立て看板が掲げられていた。 つづく。
11月28日(火)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池18
古墳の周りに踏み跡が続いていたので歩いてみることに。
振り返って入口の獣避け金網付近を撮影。
踏み跡は小さな森の周囲を周回するようなので、途中で引き返した。 画像は畑の柵に植えてあったツルムラサキ(蔓紫)の実だろう。
倉橋溜池へ向かう。 リーダーによると、今回はいつもと違い時計回りと逆の方向に歩くという。
巨大な堤。ここを歩くのは初めて。 分かりにくいが、前方にクルマ止めのチェーンが掛かっている。 そして、駐車しているクルマの上に少しだけ白い建物が見えるのが、粟原の棚田で見たのと同じ桜井市グリーン・パーク。 つづく。
11月28日(火)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池17
獣避けの金網の扉を開閉して入る。
畑に設けられた柵に沿って歩く。
茂みの中へ入る。
右へ。
ここが石室の入口。 中に入れるようだが、不気味なので遠慮した。 照明器具を持っていたとしても躊躇してしまう。 誰も中に入らなかったようだ。 つづく。
11月28日(火)06:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池16
天満神社の境内を撮影。 菅原道真公をお祀りするだけあって梅の木が植栽されている。
粟原寺跡を後にする。
来た道をR166下尾口バス停の手前まで戻る。 信号機のある交差点を左折(南)。 次のチェックポイント「←天王山古墳」へ向かう。
桜井市下り尾(さがりお)の集落を南へ歩く。
やがて右手に天王山古墳の説明板が立っている。 「史跡 天王山古墳 昭和二九年三月一七日指定」 「東南方から北西方にのびる屋根上に営まれた方墳で、この屋根上には他にも多数の小古墳が散在している。 墳丘の一辺は約四五メートル、高さ約九メートルを測り、うちに家形石棺を蔵する雄大な横穴式石室が南に開口している。 石室は巨大な花岡岩を架構したもので、玄室の長さ約八・五メートル、幅約三メートル、高さ約四・二メートル、羡道の長さ約八・五メートル、幅約一・八メートル、高さ約二メートルである。 玄室の中央には棺身の長さ二・四メートル、幅一・二メートル、身蓋を合わせた高さ約一・八メートルの巨大な刳技式の家形石棺が置かれている。 なおこの棺身の羨道に面した側の上辺中央に方形小孔か彫り込まれているのが注意される。 副葬品については明らかでないが、石室や石棺の型式から六世紀後半に築造されたものと推定される。 この古墳はその名の示すごとく、江戸時代には崇峻天皇陵に擬せられていたもので、墳丘や石室の規模からも、大化前代の支配者層の墳墓を考えられる。 近畿地方における古墳時代後期の代表的な方墳として著名である。 奈良県教育委会」 つづく。
11月27日(月)06:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池15
地蔵菩薩座像と見られるが、なんだか宇宙人っぽく見えたりもする―笑。
お堂の中には観音菩薩様らしきが祀られていたが、紅白の幕?が邪魔をしてよく分からない。 高ルーメンのライトを借りて撮影したが、仏像の正体がよくわからないということが分かった―笑。
隣接する天満神社の鳥居と拝殿。
狛犬の台座に刻まれた“献”。 南へんを表現する刻み方が独自。
こちらは“奉”だが、これも部首の“大”の部分が面白い形になっている。 “十”を三個並べた下に“ひとやね”らしき部首が見える。 つづく。
11月27日(月)06:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池14
歴史街道の「粟原寺跡(国指定史跡)」案内板。 「粟原集落南端の天満神社境内及び、隣接地に、塔跡・金堂跡が残り、標高二六〇m前後に位置する。 この粟原寺建立のいきさつを刻んだ三重塔の伏鉢(フクバチ)は、談山神社蔵(国宝)として残っている。 その銘文によると、中臣大島(なかとみのおおしま)が草壁皇子(くさかべのおうじ)のために発願し、比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が持統天皇八年(694)から造営を始め、和銅八年(715)に完成したことがわかる。」
十三重石塔前で昼食中。
昼食後、付近を見渡すと、お堂が見えたので立ち寄ってみた。
お堂の横に何体かの石仏他が置かれていた。
青面(しょうめん)金剛。 やや眉毛がつり上がっているように見える。 つづく。
11月27日(月)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池13
ここから先、「2t車以上 通行禁止」となっている。
十三重石塔だが、相輪と呼ばれる上部が傾いている。
「史蹟 粟原寺址」と刻まれた石柱。
役行者像。 かなり年を召されたお姿となっている。
礎石が並んでいる。 つづく。
11月27日(月)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池12
更にこの上にも民家が建ってあった。
分岐。 ここは直進したが、右方向にも道があった。
こちらが右方向の道。 この先、道は周回していて、どちらから行っても同じところに辿り着く。
巨樹が見られた。 そして、ごく最近、手入れされたようだ。
ここまでクルマで登って来られるだろう。 何台か駐車できるスペースがある。 つづく。
11月27日(月)06:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池11
正面の電柱にある「粟原寺跡→」の道標をチェックして右折。
すぐに三叉路となり左上へ。
後続の人達を暫く待つ。 画像は先程の三叉路を振り返って撮影。
足元にサフランの花が咲いていた。
「粟原寺跡→」の道標を見て進む。 つづく。
11月26日(日)05:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池10
ザクロ(石榴)と云えば、最近、韓国産の「美酢ざくろ」をチャーハイにして飲んでいる。
段差のある川の水を手元で利用出来るよう竹を使って工夫している。
この先、コースは直進。 橋を渡って左は近畿自然歩道・旧大宇陀町方面。 左に道標が立つが、文字が読めなくなっている。 僅かに「・・自然歩道 奈良県」。
フユザクラ(冬桜)だろう。 ジュウガツザクラ(十月桜)とも呼ばれるようだ。 厳密には違うらしいが。
キダチチョウセンアサガオ属とみられる。キダチチョウセンアサガオ属 つづく。
11月26日(日)05:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池9
黄金に染まった棚田の中に赤色の火の見櫓がポツンと建つ。
カリン(花梨)の実が沢山生っていた。 カリンは生食が出来ない。 果実酒にでもなるんだろう。
この先、三叉路。 コースは直進。
←粟原寺跡と、←大宇陀町・近畿自然歩道の道標も立つ。 尚、現在市町村合併により大宇陀町は消滅。 宇陀市となっている。
この石仏は磨崖仏とは限らないが、元は一つの石(岩)が二つに割れたように見える。 つづく。
11月26日(日)05:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池8
渋柿だろう、多分―笑。
フジの実。フジの実
ミツバチの巣箱を発見。
サルトリイバラ科のシオデかタチシオデの実。 サルトリイバラの実は赤いのでこれとは違う。
粟原川から離れ、橋を渡って南へ。 坂道を登ると棚田が広がっていた。 画像中央右に見える白い建物は桜井市グリーン・パーク。(ゴミ焼却所) つづく。
11月26日(日)05:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池7
石位寺の表参道?の石段を降りる。 手摺は最近、設けられたようだ。
引き続き忍阪街道を歩く。
忍坂街道の説明板。 【参考】忍坂街道一般社団法人 桜井市観光協会公式ホームページ
街道沿いで見たイチヨウの木。 ギンナンの実が沢山生っていた。
右、粟原川(おおばらがわ)に沿って歩く。 左はR166。 つづく。
11月26日(日)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番 佐藤俊介&オランダバッハ協会
バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番 佐藤俊介&オランダバッハ協会を視聴してみよう。第4番 佐藤俊介 (ヴァイオリニスト) Netherlands Bach Society Bach - Brandenburg Concerto no. 4 in G major BWV 1049 - Sato | Netherlands Bach Society 0:00 Allegro 6:41 Andante 10:20 Presto ......... Netherlands Bach Society Shunske Sato, violin and directionVIDEO 【参考:ブランデンブルク協奏曲第4番】 バッハ ブランデンブルク協奏曲 クラウディオ・アバドhttp://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64n461AF1B55/1/ バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63zE6083DD73/1/ 【参考:佐藤俊介】 バッハ (無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番ニ短調 BWV1004 佐藤俊介 2015http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64ap62189B6A/1/ バッハ ヴァイオリン協奏曲第1番(BWV 1052R) 佐藤俊介 2018http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc662e6550B288/1/
11月25日(土)19:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池6
静かな佇まいの忍阪街道を歩く。
畑に植えられていたダリア。 手前の紅葉している葉はオタフクナンテンだろう。
石位寺の裏参道、取り付きに到着。 花壇がよく手入れされている。 画像の右後方から続く坂道を登ると境内。
「高円山 石位寺」の説明板。 この説明板も忍坂坐生根神社と同様、最近、新調されたようだ。 「伝 薬師三尊石仏」で知られる石井寺は、いずれの宗派にも属さない無住寺で、忍阪区で管理しています。 【一部割愛】 入江泰吉の写真でも知られる寄棟造りの旧本堂(薬師堂)は老朽化で惜しくも昭和53年(1978)に建て替えられました。 この旧本堂は元禄2年(1689)12月、領主と関係があった奈良奉行の大岡忠高が、資金を助力して建立されたと言われていますが、寺の歴史については、諸説があり定かではありません。 本尊は、白鳳時代(644〜710)に製作されたと思われる我が国では最も古い石彫りの三尊仏として『国の重要文化財』に指定されています。 丸みをおびた安山岩(諸説あり)に彫刻されています。 中尊は方形の台座に腰掛けた如来形で、頭上に天蓋が、背後に頭光と背もたれが表現され、両脇侍は合掌して立ち頭光が描かれています 三尊とも薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく現れており、布の質感も巧みに彫りだされています。 作られたときは彩色されていたらしく、そのあとが像の唇と着衣に僅かに残っています。 石仏は、万葉歌人・額田王が晩年信仰したとも伝わります。 1300年以上前に、作られたれたとは思えないくらい保存状態もよく、この石仏の前に座っているだけで、慈愛に満ちた石仏さんの心が伝わり、「ずっとここにいたい」そんな気持ちになる石仏さまです。 【一部割愛】
説明板の「伝・薬師三尊石仏」をズーム撮影。 つづく。
11月25日(土)06:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理