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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 

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おおばこの会(24年1月~24年6月)予定表

おおばこの会(24年1月~24年6月)予定表をリンクします。


11月19日(日)22:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社5

「神社名 「稚櫻(わかざくら)神社」の由緒」

日本書紀によると「第十七代履中天皇三年(西暦四0二)冬十一月六日、天皇が両枝船を磐余の市磯池(神社の東側にあった池)に浮かべて、遊宴ばれたとき膳臣 余磯が酒を奉った。
その酒盃に櫻の花びらが散ってきた。
天皇は、大変不思議に思われ、物部長真胆連をよんで「この花は季節外れに珍しく散ってきた。どこからだろうか探してこい。」といわれた。
長真胆連は花を探したづねて、掖上室山で花を手に入れて奉った。
天皇はその珍しいことを喜んで宮の名とされた。
磐余稚櫻宮の由緒である。
長真胆連は本姓を改めて稚櫻部造とし膳臣 余磯を名づけて稚櫻部臣という、」と記されている。

稚櫻神社の御祭神・・<以下の詳細を割愛>
○出雲色男命
○去来穂別命(履中天皇)
○気長足姫命(神功皇后)



石段を登って、東に向きを変えると、建物(神庫?)がある。
更に石段が正面(画像)と左側にもある。



こちらは左側の石段。


これらを登ると、左手に拝殿が建つ。


拝殿を正面から撮影。

つづく。



11月19日(日)05:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社4

来た道を歴史街道の道標が立つ場所まで戻り、吉備池の西側に続く小道を南方向へ歩く。


案山子。
稲刈りが近い。



地蔵菩薩立像。
きりりと引き締まったお顔をされている。
足元や蓮華の部分が丁寧に作られている。
全体的にスマートで形が良い。(あくまで個人的な感想)



稚桜神社、妙法寺を示す道標。
“稚桜”は“わかざくら”と読む。
少し気になる名前。
予定にはなかったようだが立ち寄ることに。



稚桜神社鳥居。
所在地は桜井市池之内字宮地。

つづく。



11月19日(日)05:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社3

この広大な池が、
1.江戸時代に造られた溜池であること。
2.それ以前の大昔、飛鳥時代の639年、第34代舒明天皇によって建立された百済大寺(くだらのおおでら)が建っていたことが、近年の発掘調査によって確実視されていること。
3.百済大寺は奈良市の南都七大寺の一つ大安寺の前身とされること。
以上の3点について驚きを禁じえなかった。
正直なところ、“吉備”は、奈良県に数多くある、昔の国名を地名とする土地の一つという認識しかなかったので。



地蔵菩薩の下に「明治三? 水死惣㳒??」と刻まれているので、この池で水死された方を弔う石仏だろう。


吉備池を時計回りと逆方向に一周してみた。


渋柿ではなさそうだ―笑。


吉備池廃寺

「東西約230m、南北280m以上の広大な寺域をもつ古代寺院。
吉備池の南側で行われた発掘調査で大規模な金堂や塔の基壇が確認されたほか、回廊や僧坊、付属施設と考えられる建物群が見つかっています。
これにより東に金堂、西に塔を配し、それらを回廊で取り囲む法隆寺式伽藍配置をとることが明らかとなりました。
このような大規模な伽藍から、天皇の発願による最初の寺院であり、舒明11年(639)に建立がはじまった「百済大寺」の跡であると考えられています。
 桜井市教育委員会」

つづく。



11月19日(日)05:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社2

R165に出ると、普段、クルマの車窓からよく見る風景を目にした。
吉備の交差点でR165を横断。



目当ての吉備池廃寺跡は東方向なので次の辻で左折。(東)


桜井市が設置している歴史街道の道標があったので立ち寄る。
安倍文殊院方面を直進に見送り、吉備池へ右折。



するとこんなところに「神武天皇聖蹟 磐余邑顕彰碑」が建っていた。


春日神社を左に見送り、直進すると「史跡 吉備池廃寺跡案内図」が立つ。

吉備寺廃寺は桜井市吉備にある古代寺院跡です。
この地には吉備池という江戸時代に造られた溜池があり池の東南の隅と南辺の堤の大きな土段で瓦片が見つかることで知られていました。
この地に初めて発掘のメスが入ったのは1997年で池の護岸工事に伴い桜井市教育委員会と奈良文化財研究所で共同調査が行われました。

吉備池廃寺跡

つづく。



11月19日(日)05:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社1

2023年9月30日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは香久山周辺を散策。

コース:近鉄大阪線大福駅_吉備池廃寺跡_稚櫻(わかざくら)神社_東池尻・池之内遺跡(磐余池推定地)_御厨子(みずし)神社・昼食_万葉の森_天香久山_國常立(くにとこたち)神社_天岩戸神社_紀寺跡_本薬師寺跡_近鉄橿原線畝傍御陵前駅

画像は当日歩いたGPSログ。



大福駅は地上駅だが、改札・コンコースは地下にある。
南出口から地上に出る。
この駅で乗り降りするのは、初めてではないかと思う。



駅から南方向へ歩く。
すぐにJR桜井線(万葉まほろば線)の踏切を横断。



JR桜井線は単線。


暑いので服装調整を兼ねて大福・吉備公園で小休止。

つづく。



11月19日(日)05:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ソニー・クラーク Forever Is Now

ソニー・クラーク Forever Is Nowを視聴してみよう。
ソニー・クラーク

Sonny Clark Forever Is Now
01. On Green Dolphin Street 00:00
02. I Didn't Know What Time It Was 06:22
03. Nancy With the Laughing Face 10:42
04. Deep Night 17:03
05. Softly as in a Morning Sunrise 26:35
06. The Things We Did Last Summer 33:07
07. Sippin At Bells 39:00
08. Moon River 47:17
09. My Favorite Things 52:51
10. Tadd's Delight 01:01:20
11. I'll Remember April 01:07:22
12. I Concentrate On You 01:12:17
...........
Credits;
Tracks 1,3,6,8,9 & 12
Piano – Sonny Clark Drums – Art Blakey, Louis Hayes Guitar – Grant Green Bass – Sam Jones
Tracks 2,5,10 & 11
Sonny Clark - piano Paul Chambers - bass Philly Joe Jones-Drums
Tracks 4 & 7
Piano – Sonny Clark Alto Saxophone – Jackie McLean Bass – Paul Chambers Drums – "Philly" Joe Jones Trumpet – Art Farmer


【参考】
ソニー・クラーク with Max Roach & George Duviv
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64VM617BAB43/1/
ソニー・クラーク Leapin' and Lopin'
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63tR60AF512E/1/
ソニー・クラーク Sonny's Crib
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc61Eq5F5C8C53/1/
ソニー・クラーク Sonny Clark Trio(Blue Note)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc60915ECB95B4/1/
ソニー・クラーク クール・ストラッティン
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc60DD5E941E43/1/



11月18日(土)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋11/11

この吊橋は文化庁登録有形文化財となっている。
下記、かしわらイイネットによると、
遊園地へ行くために架けられた玉手橋。五径間吊り橋として文化財に

「玉手橋は五径間吊り橋という形状をしています。
「径間(けいかん)」というのはシンプルに説明すると橋台と橋脚や、橋脚間の箇所を意味します。
それが5つもあるのは非常に珍しいそうです。」



玉手橋から眺める石川の流れ。(上流方向)


玉手橋を渡ると正面に近鉄南大阪線が通っており、踏切を横断して右折。


ほどなく近鉄道明寺駅に到着。


道明寺駅から近鉄道明寺線~JR柏原駅~近鉄生駒線~近鉄奈良線で帰宅した。
画像は道明寺駅に停車中の柏原行電車。

おしまい。



11月18日(土)06:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋10

「大坂夏の陣古戦場」の説明板。
最新情報として下記柏原市のサイトを参照。
玉手山と大坂夏の陣



昼食を済ませ、その後、園内を見て回った。
冒険の広場はチビッコ向けなのでスルー、コミュニティ広場にやって来た。
画像の野外劇場はなかなか立派。
休日にはイベントが行われているのかもしれない。
ステージの左に見える建物は展示館(昆虫館・歴史館・おもちゃ館)で中に入ってみた。



その後、メイン広場を経て中央出口から退場。
画像は中央出口を振り返って撮影。



住宅地に出てから、道なりに西方向へ歩くと石川に出合う。
画像は石川に架かる玉手橋。(吊橋)

ウィキペディアによると、
「1928年(昭和3年)当時の大阪鉄道(現:近鉄)が、道明寺村(現:藤井寺市)側にある道明寺駅から石川対岸の玉手村(現:柏原市)側にある玉手山遊園地への通行路として設置」。
玉手橋



この吊橋を渡るのも初めて。
建設当時からクルマが通行する設計にはなっていないようだ。

つづく。



11月18日(土)06:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋9

柏原市立玉手山公園の東入口から入場。
入園は自由。(無料)



「小林一茶の碑」を左に見送り直進すると、「後藤又兵衛基次之碑」が、やや傾き加減に建っている。


「玉手山古墳と石室について」の案内板。

「玉手山公園一帯にはたくさんの古墳があります。
そのうち公園の中や付近の古墳は調査を終了したので、石室と石棺をここへ移しました。
この左側のは竪穴式石室で前方後円墳の墳頂にあったもので、内部は腐食していましたが、副葬品としての青銅の鏡、硬玉の勾玉、碧玉の管玉、鉄の刀や斧などが納められていました。
西暦四世紀頃の豪族の墓です。
右側のは組合せ式の家形石棺です。
これは横穴式石室にはいっていた石棺でした。
これらは須恵器などとともに発見されました。
西暦六世紀の豪族の墓です。
なお、安福寺境内にある横穴も六世紀のお墓です。
 柏原市」。



案内文にある竪穴式石室。


こちらは案内文の組合せ式の家形石棺。

つづく。



11月18日(土)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋8

「安福寺墓地参道にて関係者以外通行をお断りします。
玉手山公園へはこの道からは入場出来ません。 安福寺」。
この注意書きを読んで引き返したが、後ほどTリーダーから聞いた話では、この墓地参道を歩いて玉手山公園へ行ったという。



来た道を引き返す。
途中、伯太彦神社に立ち寄る。
尚、これまでの経過から、“伯太姫神社”も、この近くに存在する。
所在地:柏原市円明町517



更に参道を歩き、山門前に到着。
画像は山門前に建つ伯太彦神社の鳥居。



再び「玉手山1号墳」の説明板が立つ辺りまで戻り、南方向、玉手山のピークへと向かう。
画像は玉手配水池の施設。
ここを左折。



山頂を目指して道なりに進むと、柏原市立玉手山公園の案内図が立っていた。
ここを訪れるのは初めて。
地図によると、現在地は東入口。
この地図は上が北西を表示している。
この後、4.歴史の丘、後藤又兵衛の碑が立つ付近で昼食。
昼食後、5.冒険の広場はスルー、2.コミュニティ広場、野外劇場前、展示館を見て回り、
1.メイン広場を経て中央出口から退場した。

つづく。



11月18日(土)06:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋7

先程の柏原市のサイトによると、
「これらの横穴は、出土している数少ない土器から判断すると、6世紀中~末とされる。」
(6世紀=西暦501年から西暦600年までの100年間)
6世紀



引き続き安福寺の参道を歩く。
玉手山安福寺



「重要文化財 割竹形石棺蓋」の説明板。
下記柏原市のサイトによると、
割竹形石棺蓋

「玉手山3号墳から出土し、移されたと伝えられています。
石材は讃岐(香川県)の鷲ノ山(わしのやま)産の凝灰岩を使用したもので、同様の形態の石棺は大半が四国の前期古墳から出土しています。」



「重要文化財 割竹形石棺蓋」。


参道を更に進むと、裏門らしきが建っている。
そして、右の木の根元に何やら注意書きのようなものが見えた。

つづく。



11月18日(土)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋6

「右ハ たまて山 あんふく寺ミち 施主 釈妙井」と刻まれているようだ。


安福寺の山門、ここから境内に入る。


安福寺参道脇の横穴と説明板。


説明板によると参道の両脇に、*三十五基の横穴があり、その内の一基。
*その後の調査で現在は四十基。



説明板「府史跡 安福寺横穴群」。
最新情報として下記柏原市のサイトを参照。
安福寺横穴群

つづく。



11月17日(金)06:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋5

「玉手山1号墳」の説明板。
下記柏原市のサイトによると、
玉手山1号墳

「玉手山1号墳は今から1700年ほど前の古墳時代前期に築かれました。
全長約110mの前方後円墳で、前方部を北に向けています。
これまでの発掘調査により、前方部と後円部の接続部分であるくびれ部では、白色の円礫が敷かれたテラス面が見つかり、埴輪が立て並べられていたことがわかりました。
後円部は4段もしくは3段と考えられ、墳頂部では板石を積み上げた方形の壇が見つかっています。
その中心に竪穴式石室が存在すると考えられます。
ただし、大坂夏の陣(慶長20年、1615年)で亡くなった奥田三郎右衛門忠次の墓碑があるため、調査は実施されていません。」



「大坂夏の陣と小松山の戦い」の説明板。
「この付近は小松山と呼ばれ、慶長二十(一六一五)年五月六日日、豊臣・徳川最後の決戦となった大坂夏の陣で戦場となったところです。
豊臣方は、外濠・内濠を埋め立てられて裸城同然となった大坂城を出て河内、和泉の諸所に布陣。
後藤基次・薄田兼相ひきいる一軍は道明寺に進出して小松山を占拠。
国分に到着した水野勝成・本多政明・伊達政宗らを主力とする徳川軍との間で激戦が繰り広げられました。
翌七日には大坂城も落城し豊臣氏は滅びました。
背後の丘(玉手山一号墳)の頂には、徳川軍の先鋒として小松山に攻め上がり討ち死した奥田忠次と家臣五名の供養碑が建てられています。
 二〇〇九年三月 柏原市教育委員会」



その後、玉手山三号墳を見学しようとした。(玉手山二号墳は墓地となっていたのでスルー)
しかし、入口が分からず「宗教法人 普明會教團」の敷地内に入ってしまったのでここもスルーした。
三号墳の北端、市立老人福祉センター付近に入口があるのかもしれない。

次の目当てである安福寺横穴墓群へ向かうが、道標があった。



坂道を下ると伯太彦神社の鳥居がある。
安福寺は左へ進む。
尚、赤丸印のところに、道しるべと力石がある。



道しるべ(左)と力石(右)。

つづく。



11月17日(金)06:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋4

石仏は不動明王。


片山廃寺塔跡の説明板。
説明文によると、出土した軒瓦から、塔の創建は七世紀末~八世紀初頭であった。



片山廃寺塔跡を後にして、丘陵地の更に標高の高いところへ向かう。
勝松山公園で小休止。
その東側に玉手山1号墳と奥田忠次墓碑(大阪夏の陣)を示す道標がある。
画像の石段を登る。



奥田忠次墓碑が建つ墓地からは東南方面の眺望が開けていた。
その他は潅木が生い茂り、見晴らしは良くない。
もし潅木がなければ、360度パノラマだろう。



玉手山1号墳から南へ歩くと、道標と説明板が二つ立っている。

つづく。



11月17日(金)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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