山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

No.42神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

阿紀神社境内。
右、常夜燈の奥の建物は説明板にある能舞台。



能舞台。
“あきの蛍能”として、毎年六月中旬に能楽が催される。



神門。


摂末社の奥に本殿。


神明造の本殿。
神明造

つづく。



1月22日(金)05:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.41神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

阿紀神社を目当てに歩く。


右は阿紀神社、鎮守の森。
手前の小さな建物はトイレ。
左は本郷川。



阿紀神社
神武天皇紀州熊野の難所を越し大和国宇陀へ出て当地阿騎野において御祖の神を敬祭り国中へ押出すとき朝日を後に戴きて日神の御位勢をかり賊軍を打ちはらい御運を開かせ給ふと当社古文書にあり祭神は伊勢神宮と御同体の天照大神社殿は神明造り南向と伊勢神宮と全く同じ建て方になっております。
境内にある能舞台は宇陀の地が元和以来織田藩の治所となり三代長頼公時代に始められたものといわれている。
大宇陀観光協会



縣社 阿紀神社縁起
社名 阿紀神社 元阿貴宮又ハ神戸大神宮ト稱ス
祭神 天照坐皇大神 秋姫命
   八意思兼命 天手力男命
延喜式内社 宇陀郡十七座ノ中鍬靱奉幣社也
由緒 大國主神ノ孫姫、秋毘賣神、宇陀ノ荒野ヲ柘殖経営シ給ヒ秋野ノ狭間ヲ万代ノ宮處ト擇ビ定メテ鎮座シ給ヘルガ此ノ神社ノ創始ナリト云フ神武天皇御東征ノ砌リニハ此宮處ニ大?ヲ樹テ給ヒ天神地祇ヲ祀ラレ崇神天皇六十年ニハ皇女倭姫命天照大神ノ御杖代トナリ四ヶ年間此宮ニ斎キ奉ル今ヲ遡ル二千餘年前也
祭日 例祭十月十七日 地方例祭旧八月十六日煙火祭ヲ行フ
社格 縣社 明治三十五年列格元郷社
   奈良縣宇陀郡神戸村迫間小字吾城野鎮座
   阿紀神社々務所



阿紀神社入口。

つづく。



1月22日(金)05:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.40神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

天益寺は阿紀神社の元神宮寺だったので、阿紀神社関連の神社を祀っているのかもしれない。


休憩後、天益寺を後にする。
ササの葉が積もった山道を下る。



この街灯は山道にふさわしくないようだ―笑。


暫くして舗装された道に降り立つ。


歩いて来た山道を振り返って撮影。
コースは下の道を直進。

つづく。



1月21日(木)06:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.39神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

天益寺に到着。


「天香久山 天益寺(てんやくじ)」の寺号標が掲げられている。
入口は閉まっており、あまりお寺らしくないイメージ。
無住寺のようだ。

宇陀市観光協会情報サイトなどによると、
天益寺は小高い丘に立つ高野山真言宗の寺。
鎌倉末期から室町時代に創建された茅葺の本堂がありましたが1999年に火災で焼失。
現在は再建に向けて取り組まれています。
境内にある桜の樹齢は約350年といわれています。
樹種は江戸彼岸系の枝垂桜です。



小高い丘に建っているが、潅木が生い茂り展望は良くない。
境内にある樹齢約350年の枝垂桜には気付かなかった。

火災で焼失後、暫くして桜の季節にクルマで枝垂桜を見に行ったことがあるが印象に残っていない。



天益寺から更に山の方へ歩いてみる。


神社が祀られていた。
神社の名前は不明。
ここで小休止。

つづく。



1月21日(木)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.38神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

大亀和尚民芸館の入口。
この日は閉まっていたので早々に退散する。



舗装された坂道を下る。


祠と石造物。
左端の石造物には“庚申”の文字が見える。
祠の中には小さい石仏が祀られていた。



分岐で左折し天益寺へ向かう。
画像は貯水槽?



天益寺への道は荒れており、訪れる人が少ないようだ。

つづく。



1月21日(木)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.37神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

ユキノシタが生育するのに適した湿気った環境。
この道は切通しに見える。



松源院(しょうげんいん)の入口。
左に「毒語心経提唱」と記した看板が掲げられている。
ネット検索すると『毒語心経』とは、漢文で書かれた禅の専門書。
「般若心経」262文字に、白隠禅師が毒語を以て註釈されたもの。
白隠慧鶴



鐘楼。


「東山」と記されているが、松源院の“山号”だろう。

松源院と大亀和尚民芸館について、下記一般財団法人 大亀和尚民芸館のサイトによると、
大亀和尚民芸館
大徳寺如意庵の元住職、立花大亀師が昭和55年大宇陀町(現:宇陀市大宇陀)に松源院(元大徳寺塔頭(たっちゅう=別院)を再興しました。
そのとき、同師が所持する墨蹟、茶道具などの美術品および民具などを永久保存するとともに、広く一般に公開して美術品の鑑賞・学術研究の資とし、文化の振興に寄与することを願って、(財)松源院民芸館を設立しました。
同師の遷化(平成17年)ののち、地区民の教化、県指 定文化財山岡庄屋の保存(松源院の復興)、清泉庵の開創(=寺を開くこと)などの地域への(同師の)貢献を記念するため、本館の名称を「大亀和尚民芸館」に改めました。
(当財団法人の寄付行為に関する文書による)



大亀和尚民芸館へ入館しょうとしたが、生憎、この日は閉まっていた。
閉館されたかどうかは不明。
新型コロナウイルスの影響で閉まっていたのかもしれない。

つづく。



1月20日(水)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.36神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

道端に祠と石造物が見えたので立ち寄る。


庚申塚と小さな灯籠、そして祠。
花やサカキが手向けられている。
Googleマップによると、この場所は「迫間(はさま)庚申塚」と記されている。



祠の中には、おそらく近辺にあった石仏だろう。
ここへ集めて安置されている。



灯籠には「迫間邑講中」と彫られている。
“邑”の部分に苔が付着して見えにくい。
側面にも何か彫ってあったかもしれない。(確認せず)



こんなところにユキノシタがひっそりと咲いていた。
ユキノシタ

つづく。



1月20日(水)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.35神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

近畿自然歩道、徳源寺方面となる直進を見送り、車道に沿って右折。


長閑な景色を眺めながら歩く。
クルマが時々通行するので注意。
歩道はない。



左に「カラオケ エポック」の看板と建物を見る。
コースは引き続き車道を歩く。



見通しの良い直線となっている。
前方の分岐は直進。



暫く歩くと「←大亀和尚民芸館」の看板が立つ分岐を左折。

つづく。



1月20日(水)06:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.34神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

最近よく見かける太陽光を利用したソーラー設備。


近畿自然歩道の道標。
「徳源寺 →」方面へ。



山道は下り坂に差し掛かる


日の当たるところは下草が生い茂っているが背丈が低くまだ歩きやすい方。


やがて車道が現れる。
近畿自然歩道は車道を横断するが、この日のコースは車道を右折。

つづく。



1月19日(火)05:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.33神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

屑神社の境内には二本の巨大な杉の木が立つ。

屑神社を後にする。



近畿自然歩道の道標。
「←徳源寺 半坂→」。
徳源寺方面へ。



舗装はされているが、クルマはほとんど通っていないようだ。


左方向に視界が開けるが・・。


再び植林帯の中に続く林道歩きとなる。


つづく。



1月19日(火)05:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.32神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

ビッシリと積まれた石垣。
まるでお城。



分岐に立つ近畿自然歩道の道標。
「←徳源寺 半坂→」。
コースは徳源寺方面へ。



屑神社と記された社号標が立つ。


“屑”はクズと読む。


拝殿はこじんまりとしている。
本殿と見間違うほど。
屑神社

つづく。



1月19日(火)05:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.31神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

この先分岐。


分岐は左折。
「← 近畿自然歩道道標→」。



カンナの花。
“濃赤色”と呼ぶにふさわしい。



そしてこちらはサツキ。


斜面に高く石垣を積んだ民家が見える。

つづく。



1月18日(月)06:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.30神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

分岐から嬉河原へと続く道は道路幅が狭く林道歩きとなる。


「元?、(梵字)海?山清?紀?」などの文字が見える。


その横に可愛らしい「二尊石仏」が祀られていた。


この辺りからは、榛原の山々の眺望が得られた。
額井岳は山容に特徴があるので分かりやすい。



ここにも石造物。
「記念?」などの文字が彫られていた。
道路補修記念碑の類だろう。

つづく。



1月18日(月)06:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.29神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

小さな祠の横に設けられていた自然石の火袋。
道端だが下草が茂っており今はもう誰もお参りする人がいない様子。



暫く道なりに歩くと前方に分岐が現れる。


分岐には近畿自然歩道の道標が立つ。
「嬉河原→ 半坂・桜井↓」。
嬉河原方面へ歩く。

ところで、嬉河原(うれしがわら)の地名だが、“漆”(うるし)が訛ったという一説があるそうな。



逆光で読み難いが「道路大修理記念碑」と彫られていた。


分岐地点を振り返って撮影。
コースは左上、嬉河原へ向う。

つづく。



1月18日(月)06:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.28神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

山に抱かれるように傾斜地に建つ民家。


道端の石造物。
文字が刻んであったがよく読めず。
左側の石には「(梵字)奉?西国?」などの文字がぼんやりと見える。
右側にも梵字が見える。



割れ目が鋭いので、一瞬、人造物かと思ったが、自然石のようだった。


のどかな景色が見ながら、半阪から嬉河原へと続く里を歩く。


小さな祠が道端に安置されていた。
遠目からは石仏が祀られているように見えた。

つづく。



1月17日(日)05:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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