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(続)慈眼寺_飯盛山_絵日傘コース_御机神社

飯盛城跡案内マップと飯盛城についての説明板。

飯盛城
飯盛城は、生駒山地の北部にそびえる標高314mの飯盛山に築かれた中世の山城です。
飯盛山は、東側に深い谷を有し、北と西側は非常に険しく、また河内平野や遠くは京都まで一望できることから、軍事的に重要な場所とされていました。
そのため、南北朝時代には城が築かれたと推定され、本格的に整ったのは畠山の家臣、木沢長政(きざわながまさ)が居城とした享禄4年(1531)の頃とされています。
その後、交野の土豪であった安見直政(やすみむねふさ)が城主の時期もありましたが、永禄3年(1560)には室町幕府の実力者であった三好長慶(みよしながよし)が畿内平定の本拠地として入城し、政治・文化の中心地となりました。
また、長慶はキリスト教にも寛容で城下での布教を許可し、多くの家臣がこの城で洗礼を受けています。(河内キリシタン)
長慶が城主であった全盛期には、南北約1200m、東西約500mの城域に、大小約70の郭(防御するための場所)が築かれていたとされ、全国でも有数の山城といえます。
しかし、長慶も入城の4年後には亡くなり、天正4年(1576)頃には、織田信長の勢力によって廃城になりました。
平成22年2月 大東市教育委員会

飯盛山山頂にて。



鳥瞰図「大阪眺望之図」。
飯盛山山頂直下の展望所(2F)にて。



センニンソウ。
御机(みつくえ)神社への下山道にて。



飯盛城の石垣。
御机神社への下山道脇にて。



鎖が設置された急坂を下って御机神社へ。


9月1日(土)18:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

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